鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「企画展 渡辺崋山・椿椿山が描く 花・鳥・動物の美」について その2

2013-10-25 05:33:10 | Weblog
渡辺崋山が生まれたのは寛政5年(1793年)で、三河国田原藩士の子として江戸に生まれています。椿椿山(つばきちんざん)が生まれたのは享和元年(1801年)で、やはり江戸に生まれ、父と同じく幕府槍組同心を勤めています。二人とも江戸生まれの江戸育ち、すなわち「江戸っ子」ということになる。この椿椿山は長沼流兵学を修め、俳諧や笙(しょう)にも長じ、煎茶(せんちゃ)への造詣も深かったという。画は、はじめ金子金陵に学び、金陵没後は同門の渡辺崋山に入門。また谷文晁にも学んでいます。崋山よりも8歳年下。温和で忠義に篤く、崋山に深く信頼されたという。門人には、渡辺小華(しょうか・1836~1887)や野口幽谷(1827~1898)などがいるが、この渡辺小華という人は崋山の二男。小華は弘化4年(1847年)、13歳の時に田原から江戸に出て椿椿山の画塾である琢華堂に入門し、椿山の指導によって花鳥画の技法を習得したという。この崋山・椿山をはじめとし、その影響を受けた画家たちの系譜を「崋椿系」といい、椿山以降、その代表的な作風は「花鳥画」とされているという。 . . . 本文を読む