「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評168回 俳句甲子園地方大会最優秀句を読む 谷村 行海

2023年06月28日 | 日記
 6月18日をもち、俳句甲子園の地方大会がすべて終了となった。今年の地方大会の題は「日永」「草餅」「ヒヤシンス」の三つ。各会場ではそれぞれの題による熱戦が繰り広げられたが、コロナの影響により、観客を入れての開催ができたのは一部の会場だけであった。しかし、俳句甲子園の公式HPでは、地方大会での最優秀句が発表されている。そこで、地方大会の最優秀句から、気になった句を今回は鑑賞していきたい。

相槌に溢れ⽇永の進路室 ⾕⼝春菜

 「高校生らしさ」「学生らしさ」という言葉に私は肯定的ではないのだが、学生時代にしか体験できないこと、学生時代だからこその感慨というものがあるのも事実ではある。この句では、進路相談という学生時代特有の景を詠みこんでいる。進路に対する悩みに対し、教師はそれを否定するのではなく肯定し続けてくれている。だが、肯定も度を過ぎると胡散臭さが生じてくる。作者は松山東高校の三年生。進路については今後も大いに悩む時期が来ることだろうが、我が道を切り開いていってほしい。

会いたくて会いたくなくて日の永き 井桁さやか

 前回の俳句時評では「J-POP的な俳句」(https://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/69ef7877aa5fce90dc1e32e2e58fa21f)というものを書いた。この句を見た時、私は真っ先に西野カナが思い浮かんでしまった。だが、よくよく見返すと季語が抜群に効いているように思える。フレーズから思いついて季語を組み合わせたのか、季語からフレーズを思いついたのかは作者にしかわからないことだが、どちらにせよ、このフレーズにこの季語を合わせることにより、フレーズの持つインパクトが十二分に強調されている。J-POPにはない詩情が季語の効果によって浮き上がってくる。

草餅のいつしか全員が正座 辻村幸多

 「の」が良い。「や」だと「いつしか」というふとした瞬間の気づきが薄れてしまうため、「の」によってやんわりとつなぐことにより、気づきの瞬間の驚きというものが出る。また、「の」でつなぐことによって一句をすっと読むことができるようになり、句またがりの箇所もすんなりと声にして読み上げることができる。内容面だけでなく、技術的にも優れた句であると思う。

マントルはたしかに流れ草の餅 田村謙悟

 想像力の豊かさを感じる一句。草餅を食べている時、こんなことを思う人がはたしてどれだけいることだろうか。だが、作者はそう感じてしまう。地球と一体化したかのような感覚がそこにはあり、地球が生まれてからの長い時間の流れをも感じさせてくれる。そして、このような俳句を見てしまうと、次に草餅を実際に目にした時にマントルのことをふと思い返してしまいそうなほど、他者をも引き込む力を秘めている。

友⼈のきれいなサ⾏ヒヤシンス ⼩島わこ

 最初は何のことかわからなかったが、作者が青森の弘前高校の生徒であるということを知り、急に納得した。青森は訛が激しいとはよく言われている。特に、サ行については発音をした際に「さ」と言ったとしても「す」と聞こえるなど、なかなかに聞き取りに苦労する。ゆえに、きれいにサ行の発音をできる友人に憧れを抱いてしまうのだろう。これは地方大会という場だからこそ最優秀句に選ばれた句であり、その地方の独自性が出た句でもあると言える。

ヒヤシンスと話せる祖母を見てしまふ 鈴木丈太朗

 現在、祖父母と同居していない世帯のほうが割合としては多い。同居しているのであれば祖父母は近い存在だが、同居していない場合、特定の時期にのみ会う存在であり、祖父母は遠い存在になってしまう。つまり、親戚のなかにおいて祖父母の存在は近いようでいて遠い存在だ。だからこそ、祖母の不思議な姿を見た時の衝撃は大きいものとなる。血縁的には近いわけだから、「自分にももしかしたら……」という思いが生じてしまう。これが叔父や叔母であればそこまで衝撃は大きくないことだろう。「見てしまふ」とだけ言い表すことにより、言葉にできない衝撃具合が強まっているように思える。

 以上、各題から二句ずつ気になった句をとりあげた。
 今年度は地方大会が無観客で実施された会場がほとんどであったが、現実的に困難かもしれぬものの、配信があると大変にありがたい。そして、8月19日からの全国大会では、有観客の状態で大会が開かれることを心から願っている。

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