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大学での授業はひとまず完了

2013年01月18日 | 心の教育

 今日は、読者にとってどうでもいいかもしれない私事の記事です。

 先週、法政大学、一昨日、武蔵野大学、昨日、桜美林大学の授業が終わり、これでそれぞれ12年、9年、7年間の大学での仕事が完了しました。

 ブログのタイトルと同じく「伝えたい! いのちの意味」という気持ちでやってきましたが、これまで何度も感想文などをご紹介したとおり、かなりの数の若者につながりコスモロジーの視点から見えてくるいのちの意味についてしっかり伝えることができた、と感じています。

 私は、税法上は民間の「著述業者」であり(呼称としてはかつて東京新聞の書評で「在野の思想家」と書いてもらったのがとても気に入っていますが)、第一作の『トランスパーソナル心理学』(青土社)以降、いろいろ書いてきました。

 しかし、書いても書いてもどうも届けたい読者(特に若い世代)に届いていないという感じがして――後に学生に聞いたら「だって俺ら本屋に行かないもん」とのことでしたが――誘ってくださる方があり、「しょうがない、こちらから出前出張だ」という気持ちもあって、大学で教えるようになりました。

 教えてみると、メディアでの印象と違って、大学をレジャーランドと心得ちがいしている若者ばかりではなく、真剣に人生の意味を求めている若者も相当数?あるいは一定数いることがわかり、手ごたえを感じ面白くて、四国学院大や青森公立大学での集中講義も含めると、気づいたらいつの間にか15年、大学で教えてきたことになります。

 きわめて本気で取り組んできたつもりなので、終わったら「感無量」という感じになるかと予想していましたが、昨日の帰り道、意外にすっきり、さっぱりした感じでした。

 なぜだろうと考えてみると、年相応の疲れのために「肩の荷を下ろした」という感じでほっとしているということもあるでしょうが、それよりは気持ちが次のことに向かっているからだと気づきました。

 これまではアウトプットにそうとう時間を取られていたので、これからはインプットのほうに時間を使えるようになる、ということもあります。

 ゲーテが「時よ止まれ、おまえはあまりに美しい」という名セリフを吐いていますが、私にとってこの世には知りたい・調べたい・解明したいことが――もちろん体験したい・感じたい・感動したいことも――まだ山ほど残っているという感じで、時間が足りません。

 「時間よ、もう少しゆっくり流れてくれ」という感じです。

 それから、サングラハ教育・心理研究所と持続可能な国づくりの会の両方を通じて続けてきたメッセージの発信は、これまでとかたちを変えてしかししっかり続けていくつもりなので、それをどうしようかとあれこれ考えている、ということもあります。

 もちろん、本職の著述の時間もこれまでよりは多く取れるようになるので、出版状況さえゆるせば、これまでよりも多めに書いて出版していくつもりです。

 (若者よ、本屋に行け! 一時的に楽しいだけで消費・浪費されてしまう情報よりも、もっと魂の栄養になる情報を包んでいる書物を買って読みなさい! 市場社会では残念ながらどんなに本質的価値があっても、売れないものは流通しない。価値あるものを流通させるのは価値を理解できる「賢い購買者」の存在なのです。)

 私が人生にとってきわめて基本的で重要だと考えていて、君たちに伝えたかったことを、受けて止め学んでくれた、これまでの学生諸君、有難う!

 よかったら、これからも、ブログや本や講座・学習会などで、さらに一緒に学びを続けて下さい。

 ネット学生のみなさんも、ぜひこれからも学びを続けましょう。

 「いったん始まったら、学びに終わりはないのだよ」(クリシュナムルティのクリシュナムルティ・スクールの生徒たちへの言葉)。