サントリー美術館で開催された『生誕250周年 谷文晁』展を観て感じたことは、文晃の画業が一つの枠にはまらぬ多彩さを持っていることでした。「序章」に「様式のカオス」とありましたが、「南画」とひとくくりできぬ、多彩さと多能さにあふれた画家であると思われました。たとえば、「ファン・ロイエン筆花鳥図模写」、「仏涅槃図」、「文晁夫妻影像」、「海鶴蟠桃図」、「公余探勝図巻」、「熊野舟行図巻」、「石山寺縁起絵巻」、「木村蒹葭堂像」など。それらを支えていたのは日頃の丹念なスケッチであり、それをまとめたスケッチ帖であったことは、「画学斎過眼図藁」(ががくさいかがんずこう)や「画学斎図藁」であり、「縮図帖」等の展示物で知ることができました。この文晁の真摯な作画姿勢は、崋山や椿椿山(つばきちんざん)にも受け継がれていきます。崋山は多くの縮図冊を残しており、鈴木利昌さんによると、よく知られているものだけでも約10冊ほどが知られているという。また、晩年、田原池ノ原の屋敷には、自分の背丈と同じくらい高く積み上げることができるほどの縮図冊を保存していたという話も伝えられているとのこと。椿山についても、「過眼掌記」や「琢華堂画録」「水墨花卉画冊」などの縮図冊が残されており、日頃、目にした花鳥や風景、絵画作品などを丹念にスケッチしていたことがわかります。観察(写実)を徹底すること、また画技を高めることに余念がなかったということです。 . . . 本文を読む