刊行されたのは19年前の、2002(平成14)年、1999から2000年までの1年半「俳句」(角川書店)に連載された、世紀を跨ぐ企画だった。当時「『昭和俳句史』を語るためには、欠かせない名著」と絶賛されたが、ここしばらく絶版となっていて、まさに待望の増補復刊といえる。
本書の証言者の13人は、大正に生まれ、昭和俳句の第一線を生き抜き、平成、1人だけ令和、に亡くなった俳人であり、昭和俳句を語る上の一級史料だ。しかも、語られる出来事が、「京大俳句事件」などの俳句弾圧、「現代俳句協会」から「俳人協会」の分裂、「俳句文学館」の建設など、昭和俳句に欠かせない事件ばかり。語られる人物も高浜虚子、山口誓子、加藤楸邨、中村草田男、西東三鬼など、俳句に詳しくなくとも聞いたことのある、現代の俳句をつくってきた人物が揃う。聞き手の黒田は、このような事件や人物を丁寧に聞き出し、一方向ではなく多方向からの同時代の声として提示する。しかも、今年亡くなった深見けん二を最後に、証言者の全てが鬼籍であるだけでなく、黒田自身も旧版「あとがき」に記しているが、雑誌掲載から書籍刊行の2年ほどの間に、5人が亡くなっている。さらに、旧版の刊行年に2人亡くなり、最後のギリギリで形になった、奇跡の証言集といっても良い。
もちろん、本書を楽しめるのは俳句に興味がある読者だけではない。読後に残るのは、大河連作小説を読んだ後に似た充実感。まず何といっても登場する人物が、実に個性があり魅力的、今の言葉でいうならばキャラが立っている。それぞれが信念を持ち自分で考え時代を精一杯生き、ステレオタイプの善人や悪人ではなく、ひと癖もふた癖もあり生々しいほど人間臭い。(語り手が溺れかけた後)「のんきなお顔で「遠くまで行きましたねえ」と言うておられる」山口誓子(津田清子)、(未亡人である語り手のところに)「突然、やっていらっしゃる。うちにソファベッドがありましてね。三鬼さんはベッドでないと駄目でしたから、そのソファベットをご自分でベッドに直すと、お洋服にブラシをかけて、ちゃんとハンガーに吊るされる」西東三鬼(中村苑子)など、実に生き生きと語られている。扱われる出来事にしても、様々な事情や人物が交差するため、次が知りたく夢中でページをめくってしまう。俳句弾圧は、時代への鎮魂を孕んだ青春劇のように、「現代俳句協会」の分裂や、「俳句文学館」の建設は、様々な思惑が交差するサスペンスのように読むこともできる。そして、その背景には、戦争で死んだ、病などのため志半ばで亡くなった、多くの俳人の魂も息づいている。「第一句集の『雪白 』は形見みたいなもの」(沢木欣一)。無念のうちに死んでいった俳人が何人いたのだろう。
それだけでなく、昭和を生きた人間の記録としても、鮮やかに目に浮かぶように語られている。例えば、空襲について「うちの庭には樹木がわりにあったんですが、それが全部ばーっと燃えてきて、私が玄関まで出たとたん、うしろにバサーッと火が落ちた」(桂信子)。学徒出陣は、「いよいよ学徒出陣になるというので家内が、いや、まだ家内じゃないわけですが、弟を連れて駅まで送りに来ました。しかし、ガダルカナルの死闘が終わって日本軍の敗戦が我々大学生もすでによくわかっていましたから、生きて帰るということは到底考えられなかった。だからそのとき、女房になる人に対して何も言えなかった。」(古舘曹人)。俳人だけでなく、同時代を生きた多くの人に共通した市井の意識が、本書と、本書で語られる昭和俳句を支えている。「戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんです」(金子兜太)。「その後、生き残りの私の句を戦死したり戦病死した友達が現在読んでくれるとしたらどう思うかと常に考える」(三橋敏雄)。このような証言を読むと本書と戦後の昭和俳句が、無念のうちに亡くなった数多の死者のために、書かれてきたことが見えてくる。黒田も「あとがき」で、「二十世紀の末に俳人によって語られたかけがえのない予言集が地球上の多くの人々と出会うことを希っております」と記している。本書と昭和俳句は昭和の鎮魂碑であり、未来へのメッセージでもあるのだ。(2021年・コールサック社)
本書の証言者の13人は、大正に生まれ、昭和俳句の第一線を生き抜き、平成、1人だけ令和、に亡くなった俳人であり、昭和俳句を語る上の一級史料だ。しかも、語られる出来事が、「京大俳句事件」などの俳句弾圧、「現代俳句協会」から「俳人協会」の分裂、「俳句文学館」の建設など、昭和俳句に欠かせない事件ばかり。語られる人物も高浜虚子、山口誓子、加藤楸邨、中村草田男、西東三鬼など、俳句に詳しくなくとも聞いたことのある、現代の俳句をつくってきた人物が揃う。聞き手の黒田は、このような事件や人物を丁寧に聞き出し、一方向ではなく多方向からの同時代の声として提示する。しかも、今年亡くなった深見けん二を最後に、証言者の全てが鬼籍であるだけでなく、黒田自身も旧版「あとがき」に記しているが、雑誌掲載から書籍刊行の2年ほどの間に、5人が亡くなっている。さらに、旧版の刊行年に2人亡くなり、最後のギリギリで形になった、奇跡の証言集といっても良い。
もちろん、本書を楽しめるのは俳句に興味がある読者だけではない。読後に残るのは、大河連作小説を読んだ後に似た充実感。まず何といっても登場する人物が、実に個性があり魅力的、今の言葉でいうならばキャラが立っている。それぞれが信念を持ち自分で考え時代を精一杯生き、ステレオタイプの善人や悪人ではなく、ひと癖もふた癖もあり生々しいほど人間臭い。(語り手が溺れかけた後)「のんきなお顔で「遠くまで行きましたねえ」と言うておられる」山口誓子(津田清子)、(未亡人である語り手のところに)「突然、やっていらっしゃる。うちにソファベッドがありましてね。三鬼さんはベッドでないと駄目でしたから、そのソファベットをご自分でベッドに直すと、お洋服にブラシをかけて、ちゃんとハンガーに吊るされる」西東三鬼(中村苑子)など、実に生き生きと語られている。扱われる出来事にしても、様々な事情や人物が交差するため、次が知りたく夢中でページをめくってしまう。俳句弾圧は、時代への鎮魂を孕んだ青春劇のように、「現代俳句協会」の分裂や、「俳句文学館」の建設は、様々な思惑が交差するサスペンスのように読むこともできる。そして、その背景には、戦争で死んだ、病などのため志半ばで亡くなった、多くの俳人の魂も息づいている。「第一句集の『
それだけでなく、昭和を生きた人間の記録としても、鮮やかに目に浮かぶように語られている。例えば、空襲について「うちの庭には樹木がわりにあったんですが、それが全部ばーっと燃えてきて、私が玄関まで出たとたん、うしろにバサーッと火が落ちた」(桂信子)。学徒出陣は、「いよいよ学徒出陣になるというので家内が、いや、まだ家内じゃないわけですが、弟を連れて駅まで送りに来ました。しかし、ガダルカナルの死闘が終わって日本軍の敗戦が我々大学生もすでによくわかっていましたから、生きて帰るということは到底考えられなかった。だからそのとき、女房になる人に対して何も言えなかった。」(古舘曹人)。俳人だけでなく、同時代を生きた多くの人に共通した市井の意識が、本書と、本書で語られる昭和俳句を支えている。「戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんです」(金子兜太)。「その後、生き残りの私の句を戦死したり戦病死した友達が現在読んでくれるとしたらどう思うかと常に考える」(三橋敏雄)。このような証言を読むと本書と戦後の昭和俳句が、無念のうちに亡くなった数多の死者のために、書かれてきたことが見えてくる。黒田も「あとがき」で、「二十世紀の末に俳人によって語られたかけがえのない予言集が地球上の多くの人々と出会うことを希っております」と記している。本書と昭和俳句は昭和の鎮魂碑であり、未来へのメッセージでもあるのだ。(2021年・コールサック社)
初出 「脱原発社会をめざす文学者の会 会報」第25号(2021年12月刊行)