「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第98回  私たちの俳句  久留島元

2018年06月02日 | 日記
2018年3月20日、大阪の中心街某所で、北大路翼、上田信治による対談「信治&翼と語り尽くす夕べ 祈る俳句」が行われた。
上田は「澤」「里」に所属、ウェブマガジン「週刊俳句」発行人として知られ句集『リボン』がある。一方、北大路は「街」所属、新宿歌舞伎町俳句一家屍派家元を名乗り、句集に『天使の涎』『時の瘡蓋』があり、編著に『新宿歌舞伎町俳句一家屍派 アウトロー俳句』がある。
北大路による屍派の活動はメディアにも多く取り上げられており、NHKのハートネットテレビ(2017年1月31日放送)や日本テレビ「なんでこんな本出しちゃったんですか?」(2018年4月18日放送)など、従来の俳句とは違う角度も注目されている。現在、夏井いつきと並ぶ存在感を持っているといえよう。
せっかくなので『アウトロー俳句』の惹句から一部引いておく。

そんな歌舞伎町の路地の奥で、やりきれない思いを俳句に載せて詠み明かす人たちがいる。
元ホスト、バーテンダー、女装家、鬱病・依存症患者、ニート……。
“はみ出し者"ばかりだ。
これは、新宿のアウトローたちが贈る不寛容な時代に疲れたあなたのためのアンソロジー(句集)である。
https://www.amazon.co.jp/新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」-アウトロー俳句-北大路翼/dp/4309026419/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1527466887&sr=1-1&keywords=アウトロー俳句

当日は、主催である邑書林社主島田牙城氏の広報も功を奏し、60人を超える参加者があったそうだ。参加者のなかには東京、広島、福岡の俳人もおり、また関西の歌人、川柳人の姿もあった。その詳報は「里」2018年5月号に掲載されている。
記録上ではうかがいづらいが、当日は開演前から司会や登壇者が飲酒しながらのトークショーだったため対談というよりくつろいだ放談スタイルといった雰囲気だった。
とはいえ、そこかしこに両者の俳句観の違いが鋭く対立し、興味深い内容になっていた。

上田はまず「祈る俳句」という当日のテーマにあわせて、自分と北大路との違いを、「翼さんは、俳句で人を救ってるじゃないですか。そういう役を引き受けてるじゃない。僕は割と自分の喜びのために書くタイプ」だと分析する。そして「翼さんとやってる人たちは、翼さんに向けて書けばいいというところがあると思うけれど、もうちょっと高いところに向けて書くほうがより「お祈り」的かなって思う」という。
北大路はその意見に若干の違和感を示しつつ、読者より作者の一回性を反映できるような句が生まれることを「祈る」のだ、という。「でも一回性っていうのは年を取ってもあり続けるものだし、あのときにしかできなかったという言い訳をしたくはない。自分のピークの部分だけが一回というわけではなく、生きている限りその時ごとに違うんだから。」

上田も「一回性」の価値については認めているが、ここでいう「高いところ」という表現が、かつて同人誌『ku+クプラス』で「いい俳句。」を特集した上田の面目躍如ではなかったか。(参考:俳句評 「クプラス」創刊号について 田村 元https://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/6d2245a21a1fd906a7ebc5043bd1bd52)

上田は北大路の句を「ガチで選んだ」結果、「普通に俳句らしい句」になった、という。
だが、上田自身も指摘しているとおり「良くない句もトータルで評価しないとだめ」なのである。つまり、一面では北大路翼という作家を取り上げたことにはならないし、北大路翼がメディアに求められる理由もわからない。
「単に、翼さん本人を好きなだけだとさ、面白い句がいい、ということになっちゃうんだよ。でもこの人が書いているもので例えば、二十年後、三十年後、本人がいなくなっちゃっても、あんな句があったねって思い出せるようなものは、この人の人格と絡んでいて、普通の俳句じゃなく、かつ俳句として新しいところがあるものだろうと。」

俳句を価値づける基準とは何か。
そのひとつは、俳句が「残る」こと、つまり文学史、表現史に記載する価値のある句だということだろう。それはある意味で読者、鑑賞者にとっての価値だ。
上田の「高いところ」は、そうしたときの「いい俳句」であるように思われる。上田は質疑応答(何と戦っているか/小池康生の質問)のなかで「自分が勝手にここが俳句だと思うんだけどなあ、という部分を受け取ってもらえるように書くことが、ひょっとしたら戦いと言っていいことなのかもしれません」と述べている。
一方、北大路は同じ質問に、「俳壇の政治性ですね」と答える。「アウトロー」という肩書にふさわしい回答だが、実は北大路は「文法的な冒険ができない」し、実は俳人協会理事の今井聖に師事し、「普通にいい俳句」も多く作る。
北大路が、「俳壇」なる、実体不明なものと対決しようとするとき、「歌舞伎町」の「アウトロー」は、「北大路翼」というキャラクター像形成のための必須条件となる。そのキャラクターを必要としているのは、作者なのか読者なのか。

もうひとつ、『アウトロー俳句』が話題になった場がある。
およそ一ヶ月後の4月22日(日)、東京荒川区ゆいの森ホールで行われた現代俳句協会青年部主催シンポジウム「俳句の輪郭」である。企画趣意をひく。

現代俳句協会編『昭和俳句作品年表』戦前戦中篇・戦後篇の刊行は、昭和の俳句表現史の高みを一望する画期的な成果であった。一方で「大衆の文学」と称される俳句において、表現史には浮かび上がらない、地方結社や新聞俳壇で活動した無数の投句者、俳句愛好家の存在も大きかったことは、言うまでもない。従来の俳句史では周縁に位置づけられた作家たちの活動こそ、我々が半ば自明のものとしてきた「俳句」らしさ、いわば「俳句の輪郭」を形成したといえるのではないか。 平成の終わろうとしている今、これまでの俳句史の編み方に疑問を抱き、捉え直す動きが活発化している。批評・実作を通じて上記の問題を提起してきたパネリストとともに、俳句を「詠む/読む」行為を捉え直したい。
http://gendaihaikukyokai-seinenbu.blogspot.jp/2018/02/26.html

基調講演は秋尾敏氏(現代俳句協会副会長、「軸」主宰)、外山一機氏(「鬣TATEGAMI」同人)、コメンテイターに青木亮人氏(愛媛大学准教授)、安里琉太(「群青」副編集長「銀化」同人)、司会に久留島元。

手前味噌だがこのテーマを据えたことは非常に画期的だったと思っている。
当日の議論は多岐に亘る。概要は『現代俳句』にて掲載される予定なので、ここではディスカッションのなかで出された興味深い発言のいくつかを紹介しよう。

秋尾氏は、テレビのバラエティなどで俳句を日常的に楽しんでいる人口を1000万人と推計し、こうした俳句文化の総体は「文学だけではとらえられない」と表明した。経済、社会問題、脳科学、賭博、さまざまな観点からの考察が必要というのである。
そのうえで秋尾氏は、現在の俳句史はライブではなく、ジャズで言うシャリコマ(コマーシャリズム)であり、資本主義と結びついた文字文化、出版文化のなかで文学史が編まれていることを見直すべきだという見解を提示した。
また当日の議論では外山氏が、「ホトトギス」初期に活動した長谷川かな女周辺の言動をもとに、俳句を宗教のような精神の安らぎとしてとらえていた女性俳人たちの存在を指摘した。青木氏からはハワイの日系移民が生活のなかで楽しんだ俳句、安里氏からは「沖縄俳句」としてまとめられている作家たちに関する問題提起があった。
こうした立場にたつとき、「アウトロー俳句」の名のもと集まっていた、現代のマイノリティを自負する作家たち(細かいことだが彼らは「はみ出し者」だが「無法者」ではないようだ)が、実は俳句史にとって目新しくはなかったことに、感じ入らざるをえない。
外山一氏は「アウトロー俳句」についてもたびたび違和感を表明しており、この日も「俳句によって救われている。しかし明日の俳句にはつながらない、それでもいいんだよね、と確認しながら読んでいる」といった発言があった。
だが、むしろ社会秩序からはみ出した者を受容する別の価値観、秩序、それこそ「俳」だと考えるならば、北大路翼を「家元」に仰ぐ彼らこそ、「俳」である。
また「歌舞伎町」の「アウトロー」というキャラクター性がメディアに消費されていくことさえも、私たちは、いつかよく見てきた、俳句史の場面を思い起こしてしまうのではないか。
私たちの俳句史には、女流俳句、沖縄俳句、療養俳句、さまざまな冠によって名づけられてきた「マイノリティによる俳句史」が、あった。同時にそうした「マイノリティ」のラベリングは、私たちの関心を呼び、メディアを消費するきっかけにもなる。
実際にはここで「私たち」と安易に複数形を用いることは一種の欺瞞だ。
それを承知であえていうなら、この「私たち」は、不特定対数の読者である「私たち」だ。
「私たち」の俳句史が抱え込み、消費し、かつ、類型化のなかで見えなくしてきたものは何だったか、改めて問い直すべき時に来ているのではないだろうか。

実は筆者は、「祈る俳句」主催の島田氏から宴席の乾杯発声として指名された。

既述のとおりすでに参加者も飲み始めているのだから乾杯もなにもあったものではないが、ともかく当日述べたのは「私の目指している俳句と上田、北大路氏の俳句は違うし、賛同もしていないが、二人の興味深い作家に会いたいと思った。俳句はそういうところがある。違う俳句に是非出会ってほしい」といったようなことであった。
「俳句」に関わる「私たち」という欺瞞のなかで見えなくなってしまう「違い」を意識しつつも、互いの存在に向き合うことは怠ってはいけないと思う。

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