goo blog サービス終了のお知らせ 

感性を開くワーク

2007年09月03日 | メンタル・ヘルス

 おととい、きのうとコスモス・セラピーのワークショップでした。

 4年ぶりの伊豆・弓ヶ浜の砂浜と海は、あいかわらず明るく、ゆったり、のんびりとしていて、とてもいい気持ちでした。

 天気予報は好都合に外れ、晴れたり少し曇ったり、暑すぎず涼しすぎず、ほとほどの温度で、ワークショップには最適でした(やはり紫外線は強烈でしたが)。

 参加者には、感性豊かで、しかしそのために現代の荒れた社会の中で生きづらさを感じている方が多いと見ていましたので、まず「状況に応じて、感性を開いたり閉じたりすることのできるコントロール能力を養うことが必要だと思います」というコメントをしました。

 そして、「感性を閉じていないと生きにくい社会で毎日生きていると、いつの間にか癖になって感性を閉ざしっぱなしになりがちです。でも、感性が閉じてしまうと、生きていることの意味が実感できなくなってしまいます。今日、明日は、日常生活の中で閉ざしがちになっていた感性を久しぶりに開く練習をしましょう」と。

 そして、長田弘さんの「最初の質問」を朗読して、まさにみなさんに質問をしました。

 この詩・質問は、みなさんの心にとても響いたようです。

 それから宇宙カレンダーの短いレクチャーの後で、渚に行って、「今日、あなたを呼んでいる、あなたと一緒に行きたいと言っているもの――例えば小石や貝がらや――を探して連れてきてください」と指示し、みんなで裸足になって渚を歩き、それぞれに何かを持ってきて、輪になり、一人ずつ砂浜に置いていって、みんなでいわばオブジェを作るワークをしました。

 夜にはまた浜に出て、シートを敷いて横になり、「私と分離した向こうにあるものとしてではなく、その秩序のなかに自分もいるものとして、天の川銀河を見る練習をしましょう」というワークをしました。

私も横になって、マルクス・アウレーリウスの言葉を思い出していました。


 星とともに走っている者として星の運行をながめよ。また元素が互いに変化し合うのを絶えず思い浮かべよ。かかる想念は我々の地上生活の汚れを潔め去ってくれる。(マルクス・アウレーリウス『自省録』より)


 帰ってきて、夜中の三時までみんなで真剣に話し合いました(今回は体のために少し早めに寝ようと思っていたのですが、今回もまた熱が入ってしまいました)。

 翌朝、また散歩に出て、海を見ながら立ち話でみなさんの質問に答えているうちに、話が深くなり、とうとう野外レクチャーになってしまいました。

 テーマは「ほんとうの自己実現」でした。

 それについては、できればここでも少し書いていきたいと思っていますので、続きはまた明日、ということで、今日はここまでにします。




↓記事に共感していただけたら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無力感にも無関心にも陥らない

2007年08月31日 | メンタル・ヘルス

 昨日の夜、かみさんと二人で世界の貧しい国の子どものことを報道している番組を見ました。

 こうした報道に接すると、ほんとうに厳しい状況で生きている子どもたちがたくさんいることを、改めて痛切に感じます。

 微力だけれども、できることをしたい、と深く思いました。

 今やろうとしている「持続可能な国づくり」の努力は、単なる自国中心主義の活動ではありません。「持続可能な地球の回復」とそのまま直結していると思っています。

 持続可能な地球を回復しなければ、貧しさに苦しむ子どもたちを救うどころか、ますます増えるばかりです(環境難民)。

 問題はきわめて大きいのですが、私は、論理療法的に考えますから、同情しすぎて無力感に陥ったり、暗い気持ちになりたくないので目をそむけて無関心になったりもしません。

 そして、及ばずながら菩薩を目指してもいるので、今年のモットーどおり、「熱心なのに気軽、気軽なのに熱心」という心で持続したいと思っています。

 『摩訶般若波羅蜜経』の言葉を訳を少し修正して再引用します。


 もろもろの菩薩・大士は〔心を〕大スケールに美しく調え、私はまさに限りない数の衆生を救おう(と誓願する)、衆生は結局〔実体としては〕把握できないということを知っていてしかも衆生を救うのである、これは困難なことではある。……

 スブーティよ、菩薩・大士は、二つの事柄を完成するので、悪魔は破壊できない。何が二かというと、一切の存在は空であることを瞑想的に洞察することと、一切の衆生を捨てないこととである。スブーティよ、菩薩がこの二つの事柄を完成するならば、悪魔は破壊できないのである。


 この悪魔とは、私の解釈では無力感‐絶望と無関心‐無責任の心のことです。

 何とかしてあげたいという願いを忘れないために、時々、「動画で見る100人の村」を見直したりしています。




↓記事に共感していただけたら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモロジーへの典型的な反応 1

2007年07月22日 | メンタル・ヘルス

 今日もレポート採点に明け暮れました。

 運動不足にならないように、合間にスクワットをしたり、腕立てをしたりしながら、でもほとんどデスクの前でした。

 1つ典型的な感想があったので、ご紹介したいと思います。

 社会学部2年生の男子学生のものです。


 私はこの授業を受けるまで間違いなく「ニヒリズム」と「エゴイズム」におちいっていたと思う。最初の講義での先生の「死んだらどうなると思いますか」という質問の時も、私は「死んだら無になると思う」に手を挙げた。その頃の私は、先生がおっしゃっていたように、死んだら無になってしまうのだから、今私が生きている事に意味はあるのか?とか、私とはいったい何なのだろうと思う事がよくあった。また死んで無になるというのは、やはり孤独のようなものなのだろうか?とも思った。

 しかし、この講義を受けて私の人生感は変わった。私の命には、価値があると思えるようになった。それに「死」というものの見方も変わったと思う。「死」とは、ただ元にあった所に帰るだけの事なのだ。それは、誰でも同じ所にかえるという事。つまり死は孤独ではないという事だ、と思うようになった。

 この講義では、興味深い事をたくさん知る事ができた。特に、私たちの体を構成している原子は、百五十億年も昔にできたものであるという話と、物はエネルギーに転換しうるという話だ。

 どちらの話も、科学的に確かな事なのであるが、私が今まで学んできた科学では、全くそんな事は教わらなかったので衝撃的だった。しかし納得のできる話だった。いい話を聞けたと思う。


 現代科学の定説をベースにして宇宙の始まりから私までを語るコスモロジー――の1つの解釈=「大きな物語」――は、若者の多くがおちいって、時には心の病(例えばうつ)にまで到るニヒリズムを克服することができる――場合が多い――ことは確かです。

 「科学的に確か」で、しかし「今まで学んできた科学では、全くそんな事は教わら」ず、「しかし納得のできる話」で、「いい話」で、「私の命には、価値があると思えるようになった」としたら、これはきわめてすぐれたセラピー的教育、教育的セラピーと自負していいのではないでしょうか。

 ぜひ、多くの若者のために多くの方に使っていただきたいと願わずにはいられません。



↓記事に共感していただけたら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うつが完治したケース

2007年07月05日 | メンタル・ヘルス

 これから大学生たちに「生きる自信」を得てもらうための授業に出かけるのですが、出がけにちょっと時間があるのでブログを見ました。

 どんな人が読んでくれたのかを知りたいので、時々「アクセス解析」の「アクセス元URL」のところを見て、場合によって元のブログを見させてもらうことにしているのですが、今日もうれしい記事が発見できました(かなり前のもののようですが)。

 そこにはうつが完治した報告が以下のように書かれていました。

                  *

鬱になった背景は色々あるから割愛。
というか、自分では把握しておきたいけど、
未だ謎なのでまた説明しづらい。
けど、治ったことについては理由がわかる。

いくつかあるので書いておく。……
・元気になるブログ
このブログに出会ったことが一番大きかったかも。
この人のことは何も知らなかったけど、
滅多にネットサーフしない私が、本当にたまたま。
ここに書いてあることが全てそのまま、
ってわけじゃないと思ったけど、
唯一つだけ私が納得したことがある。
それがすごいキッカケだった。

「生きてることに意味がない」ってこと、
ずっと思ってた事に気づいた。
死して無へ還るとして、生きる意味があるのかって。
そこから先へ考えは及ばなかった。
多分これがすべての元凶だったと思う。

まぁ、意味があるなどと大そうなことはいえなくても、
私が存在しているのは事実だし、
していけないわけでもないし、
大きな流れで見ればこれも必要なことなのかもしれない。
それに意味があろうとなかろうとあんま関係ないんだな。

それだけ。たったこれを理解しただけ。
一番大きいのはこれ。ほんとにこれ。
自分でもわかった。急に空が晴れた。
こうやって言葉にすると嘘っぽいけどね。

あとはこれに休養があれば完璧だったかも。
……
そして感謝の対象者はいっぱい。
見捨てないでついてきてくれた友人たち。
あとは……見守ってくれていた両親に感謝。
……
                   *

 よかった、よかった。

 自分としてはかなり時間を使って努力して書いたつもりの記事がお役に立ててよかった。

 うつが治った唯一のきっかけではないけれども、「このブログに出会ったことが一番大きかったかも」とのこと。

 書いた甲斐がありました=報われました=つまりあなたから精神的報酬をいただきました。有難う!

 これからも元気でいてください。そしてできたら、子ども(の世代)が元気でいてくれることが、親(の世代)の最大の喜びであることを覚えていてください。

 コメント欄がなかったのと、みなさんにも紹介したかったので、勝手に私のブログ記事に引用させていただきました。



↓記事に共感していただけたら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫌なことに遭った時の心得

2007年05月31日 | メンタル・ヘルス

 今日もアウレーリウスを読んでみましょう。

 「悪徳とは何か。それは君がしばしば見たことのあるものだ。一般にあらゆる出来事にたいして「これはきみがしばしば見たことのあるものだ」という考えを念頭に用意しておくがよい。結局上を見ても下を見ても至るところ同じものが見出されるであろう。古代史も中世史も近世史もその同じものでいっぱいだし、今日も都市や住居はこれでいっぱいだ。一つとして新しいものはない。すべておきまりであり、かりそめである。」(『自省録』7・1)

 嫌なことに遭った時、「ありえない」とか「耐えられない」と考えると、そういう気分になってきます。
 しかし、「よくあること」、「ごくふつうのこと」と捉えると、かなり気が楽になってきます。

 そして

 「君が自分の理性に従って生きるのをなんぴともさまたげはしないであろう。また宇宙の自然の理性に反してはなにごとも君に起こらないであろう。」(6・58)

と思い直すと、生きる勇気が戻ってきます。

 今日もよりよく生きるべく最善を尽くしましょう。



↓記事に共感していただけたら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモス・ジェネレーションは増殖する?

2007年04月19日 | メンタル・ヘルス

 一昨日はH大の2回目の授業でした。

 受講者数はどうだろう、殖え過ぎないといいのだが、と思いながら教室に入ると、なんと先週よりかなり殖えているではありませんか。

 また本気でない人は帰ってほしい、と繰り返したのですが、帰る学生はわずか。

 700人教室がかなり埋まっていました。

 といっても、前のほうが多少空いていました。

 「本気なのに一番後ろで眺めているような席にわざわざいるはずはないだろう。やる気なら席を前に移動しないかい?」というと、たくさんの学生が移動したのです。

 やっぱりやる気のようです。

 やるしかなさそうです。

 今日のM大の2回目はどうなるでしょう…

 向かう電車の中です。



↓お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見方を変えると見えるものが変わる

2007年04月03日 | メンタル・ヘルス

 今日から神楽坂での講座は論理療法です。

 ポイントは見方・考え方を変えると、見えるものが変わり、気持ち・感情も変えられる、ということです。

 しみじみそうだなと思ったのは、神楽坂の裏道です。

 30年以上神楽坂には縁がありながら、最近終わった倉本聡のTVドラマ『拝啓、父上様』を見るまで、用事のある表通りしか歩いたことがありませんでした。

 で、当然、あんな石畳の洒落た通りがあっても、見たことがありませんでした。

 今日講座の場所へ行く時、横道‐裏道を初めて歩いてみました。

 なるほど、しっとりと洒落たいい通りがありました。

 関心や見る目、視点、コンテクストのあるなしは、こんなにも見えるものを変えるのですね。

 そういうことを教えていながら、改めて一種の驚きを感じたことです。

 さて、これからそういう講義をしてきます。

(携帯から) 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作務中

2007年02月18日 | メンタル・ヘルス

 昨日から本の詰まった重たい段ボール箱と取り組んでいました。

 長年、欲張って買い込み、溜め込んで、置き場所に困り、かみさんの実家の倉庫に預けておいたものです。

 大学の休みを使って整理して、研究所の資料として残すものと、古本屋さんに売って処分するものに分けています。

 間もなく還暦、平均寿命くらいは天が生かしてくれる予定で考えても、この先読める量には限りがありますから、このあたりでできるだけ整理をしておこうと思ったわけです。

 とはいえ、本についての執着はなかなか完全には絶ちがたく、半分弱は残すことになってしまいました。

 夕飯前にはなんとか終わらせることができました。

 やや不徹底だったにしても、整理ができて、ほっとしています。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の仕事

2007年01月13日 | メンタル・ヘルス

 朝早く起きて支度し、金色の美しい朝日を浴びながら家を出て、羽田から福岡へ。

 仏教講座で、聖徳太子の生涯について語りました。

 今日も語っていて、自分で感動してしまいました。

 でも、40人あまりの聴衆のみなさんにも、感動は伝わったようです。

 おかげさまで、今日の仕事も充実していました。

 しかし、かなりしっかりエネルギーを使ったので、がっくり疲れました。

 よく眠れそうです。

 みなさん、おやすみなさい。

 帰ってから、ブログでも十七条憲法の続きの記事を書きます。

 待っていて下さい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事始め

2007年01月09日 | メンタル・ヘルス

 今日から大学の授業が再開です。

 といっても、それぞれ1回だけで、試験期間―春休みになるのですが。

 サングラハの講座も始まります。

 今日は、フランクル『死と愛』(みすず書房)の学びです。

 みなさんと、どんな過酷な状況をも生き抜きうる精神性の深さ・強さとは何か、学んでいきたいと思っています。

 今年もよい学びの年になるでしょう。




↓お手数ですが、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力いただけると幸いです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自我確立~自己超越の心理学の講座終了

2006年12月20日 | メンタル・ヘルス

 昨夜は、サングラハの講座「自我確立~自己超越の心理学」の最終回でした。

 前回の「自己実現の心理学」での学びと合わせて、自我確立、自己実現、自己超越それぞれの段階にあるパーソナリティの特徴について、まとめの学びをしました。

 ちょうどいいことに、論理療法のエリスが、自我確立からやや自己実現にかかったあたりの「心理的健康」の13の基準をあげているのと、人間性心理学のマズローが「自己実現的人間」の17の特徴をあげているのと、アサンガ(無着)が「菩薩の32の特徴」について述べているのと、それぞれまとまった文章があるので、そのペーパーを配って、どこがどう違っているのかを考えてもらいました。

 そして一緒に考えて、講座の最後に、まとめました。

 自我確立段階では、「思慮深く、心理的に健康な人間は、まず自分自身に関心をもち、他者のより自分の関心事を少しだけ優先させる。そうした人々は、心をかけている人のためにはある程度自己犠牲も払うが、すべてを投げ出したりはしない」(エリス)というところがポイント。

 ところが自己実現段階になると、レベルアップして、「対立性・二分性の解決、欲望と理性のすばらしい調和状態」にあり、「利己的であることと利己的でないということとの二分性はなくなる」(マズロー)。

 さらに自己超越・菩薩段階に到ると、「一切の衆生を利益し、安楽ならせたいという意志をもっている」(アサンガ)。

 こうした自我以前→自我確立→自己実現→自己超越というパーソナリティの発達段階を知っていると、自分の人生の現段階の課題がどこにあり、究極の到達目標をどこに向ければいいのか、明快な展望が持てます。

 まだ自我確立が十分でないのに、直接、自己実現や自己超越を目指すと無理が来る危険があるので、目標として目指しながらも、一歩一歩段階を踏んでいくのがいいのではないでしょうか、と。





 1月からは、自己実現よりもさらに自己超越に比重がかかった心理学であるフランクルのロゴセラピーについて学んでいきます。


*この講座のCDも間もなくお頒けできる予定です。CDの案内をご希望の方は、okano@smgrh.gr.jp にお問い合わせ下さい。



↓よろしければ、、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終授業1

2006年12月19日 | メンタル・ヘルス

 1つの学部で今年最後の授業が終わりました。

 例年のようにアンケートを取ると、「授業を受けたことによって、人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか。0から10までのスケールで表現してください」の欄に10と書いてくれる学生が、今年もかなりの数いました。

 とてもいいと思って思わず笑ったのは、「自信が付いた。結果、恋人ができた。相当な成果だと思う」というのでした。

 これは、「すごい成果」と言い換えるべきでしょう。

 しかし、それはそれとして、今年は達成感が十分ではありません。

 かなり感動したらしい感想を書いてくれた学生も、特に私にコミュニケーションを取ってこようとせず、反応-動きがどうも鈍いのです。

 これは、今年たまたまなのか、全体として若者がますます行動力・元気をなくしているのか。

 慣れと年齢のせいで、こちらの迫力・影響力が落ちているのか。

 ともかく、来年度に向けて、自分自身もアプローチの仕方もウ゛ァージョンアップする必要があるな、と思っています。

 さて、残り2学部2回で、今年は終わりです。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑の福祉国家へさらにもう一歩!

2006年11月21日 | メンタル・ヘルス





 春先の本(『スウェーデンに学ぶ持続可能な社会』朝日新聞社)との出会い、続いて新学期、著者小澤徳太郎先生ご自身との出会いから始まったシンポジウム「日本も緑の福祉国家にしたい!―スウェーデンに学びつつ」が、一昨日、大成功で終わりました。

 昨日は事後の会計処理などに追われていました。

 今日も大学とサングラハの講座です。

 忙しくかなり疲れるのですが、137億年の宇宙の歴史の中、今・ここで他の誰でもなく私に預けられているいのちをしっかり使っている、という充実感はまちがいなくあります。

 いのちをより豊かにして繋ぐべく…少なくともひどいことにしないように、ご先祖様予定者としての責任を果たしたい、と強く願います。

 持続可能な社会=緑の福祉国家の創出に向けて、もう一歩を進めるつもりです。

 うちのお孫ちゃん、次世代の子どもたち、じいじは頑張ってるからね。



↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇都宮でワークショップ

2006年11月12日 | メンタル・ヘルス


 栃木県のカウンセリング協会主催の「コスモス・セラピー」ワークショップで、宇都宮に行ってきました。

 本公開授業の内容+体験的ワークで、2日間、熱心な参加者のみなさん26名と一緒にとても楽しい、感動のある学びをすることができました。

 ブログ読者のみなさんには申し訳ないのですが、コスモロジーは、やはり知識として知るだけではなく、体感的に学んでいただくといっそういいようです。

 学校の現場でがんばっておられる方、幼稚園の子どもたちに何を伝えたらいいか考えておられた方、さまざまなクライアントにカウンセリングをしておられる方などが、コスモス・セラピーの「なぜ生きるのか」「生きる意味とは何か」を伝える効果を実感・認知してくださったようです。

 私や研究所のためというより、元気をなくしたり、空しくなったり、死にたくなったりして苦しんでいる子どもたちや若者たち(もちろん大人の方もですが)のために、コスモロジー教育=コスモス・セラピーが早くもっと広く伝わるといいのになあ、と改めて思ったことです。



↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生死の巻とレクイエム

2006年11月01日 | メンタル・ヘルス

 昨日の夜、早速、フォーレのレクイエムの最後の曲「楽園(天国)にて」をバックに「正法眼蔵生死巻」を朗読するという試みを行ない、MDで録音してみました。

 再生してみると、フォーレのフランス的そして天国的な美しさと道元の東洋的な渋い格調の高さがとてもうまくマッチして予想通りのいい雰囲気になりました。

 なんと曲の長さと朗読時間も、まるで注文したように合っていました。

 ただ、ちょっとアイデアのいたずら程度に練習なしにやったので、朗読の出来が不満足で、関係者のみなさんにも公表できる段階ではありませんが、ちゃんと出来たら、聴いていただくに値しそうです。

 乞ご期待。



↓アイデアが面白いと思っていただけたら、2つともクリックしていただけるとうれしいです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする