今年度(2021年度)は全4回の「俳句時評」を依頼されている。私はすでにあちこちで「日本の俳句は死んだ」と述べているのだし、いまさらドメスティックな文脈を掘り起こしてコメントをする、というスタイルの「時評」には関心もないし、書く気も起こらない。だから、「日本の俳句」の死後の・それ以降の・「日本の」という冠を外した・日本の文脈から自由な俳句作品を発掘して、論評したい。そうした作品をさしあたり「惑星的(planetary)」と形容することにする。internationalでもなく、globalでもない。「反グローバリゼーション」の含意をplanetaryにもたせて――敵の概念を上書きする意図で――用いたのはインド出身の文学者ガヤトリ・C・スピヴァクであった。
ここでの私の文脈を明確にするため、これまで断片的に書いてきたことをまとめておこう。たとえば私は昨年、次のように述べた。
「日本の俳句」は一九八三年七月八日の日付をもって死んだ。以降、自らが死んでいることに気づかないゾンビ俳句がこの国を徘徊している。これらの屍体処理、死亡手続きを済ませることが、我々世代の課題である。(斎藤秀雄「球面上をたゆたふもの」『俳句四季』2020年12月号)
この日付、1983年7月8日という日付の送付先は、高柳重信の逝去である。短い文章だから、私の意味すること(言わんとすること)がこれで十全に伝わるわけがないし、それでよいのだが、ここで私は、優れた俳句作家が失われたことを嘆き、感傷的に「日本の俳句は死んだ」と述べているのではない。書かれる俳句作品の質が低下したと言っているのでもない。重信の死とは、優れた編集者の死である。さいきん私は次のようにも述べた。
周知の通り、重信という有能な編集者を失った「日本の俳句」は死んだ。むろん、突然死を迎えたわけではない。浸潤するような、緩慢な死を迎えたのだ。問題はない。「日本の俳句」が死んだなら、俳句が残るだけだ。(斎藤秀雄「惑星に向かう地下道――夏石番矢『メトロポリティック』について」『吟遊』第90号)
重信逝去の年に『俳句評論』は終刊し、1986年には某巨大資本出版社が『俳句研究』を買収、誌名のみは残ったものの、紆余曲折を経て2011年には再度「休刊」へと至った。こうした事態がもたらしたのは、〈評論〉の氾濫と〈批評〉の消滅である。ここで私は〈評論/批評〉という区別を、独特のやり方で実行していることに注意して欲しい。私は2019年に発表した論文で次のように述べた。
ここで「評論」をファースト・オーダーの観察にもとづく記述、「批評」をセカンド・オーダーの観察にもとづく記述と言い換えることもできる。見事な評論もあれば、陳腐な批評もあるだろう(しかし誰にとって「見事」で、誰にとって「陳腐」なのかが問われなければならない)。(斎藤秀雄「形式の観察/観察の形式――批評理論のルーマン」『誌』vol.2)
観察者は観察を実行する。世界全体を観察するかもしれない。このとき観察者は、自己にとって知覚可能なものを観察する。つまり、見ることができないものを、見ることができないのである。カントは対象を概念ではなく〈快/不快〉に直接結びつける判断を「趣味判断」と呼んだ。芸術作品――俳句作品を一例として考えてみればよい――を趣味的に判断するさい(つまり「良い」だとか「好き」だとか感じるさい)、この観察者は知覚可能なものを知覚しているのである。自己の知覚内容をすべて言語に翻訳することは不可能であるにせよ、「私はこれを好きだ」とか「美しいと思う」だとか表明することは、すべて〈評論〉である。「私はこれを俳句であると思わない」という表明でも同様である。このときこの観察者は〈俳句である/でない〉という形式を用いて、区別し、一方の側(ここでは〈でない〉の側)を指し示している。ニクラス・ルーマンによるならば《ある区別を、その一方の側を(他方の側をではなく)指し示すための作動として用いること(略)われわれは形式のこの使用を、観察と呼ぶ》(馬場靖雄訳『社会の芸術』)ということになる。すべての観察は観察者によって実行されるが、このとき観察者は使用する形式に拘束されており、その形式が見ることができないもの(盲点)を見ることができない。観察者はこのとき《排除された第三項》(同前)である。たとえば私はここで〈評論/批評〉という形式を用いて観察を行っているが、この形式が見ることができないものを見ることができていないのである。
観察が観察されるとき、はじめて〈ファースト・オーダーの観察/セカンド・オーダーの観察〉という区別を導入することができる。観察の観察をセカンド・オーダーの観察と呼ぶ。セカンド・オーダーの観察も、観察である以上、作動のうえではファースト・オーダーの観察である。事情が異なってくるのは、セカンド・オーダーの観察のばあい、観察対象である観察がいかなる区別を用いているか、という点を指し示すことになるからであり、区別と指し示しの区別に直面するからである。
ファースト・オーダーの観察とは指し示すことであるが、そこではまた不可避的に、指し示されないものとの区別が生じてもいる。ただしその際、指し示しと区別の区別がテーマとして採り上げられることはない。視線はあくまで事柄のほうへ向けられているのである。観察者自身および観察することは、観察されないままである。また、観察者それ自体を観察対象から区別する必要もない。(ルーマン、前掲)
ファースト・オーダーの観察者は俳句作品へ視線を向けるだろう。肯定/否定の形式であれ、上手い/下手の形式であれ、革新的/伝統的の形式であれ、それらの複合によるのであれ、指し示すだろう。かの悪名高き「解釈」が生じるかもしれない。「私はこの作品についてこう思う」という〈評論〉が書かれたとして、「いや、私はそうは思わない。私はこう思う」と「反論」がなされたとしても、〈評論〉が接続してゆくだけである。これに対し、〈批評〉は――ここでは俳句作品がテーマになっているのだから、当該作品が視野に入っていることは当然だとしても――観察者の観察を観察する。対象となる観察が、自己によるものであれ他者によるものであれ、ファースト・オーダーの観察者の、知覚の条件を問う。このとき、たとえば、ファースト・オーダーの観察者の下した評価が、それまでに読んできた作品の知覚の蓄積による「習慣」に過ぎないことを(すなわち趣味判断に過ぎないことを)観察するかもしれない。
俳句における批評(セカンド・オーダーの観察)が死滅することは、すなわち、俳句が俳句でないものから分出(Ausdifferenzierung)することの、可能性の条件が消滅することである。近代社会が機能的に分化(funktionale Differenzierung)した社会であることは、すでに19世紀の終わりから論じられている自明の前提であるが(そしてこのことは、学問としての社会学が保ち続けることに成功している数少ないテーゼのうちのひとつであるが)、《近代社会の諸機能システムが成立しているのはセカンド・オーダーの観察のレヴェルにおいてである》(ルーマン、前掲)。たとえば学システムが〈真/非真〉の二値コードを有意義に働かせる(第三項を排除する)のは、「ペーパー(論文)」が書かれ、他の観察者に観察をさらすことによってはじめて可能になることである。ファースト・オーダーの観察者としての科学者は、実験室においてさまざまなことを為しうるからだ。ゆえに、近代社会の近代化には出版物(印刷技術)が欠かせなかったのである。芸術は、宗教から、道徳から、宮廷文化から、学問から、みずからを分出させる必要があったのであり、そうでなければ、ひとつの芸術作品を別のなにか(たとえば制汗剤や貨幣)から区別して「芸術作品である」と述べること(観察すること=指し示すこと)が不可能なのである(ただしこのことは、制汗剤や貨幣を芸術作品の媒質として使用することができない、ということを意味しない)。このことが成し遂げられたのは、ようやく18世紀に至ってからのことだ。そして俳句においては、子規によるモダニズムのプロジェクトを待たなければならなかった。
モダニズムのプロジェクトとしての俳句は、日本においては、「未完のプロジェクト」(ハーバーマス)として、編集者・重信の死によって途切れてしまう。その理由については推測するしかないが、たんじゅんに、ドキュメント化を怠り、仕事を属人化する、という、近年消えてゆく「昔ながらの」組織と同じ末路を辿ったということに過ぎないだろう。いずれにせよ、ここでは、俳句を俳句と呼ぶことを可能にする条件の消失という事態が、重信の死をきっかけに明らかになっていったことを抑えておけば充分だろう。そして私がここで「惑星的」と形容する俳句作品は、たんにこの日本の文脈から逃れることができているというだけでよいのであり、居住地も使用言語も作者の傾性も関係がない、ということを抑えておけば、さしあたり私の行論にとっては充分である。
以上述べたことに付け加えておくならば、「我々世代の課題」である「ゾンビ俳句の屍体処理」には、オリエンタリズムへの抵抗も含まれるだろう。20世紀中葉以降の英語圏における、R・H・ブライス『俳句 第一巻~第四巻』(1949~1952年)とその影響下にあるもののなかに、また、ロラン・バルトによる不思議な俳句論(『表徴の帝国』所収)に典型的にあらわれているオリエンタリズム(ありていにいえば人種差別)への抵抗である。そしてまたそれは、オリエンタリズムのまなざしを内面化し、それを喜ばせようと媚態を作る、ある種の「傾性」への抵抗でもある。この傾性を備えた潮流のヘゲモニーのうちに、「国際歳時記」のたぐいの文化帝国主義が位置づけられることは言うまでもない(「歳時記」自体が中華思想および征夷(=帝国主義)に起源をもち、のちにナショナリズムの装置として機能したのであるが)。
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ここから私が行うのは評論である。批評の観点からあれこれを取捨選択しているとはいえ、個別の作品に対峙するとき、まずは評論的にならなければならない。ここで取り上げる三名の作家は、私がここまで述べてきたことに同意しないだろう。「日本の俳句」を愛し、日本の文脈のなかで書いていると自ら考えているかもしれない。しかしそのことは、私の関心の外にある。なお余談ながら、私は、作品に署名をなすという奇習自体に反対する立場であり、それゆえ作家名を手がかりとするこうしたスタイルの評を書くことは、不本意であることを付け加えておく。
日本語圏の俳句作家で、現在もっとも注目すべきひとりが古田嘉彦であるということに、異論があるものは少ないだろう。古田は『虹霓鈔記』『純粋雨期』『展翅板』の三冊の句集をこれまでに上梓しており、日英対訳のSelected Haiku (tr. Eric Selland)をCyberwit.netから出している。第三句集『展翅板』からみてみよう。
――とっても――がいつか人形になって卯月 古田嘉彦『展翅板』
ダッシュは、紙面では1.5倍角ほどの長さになっている。ここには、私が古田作品の典型的特徴のうちのひとつと考えている、語(ここでは副詞《とっても》)の名詞化というレトリックがみられる。私は同人誌『We』11号掲載の評論文において、破格(五十嵐力のいう「超格法」)の一事例としてこの作品を引いたのだが、あらゆる語は名詞になりうるのであるから("The is an article"という文を考えればよい)、必ずしも文法的な破格とはいえない。とはいえ、ここでは「《とっても》という語が」と読むことはほとんど不可能である。副詞が副詞のまま、修飾する用言を失って宙吊りになり、やがて物(Dinge)として(ないし準‐物(Quasi-Dinge)として)固定される。仮にここを「はなはだしさ」のような抽象名詞に交換しても、充分に不思議なポエジーを生むと思われるが、そのばあい語用論上の飛躍は生じない。《とっても》を主語にすることにより、語用論的かつ意味論的な衝撃、パニックを生じさせることに成功している。《卯月》は初夏(新暦五月頃)であろうから、生命力にみなぎる人形という、妖しいイメージも喚起する。なお、「古田作品の典型的特徴」には他に、活字のポイントを下げて書かれた長い詞書(優れた散文詩になっている)、カリグラム的ともいえる記号の多用、が挙げられるが、紙面(web面?)の都合上、紹介することができないのが残念である。
白を循環 花を前に 古田嘉彦「浴衣」『吟遊』No.88
同人誌『吟遊』掲載の連作「浴衣」より(この連作は素晴らしい作品が揃っている)。省略がつきつめられた作品であるようにみえる。だが、なにかが「省略」されているといえるだろうか。述語を要求する助詞《を》が二度出現する。第一の《を》を受ける述語は「する」「させる」などだろうか。第二の《を》を受ける述語は「出す」「押す」「引く」「する」などだろうか。まずはこれらの決定不可能性の前に立たされる。第一の《を》については、「循環する」と「循環させる」では、語り手の位置も異なり、結果として結像する景も異なる。第二の《を》では、無数の述語が考えられ(「撮る」というありふれた動作も考えられる)、《花》と語り手の位置関係がここでも拡散(散種)する。さらに一字の空白は、「花を前に循環する/させる」と読んでよいのか否かをも決定不能にする。
この作品が備える、特別に不思議な性質は、まずはこの決定不可能性そのものの呈示が、この作品の伝達=行為遂行であるといえる一方で、しかしながら動的な・時間的な(静止画的ではない)景をはっきりと見せている点である。散種する意味・像・感触が、一挙に手渡される。「循環する」と「循環させる」は同時に生じる。語り手は、上空から《白》を《循環》させる。かつ、その《循環》のなかを漂う小舟のような一枚の葉である。語り手の位置を一箇所に定める必要はない。夢のなかでは誰もがそうであるように。語り手は、花を前にして白を循環させつつ循環し、花を前方に押し出し、前方に引き出す。そして白のなかから花を引きずり出しつつ、家族と写真を撮る。ここで気づくのは、《白》《花》《前》がそれぞれ――フロイトの概念をやや逸脱させつつ用いるなら――「物表象(Sachvorstellung)」の成分(=視覚的)をはっきりと備えるのに対し、《循環》は「語表象(Wortvorstellung)」としての成分(=聴覚的)を多くもつ(視覚的要素に乏しい)ように思われるということだ。フロイトにならうならば、《循環》は無意識(エス)の領域に「あまり」属していない、となりそうだが、我々は「循環する感じ」を、いわば触覚的に溜め込んでいるのではないか。助詞はおそらく、いわば夢の論理を事後的に構成する偶発的な材料であり、意味内容をもたない。夢の論理において「鳥がのぼる」ことと「鳥をのぼる」ことは等価だ。この作品を前にしたとき、夢をみるようには、すんなりと像が結ばないことに一瞬たじろぐのは、《循環》の語に物表象の成分が乏しいからではないか。しかし、読みつつやがて夢に落ちてゆく理由はまた、《循環》の語に触覚的成分が深く刻まれているからではないか。
鉄道員胞子化うながされ銀河に 古田嘉彦「夜明け」『LOTUS』No.44
やや「難解な」作品をふたつ続けて読んだ。ここで、古田はこのようにシンプルで美しい、叙情的な作品も書いていることを示しておこう。同人誌『LOTUS』掲載の連作「夜明け」より。《胞子》という語から私が抱くイメージは、土筆やきのこであるが、季語《銀河》があることから、ここではきのこをイメージするべきだろうか。《鉄道員》はまっしろな《胞子》となり、さらさらと風に流され、夜空の天の川に生成変化する。同連作には《強酸性の白 完全に麻痺した塩田》というまさに《白》をテーマにした作品もあるのだが、むしろこちらの作品のほうが、強烈に白さを印象づける。《銀河》(Milky Way)という語のもつミルクの視覚的要素があるからだろうか。むろんここでは『銀河鉄道の夜』が想起され、その意味では《鉄道員》と《銀河》は「つきすぎ」ではある。が、この作品の不思議さは、《うながされ》にあるだろう。「胞子化して」「胞子となって」などではなぜいけなかったのか。たんに受動の感じを出すためなら「胞子化され」などでもよかったはずだ。《うながされ》には、アクションの連鎖のクッションの感触がある。促す何事かがあり、《鉄道員》は半分能動的に、半分受動的に、《胞子》になることを決意する。この意志の変化プロセスの感覚、アクションがいったん立ち止まる感覚は、きのこのやわらかい肉を思わせる。
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インターネットはすでに長い歴史をもつが、web技術によるSNSの隆盛、という現在性において、亀山朧という作家は際立っている。亀山は主要にはTwitterを作品の発表の場としている。そのため、たとえば句集や俳誌のバックナンバーをめくって論じる、というやり方が通用しない。その点も旧来の俳句作家とは異質で面白い点だ。とはいえ、少数ながらも誌面に印刷された作品もあり、そこからみてみたい。
鱈しかし「美とはパニックである」鱈 亀山朧「鱈しかし」『We』No.10
同人誌『We』掲載の連作「鱈しかし」より(初出はTwitter、2019年11月23日)。ここには、私が亀山作品の典型的特徴のうちのひとつと考えている、言葉の多相性へのフェティシズムがみられる。わざわざ「多相性」と私が述べるのは、しばしば亀山作品は「韻律のよさ」「音楽的なよさ」において語られるからだ。間違ってはいないが、むしろ「韻律も」「音楽的にも」よい、というべきだろう。言葉の、音像・表記像・意味・隠喩を含む語に付随する各種知覚、等々はそれぞれに混淆しているのであって、分節することができない。亀山の作品においてはしばしば、第一の語の意味に第二の語の音像が接続し、これに第三の語の表記像が接続する、といったような事態が生じる。そしてこの一連の流れ・切断と並行して、音像によるシンコペーションの戯れが、リズムを成す。この汚染混淆(contamination)は、言葉の運用の逸脱ではなくむしろ言語の芯、原‐言語といってよい。それゆえ、意味からの侵襲を仮想的に排除する、旧来の「音韻論」はそもそも不可能な試みなのである。
この作品において、括弧内は《美》についての定義の外観をしている。が、隠喩的に侵襲し、作品の自己言及のようにも感じられる。それは《鱈》と《しかし》との接合がパニック的に捩れているからではないか。これに対し、(『We』11号での作品評でも述べたことだが)《である》と《鱈》との接合は滑らかに感じられる。こうした感触そのものが不思議であり、面白い。末尾の「である‐鱈」の滑らかさは、たんじゅんに終止形と連体形が同形であることがもたらしているのかもしれない。係・終助詞「たら」として《鱈》(の音像)が機能しているのかもしれない(「あなたったら」の「たら」)。かつて一部の俳人が「けり」を「鳧」と表記したことが連想されるのかもしれない。しかし助詞または助動詞として《鱈》が機能するには「あるったら」「ありたり」でなければならず、後者にいたっては「たら」でさえない。冒頭の「鱈‐しかし」の捩れは、いま立てたような仮説にならうなら、接続詞《しかし》に先行する語として口語助動詞「た」(終止形)または文語助動詞「たり」(終止形または連用形)であることが期待されるものの、《鱈》の音像(たら)は、「た」の仮定形または「たり」の未然形の感触を与え、《しかし》との接合において破格な印象を与えているのかもしれない。しかしこれらのような仮説をいくら立ててみても、いっこうに正解(ないし納得感)にたどり着かないのは、《鱈》の意味(物表象)が、鉤括弧の前後で顔をのぞかせるからだ。とくに末尾の《鱈》は、鉤括弧の発言を固体化し、看板の影からひょっこり現れる映像を結ぶ。この作品については、もう一点、《鱈》という不思議な国字、日本で作られて中国でも使われるようになった美しい文字と、《美》という左右対称の文字のみが漢字で表記されていることの、視覚的なリズムを指摘しておきたい。
こんにちは まほら。こはれさう、しーちきん、 亀山朧「ちがう気がして」『We』No.11
同人誌『We』掲載の特別作品「ちがう気がして」より。ここでは言葉の多相性へのフェティシズムが、空白・句読点といった記号に拡張されている(記事執筆時点で、改行や空行という言葉への拡張を、Twitterへの投稿においてみることができる)。これらの記号は言葉に後から付け加えられた付随的なものではなく、言葉以外ではない、原‐記号というべきものである。ここではまず、音像のつくるリズム、および句点によって、対句表現として読むことを促される。促されるままに、いちおうの像を結ぶこともできる。すなわち、《まほら》(「まほろば」、素晴らしい場所の意)と語り手が呼ぶ草原で、ピクニック・バスケットを開き、材料だけ持ってきたツナ・サンドイッチをその場でいままさに作ろうとしているのだ、と。しかし、あらかじめ、この読みに疑いを差し挟むことを促すように、表記は巧まれている。さしあたり対句といっておいた、前半のかたまりには空白があり、語り手が《まほら》に《こんにちは》と呼びかけている、と読むことを、否定はしないものの、疑わせる。呼びかけだとするなら、「こんにちは、まほら。」とすることも可能なはずだが、そこまでタイトなフレーズではないように感じられるのだ。後半のかたまりには読点が連続しており、《シーチキン》が《こはれさう》である、と読むことを、否定はしないものの、疑わせる。《シーチキン》とはいかにも《こはれさう》なものだとしても、である。もしもそうなら、ここもやはり「こはれさう、シーチキン。」とタイトにすることで、像(意味)を確実にするはずではないか。つまりここでは、空白や句読点が、テクストをルースなものにし、アンフォルメル(無定型)にすることが巧まれているともいえる。とくに後半の《こはれさう、シーチキン、》という途切れ途切れの言い差し、つぶやきは、語を文へと統語しようとする欲望よりも、めくるめく眼前の変転への感嘆、圧倒されることによる動転の情感が上回っているようにみえる。《まほら》はいままさに、固まる前のマグマそのものであり、終末のようにも始原のようにも思われる(おそらく、同時にどちらも、であろう)。このとき相対的にタイトなフレーズは《まほら。こはれさう》であって、ここでは句点は切っているのではなく繋いでいるのだ。《こんにちは 》とは、一字分の空白の距離をおいて目にしている、語り手から世界の始原=終末に対するあいさつであり、そして《シーチキン、》という自動連想のような言葉が、語り手のまなざしに稚気のような無垢さを与えている。なお、この作品では歴史的仮名遣いが用いられているが、亀山は新仮名遣いを基本としているものの、通常の(正式化された)ものとは異なる擬似的な歴史的仮名遣いを用いることもあり(森鴎外や立原道造らが行ったように)、表記に対するフェティッシュな感覚も鋭敏であることを付け加えておきたい。
蜃気楼あなたを産んでみたかった 亀山朧(Twitter、2020年4月20日)
Twitterに2020年4月20日付で投稿された作品。この作品の一年後、2021年4月28日に亀山は《あなたから生まれる母乎ほたるいか》という作品を投稿している。これらは、時間の継時性の逆転、というモチーフを共有するものの、与える印象はまるで異なる。この差異に着目してみよう。《ほたるいか》における《あなた》が、語り手にとっての祖母であるのか否か、判別はできない(ここで、「《あなた》はあなたにとっての娘をこれから生み、やがてその子は《母》になるのだろうか」と読むことは、排除はされないものの、亀山作品においては考えにくいものとして、いったん退けておこう)。つまり、(1)あなたを生むはずのあなたの母をあなたはこれから生むのか、ということなのか、(2)私を生むはずの私の母をあなたはこれから生むのか、ということなのか、書かれてあることからは分からない。(2)のばあいには、《あなた》はこれから語り手にとっての祖母に成ることになる。どちらにしても不思議なパラドクスに満ちており、魅力的であることには変わりがないが、〈語り手‐あなた‐母〉のトライアングルは、それぞれに隔たりがあり、こういってよければ緊張感さえある(一度退けておいた、「あなたは娘を生む」という読みを復活させるなら、〈あなた‐娘‐娘の子〉のトライアングルになり、語り手からはさらに隔たることになる)。
一方、《蜃気楼》においては、〈語り手‐あなた〉の関係は性愛の関係であると思われる。少なくとも、語り手から《あなた》への、欲動の備給がなされている。ここで語り手は「あなたの母になりたい」と打ち明ける。社会的母ではなく、動物としての、生物としての母に、である。育ての母ではなく、産みの母に成ること、《あなた》に私の産道を通り抜けさせること。これが不可能な願いであることは、季語《蜃気楼》の効果もあるものの、末尾が過去の助動詞《た》で結ばれていることからも分かる。不可能な願いであるからこそ、たんに「性交したい」というだけではない、過剰な欲望であることが際立つ。ここまでは、「季語《蜃気楼》があり、上五で切れており、季語の気分のなかで取り合わせが行われている」という、旧来の(死んだ)「俳句文法」(九堂夜想)の文脈で読むことができてしまう。亀山作品が一線を画すポイントは、《でみたかっ》にある。品詞に分解するならば、接続助詞「て」の濁音化+動詞「見る」の連用形(ここでは補助動詞化している)+助動詞「たい」の連用形、となる。ここで語り手は「産みたい」と言っているのではなく、「産んでみたい」と言っている(そして過去の「た」によって反実仮想にしている)。「見る」は「試しにする」「確かめる」の意味に転じており、「見る」という語にあった視覚的要素は隠喩化している。「見る」の視覚隠喩化は多くの言語においてみられる現象で、たとえば英語のseeも同様に用いられる("See if the shoes fit"という文で、seeは「(靴を)履いてみる」を意味する)。この《でみたかっ》にあるのは、反復可能性の感触と試行の感触である。語り手はもし可能ならば幾度も《あなた》に産道を通らせたいのであり、《あなた》を出産したいのであり、それも「今日は目隠ししてエッチしてみようか」というほどのカジュアルさで、試したいのである。この「戯れ性」によってもまた、ここにある欲望の過剰さ、狂気の向こう側まで突き抜けそうな過剰さが、しるしづけられるのである。なお、別様の読みとして、《あなた》=《蜃気楼》である可能性もあることを(また、まぼろしの、語り手の子かもしれないことを)、付け加えておこう。
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髙鸞石もまた、発表の媒体をネットプリントとブログで配布されるPDFを中心としているという点において、現在的な作家のあり方をしており、面白い。また、彼はみずから書くものを「俳句」と呼ぶことをすでに拒否しており、たんに「短詩」と呼んでいる。このことは、いわゆる「俳人」に対する嫌悪感が動機になっているのであるが、私に言わせれば彼が嫌悪を示しているのは「日本の俳句」を書く(そして「人間関係」を築く)「俳人」に対してであり、むしろそのことによって、彼の作品を俳句の保守本流に位置づけることが可能になっているのである。とはいえ、すでに髙鸞石については、竹岡一郎氏による分厚い評論があるし、各種既存メディアにも露出はあるため、いまさら私が屋上屋を架すまでもなかろうとも思う。竹岡氏の評論は「解釈」に傾きすぎであると私は思う。だが、〈評論〉を〈批評〉する、という理想的な試みは、ここでは禁欲したい。なお、存命の作家で、新作が出るたびに全作品を「写経」している作家は、私にとって髙鸞石ひとりであることを告白しておく。
壺に牡蠣満ち鼻血のごとき雨の婚礼 髙鸞石「壺乃牡蠣」『We』No.11
同人誌『We』掲載の特別作品「壺乃牡蠣」より。この記事で取り上げている諸作品のなかで、もっとも「伝統的」な(日本の俳句的な)書き方がなされており、その意味で、読みやすい作品と思われる。また、過去の俳人たちの作品からの影響がはっきりとみられ、そのリスペクトを隠すことなく表している点において、清々しい誠実さも感じられる。ここには、私が髙作品の典型的特徴のひとつと考えている、めくるめくイメージの展開・連鎖・飛躍・切断がみられる。音像ではなく、いわばイメージがテンポよく提示されることで、ここちよいリズムが生まれているのである。まず《牡蠣》がきわめて禍々しく描かれる。ほとんど食べ物ではなく、骸の臓物である。連用形《満ち》で切れ(なんと伝統的なのだろう!)、ずぶ濡れの《婚礼》が描かれる。雨季の、ジューン・ブライドだろうか。ここで、《鼻血のごとき》が修飾する語が《雨》なのか《雨の婚礼》なのか、じつは明らかではない。また、《鼻血》がどのようなものなのかも、決定不能である。《鼻血》は、《雨》は、だらりと垂れているのか、どばっと溢れているのか。私はこれを、ダブルイメージ、というよりもむしろ「多重焼き」として読みたい。作品冒頭の《壺に牡蠣満ち》は、禍々しく、静的で重たく、「どろり」としている。この感触が《鼻血》のイメージを規定すると考えるなら、日本の長雨、梅雨季の五月雨がしとしとと、粘菌類がはびこるように、《婚礼》に重苦しくのしかかるイメージになるだろう。「五月雨式」といえば、いつまでもだらだらと続くことのたとえだ。しかし一方、《鼻血》が、《雨》が、スコールのような(日本でも近年多い「局地的大雨」)、シャワー状の奔流であるというイメージもまた、私の脳裏から離れない。おそらくこれも、冒頭の《壺に牡蠣満ち》によってもたらされている。たぷたぷと臓物によって《満ち》た《壺》は、豪雨をもたらすだろう(英語でも"It's bucketing down"といえば「バケツをひっくり返したような大雨」を意味する)。私にとってはさらに、この《雨》は鮮血であり、血みどろの花嫁が大笑いしているシーンさえ見えることを申し添えておこう。そしてまた、故キャシー・アッカーの名作パンク小説『血みどろ臓物ハイスクール』にも連想は連鎖してゆくのである。
われらによく似た魚の臓燃え鼠自傷の戦車の内部 髙鸞石「時空糞一」(ネットプリント、2021年2月14日)
ネットプリント「時空糞一」より。髙からのバレンタインギフトだ。この作品は鮮烈な視覚的イメージを提示すると同時に、社会的でもあり、そして悲痛である。《戦車の内部》とは「先進国」日本のことだろう。《鼠自傷》とは、《戦車》で弱者を攻撃せざるを得ない者=搾取の構造において相対的に優位にある者=日本人、のなかでも倫理的な誰か(倫理的であるために、自傷せざるを得なかった)のことであろう(こう書いてみて、竹岡氏が「解釈的」にならざるを得ない理由の一端が理解できる。メタファーが、月並ではないのに緻密すぎるため、分かりすぎるのだ)。中句が《鼠自傷の》、下句が《戦車の内部》とするなら、ほとんど伝統俳句ではないか。この作品に仕掛けられた謎は一点だけだ。上句の《魚》を、《われらによく似た》と修飾するのはなぜか、という点である。一般的な、旧来の「俳句文法」にしたがうなら、語り手のみならず、作中に登場するあらゆる事象が、作者の顔をしている、となるはずだ。とするなら、《鼠》も《戦車》も《魚》も「われによく似た」ものであることになる。注意すべきは《われら》というときのメンバーは誰か、ということと、《魚》はここで被害者なのか否か、ということだろう。髙はここで、読者である我々を巻き込んでいるのだが、それはなぜか。《魚》が、つまり我々が燃えているのは《戦車の内部》だろうか、外部だろうか。この作品も上句は連用形《燃え》で切れているため、決定不可能である。そして、ひょっとしたらどちらでも同じことなのかもしれない。《内部》であるばあい、我々は加害者として復讐され、あるいは倫理的な《鼠》によって討たれたのである。外部であるばあい、我々はやはり加害者として、《鼠》が動かす《戦車》のターゲットにされ、撃たれ、燃えているのである。そしてまた、幾分かは被害者である、ともいわなければならないだろう。陰惨な「この世」に産み落とされた受動的な存在者であるからだ。髙が《われら》を《魚》に限定したのは、みずからを倫理的な《鼠》に重ねることを禁欲したためであり(そうしてしまうと、ヒロイックな自己像になってしまう)、《われら》のメンバーの誰をも倫理的な《鼠》にしたくないからだ。ひるがえって、《われら》のメンバーでないものとは、加害者であることに気づかずにいる連中のことである。なお、ここで上句と位置づけた《われらによく似た魚の臓燃え》は、一息で語られる、きわめて悲痛に満ちた韻律を備えていることも、指摘しておきたい。
白いビル椅子見せてくれ自爆のための 髙鸞石「東京虞輪」(ネットプリント、2020年7月24日)
ネットプリント「東京虞輪」より。ひどくシンプルであり、一読痺れさせ、感動は持続する。このような作品は稀有であり、そしてそのような作品の多くがそうであるように、どうしてこんなに感動させることができるのか、いいあてることは難しい。上でみた《鼠》が《自傷》せざるを得なかったのと同様、ここでも《自爆》へ向けての倫理的姿勢がみられる、という点をあげることができる。が、《鼠》への同一化を丁寧に拒んだのとは対照的に、ここでは、剥き出しなまでに語り手は《自爆》へと促されている。ほとんどすでに《自爆》しかかっているといってもよいほどだ。《いつまで在る機械の中のかがやく椅子》(鈴木六林男)や《デパートのさまざまの椅子われら死ぬ》(島津亮)といった先行句を引くまでもなく、《椅子》は戦後俳句にとって、シンボリックな事柄であり続けてきた。それは《機械》のなかに、《デパート》のなかにあり続けた(同じことだが)。だが、《機械》や《デパート》が何処にあるのか、誰も発見できなかった。髙は、それが《白いビル》であることまでつきとめた。それだけでも手柄というべきである。しかし彼は、《白いビル》が何処にあるのか、私に教えることはないだろう。所沢か、渋谷区か。末広町か、大久保か。大手町か、溜池山王か。彼は、死後俳句(ゾンビ俳句)の退治に協力してくれるだろう。しかし彼は平和主義者だ。だから、私のような「ペンを捨て、武器を持て」がモットーの武闘派に、敵の本拠地を教えることはない。だが私には、彼が《われら》を守りつつ、《鼠》になろうとしているような気がしてならない。髙はまだ若い。ゆえに、私の考えでは、命を大切にしなければならない。私はすでに老人である。ゆえに、命の捨てどころ・捨てどきをもう決めなければならない。吊るされるようなことは私に任せて、髙には今後の文藝を牽引していってもらいたいのである。