鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その5

2013-10-08 05:34:41 | Weblog
「田老と津波」によれば、明治29年(1896年)の大津波の際、田老・乙部の全戸数は336戸あったが、23m余の高さの津波に襲われて一戸残らず全てが流失し、1,859名が死亡。陸上にあって生き残ることができたのはわずかに36名であったという。そのような深刻な打撃を受けた田老村は、昭和8年(1933年)にまたもや大津波を襲来を受けることになる。田老と乙部は、わずかに数戸の民家と高地にある役場・学校・寺院を遺すだけで、村落のほとんどが流失し、死者は911名、流失した人家は428戸に達した、という。この記述で注目されることは、明治29年の大津波で流失したのが全戸数であって、それが336戸であったのが、昭和8年には流失した人家が428戸になっていること(全戸数ではない)。ということは37年間の間に、田老・乙部の戸数は0から428以上へと、明治29年の大津波以前の戸数よりもどんどん増えていったことになります。 . . . 本文を読む