「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 四月の底に沈める カニエ・ナハ

2016年04月01日 | 日記
 3月26日土曜日の東京新聞・中日新聞夕刊「詩歌への招待」というコーナーに詩と小文を掲載していただいたのですが、同コーナーはこの「詩客」と同様に、俳句、短歌、現代詩の三詩型が掲載されていて、それぞれ作品と、解題的な小文が掲載されています。月イチで掲載のコーナーとのことで、次回は4月下旬でしょうか。3月の回の短歌は飯田彩乃さんで、俳句は藤井あかりさん。藤井さんの御作品、私ははじめて拝読したのですが、作品の下に掲載されているプロフィールを拝読すると、私と同年、同県のお生まれということで、親近感をもちました。昨年、展覧会の企画でご一緒させていただいた美術家の毛利悠子さんも、同年、同県のお生まれで、勝手に親近感をいだいているのですが、なんなのでしょうか、この同年に同県で生まれたというだけで、それを知っただけで感じる親近感の魔法は。同年、同県生まれの方がご活躍していると、自分もがんばらなくてはと思いますし、反対に、同年、同県生まれのみなさまをがっかりさせてはならないと、悪いことはできないという思いも強くいたします。みなさんも、挫けそうになったときや犯罪に手を染めそうになったとき、道に迷って途方に暮れたとき、眠れなくて未明、この世にわかりあえるひとなど誰ひとりいないのではないかと思ってしまうような未明、どうか、あなたの同年、同県生まれの方たちのことを思い出してください。藤井さんの東京新聞・中日新聞掲載の「沈下」と題された七句、いずれも惹かれましたが、いちばん後ろに置かれた、

  花冷の便箋に字を沈めゆく

にとりわけ心惹かれました。私は森山直太朗さんの歌が好きで、一時期はファンクラブに入って熱心にライヴにも通っていたのですが、彼の「さくら」は、いまさら私がわざわざ申し上げるまでもなく、松任谷由実さんの「経る時」などと並んで、いわゆる「さくらソング」史上屈指の傑作と思いますが、「さくら」の、シングル盤だとB面(とあえていいたい)に入っている「手紙」という歌が、私は「さくら」以上の名曲だと思っているのですが、「新しいこの街にも すこしずつ慣れてきたよ/昨日から降り続く雨に 布団はびしょ濡れだけど」の歌いだし、あるいは書きだしから、やられてしまいます。「さくら」のB面に置かれているので、季節が明示されてはいないのだけど、この主人公が手紙を書いているのは花冷のころなのでは、と想像します。藤井あかりさんに戻ると、作品のあとに置かれた小文には、後半、「書き留めた字がしばらく揺らめき、それから紙の底にしんと沈んでゆくとき、いいようのない感覚を味わう。時々、自分も一緒に沈んでしまいたくなる。」とあり、藤井さんは手書きで原稿を書かれているのでしょうか。俳句の方は、やはり手書きで書かれる方が多いのでしょうか。私も数年前は手書きで書いていたのですが、(詩集毎に制作方法を変えるので、)最近はパソコンです。この原稿もパソコンでうっています。パソコンでディスプレイにうたれた文字は、沈んでいくのではなく、光の粒子となって、やがて浮かびあがって、霧散していくような気がします。それもまた、よいような気もしています。松任谷由実さん「経る時」の主人公は、千鳥ヶ淵にかつてあった「さびれたホテル」の、「ティールーム」の窓から、「水路に散る桜」を眺めていますが、「四月ごとに同じ席は/うす紅の砂時計の底になる」とうたわれます。歌詞のなかには書かれていませんが、この主人公は、ティールームの窓辺の席で散りゆく桜を眺めながら、便箋に手紙を書いていたのではと想像します。手紙は出されることなく、四月の席に、文字とともに置き去りにされたまま、今年もうす紅の砂時計の底に、静かに、あまりにも静かに横たわっています。

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