鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「企画展 渡辺崋山・椿椿山が描く 花・鳥・動物の美」について その3

2013-10-27 06:21:01 | Weblog
田原市博物館副館長の鈴木利昌さんの「崋山・椿山の写実表現」によれば、日本では、「花鳥画」という呼び方は、「動物画を含み」、花と鳥に限定せず、花卉(かき)、草木、虫、魚などありとあらゆる生物を対象として、組み合わせられるものであり、また爬虫類(はちゅうるい)や両生類なども、「ありとあらゆる生物」の中に含まれているという。細密描法を主とし、写実的表現の花鳥画は、享保16年(1731年)に長崎へやってきた沈南蘋(しんなんぴん・生没年未詳)によってもたらされて一大ブームを巻き起こし、鶴亭(1722~1785)や宋紫石(1715~1786)によって関西と江戸にもたらされ、全国的に広がりを見せていった、とのこと。8代将軍吉宗の治世のもと、西洋の大量の情報がもたらされると、身分に関わらず人々はこぞって動植物の生態の観察や、飼育・栽培に熱中。そのような博物学の流行を背景に画家たちもあらゆる動植物へ眼を向けていくことになった、という。東洋的な「沈南蘋流花鳥画体」の影響を受けた画家たちの中から、徹底的な観察を行うことによって対象をあるがままに捉えようとする(迫真性の追求)画家たちが登場してくる。鈴木さんは、その一派が「谷文晁からはじまる一派である」と指摘する。崋山が、谷文晃(あるいはその画塾「写山楼」の世界)のもとで画家として育ったことはまず間違いない。そこで薫陶を受け、培われた崋山の基本的な作画姿勢は、肖像画にも、風景画にも、そして花鳥画にも、生涯にわたって一貫されたものであると私は考えています。 . . . 本文を読む