鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その1

2013-10-01 05:21:01 | Weblog
吉村昭さんの『三陸海岸大津波』の「一」は「明治二十九年の津波」で、「二」は「昭和八年の津波」。「二 昭和八年の津波」は、「津波・海嘯・よだ」から始まる。ここには吉村さんが三陸海岸を好きな理由がまず記されている。その理由とは、「海は生活の場であり、人々は海と真剣に向い合っている」からである。三陸沿岸の海の光景を愛し、三陸沿岸を旅してきた吉村さんは、「海にむかった立つ異様なほどの厚さと長さをもつ鉄筋コンクリート」の防潮堤の姿に触発され、三陸津波、特に明治二十九年と昭和八年に発生した大津波について知っていくことになりました。その調査の中で、吉村さんがしばしばぶつかった言葉は「よだ」という地方語でした。「よだ」は、地震を体に感知しないのに起こる津波のこと(つまり津波の一種)という説もあれば、「よだ」=「津波」であるという説もありましたが、吉村さんが調査の末、正しいと思うようになった説は、三陸地方では「津波」は「よだ」という方言で呼ばれていたという解釈でした。末尾で吉村さんは次のように記しています。「津波は、前兆はあるが、突然のように襲いかかってくる。よだという言葉のひびきには、その無気味さがよくにじみ出ているように思う。」 . . . 本文を読む