「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 『符籙』と行きずりの海 住田 別雨

2022年03月10日 | 日記

 一月の三連休に大阪から福岡へ見舞いの旅の途中で書肆侃侃房に立ち寄った。数年前から気になっていた書店の棚から橋本直句集『符籙』を抜いて、気配の静かな店員さんにお金を渡した。(道端の、お地蔵様。鈴を鳴らして賽銭を入れて、祠からお札が差し出される)自跋によると「符籙とは、「道家の秘文」で「未来の預言書」のことでありかつ世俗の現世利益を求めるお札の数々である」とある。通りゃんせのメロディーが頭に響くと同時に、呪物崇拝としてのフェティシズムの語源と言われ、護符の意味をなす「フェティソ」という言葉を想起した。
 これは目には見えないお札が付いたマスク、これは目には見えないお札が付いたエタノールと念じながらの旅行だった。それが大袈裟なのかそうでもないのかもはや分からない。渦中の旅はエキセントリックな夢めいている。

交るほど鯉ら異界に投げ出す身

 旅先で『符籙』を手にした私は、しきりに旅情をもよおした。
 とにかくどこかへ行きたい。どこかで、どこかにむかう途中でこの句集を読みたい。

燗酒に手をかけて寝てをられけり
頬杖と思へば動く秋扇

 旅館の広縁で、小さな冷蔵庫の呻り声を聞きたい。煙草の匂いが染みついた綿入れを嗅ぎたい。網戸に貼り付いている蛾の翅をみつめたい。

ノート書くやうに冷奴を食べる

 絹ごしが、蛍光灯を反射して、レフ版のように輝いている。目線は手元の冷奴にあるのか、それとも向かいの席の箸先にあるのか。脆いものを切り崩して食べているせいか少しだけ緊張している。ちょっとしたきっかけで状況が一変するかもしれない。座椅子を蹴っ飛ばして箸を持った手首を掴んでしまうかもしれない。

セーターの女の形して残る

 引き返せない所まできてしまうかもしれない。
 大声を出してはいけない。人前で口元を見せてはいけない。手が触れられるほど他人に近づいてはいけない。フィジカルを抑えつけられるほどイマジネーションのタガは緩くなる。
 ついに堪え切れず、『符籙』を伴って海へ行く電車に乗った。どうしても波打ち際に座ってこの句集を読まなくては。難波から和歌山へ走る南海電車は母校の駅を通り過ぎて実家の最寄りも通り過ぎる。普通電車は空港を超えるともう一両に自分しか乗っていない。

海あるいは硝子の舟の沈むまで

 どちらかというと渋く色悪な魅力がある句の中にふと幻想的な句が一定量紛れ込んでいてたちまち海へと誘われる。
 これも、

魚釣りの子らもいつかは魚となり

 またこれも、

渤海の民より瓶の流れ着く

 吊革の持ち手が、鯛のかたちに繰りぬかれた電車に乗り換えて終点で降りた。
 港町の細い道を彷徨う。猫たちが釣り人のおこぼれを狙って待っている。浜辺を歩いて爪の先ほどの貝殻を拾った。マキガイ、アワセガイ、タカラガイなど五つ。正体不明の海の生き物がうちあげられて紫の体液を出している。潮風は既に暖かかった。
 ここまで来てよかった。この句を加太の浜辺で読むために。

海嶺に次の人類眠る春