鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その11

2013-10-16 05:42:03 | Weblog
高山文彦さんの「『三陸海岸大津波』を歩く」によると、吉村昭さんが田野畑村島越(しまのこし)を最初に訪れた頃は、旅館も民宿もなく、吉村さんが泊めてもらったのは島越の漁師の番屋であったという。島越の隣に羅賀という集落がありますが、そこで吉村さんが定宿としていたのは「本家旅館」。この旅館は高台にあり、また石垣で土台を守っていたために、石垣まで津波は襲ってきたものの、建物は無事であったとのこと。しかし、そこから下の家々は全滅していたという。吉村さんが三陸海岸大津波について講演したところは、羅賀の海岸にある、第三セクターが運営する「ホテル羅賀荘」で、鉄筋コンクリート10階建ての白い建物。500人を収容することができる施設でしたが、海岸べりの防潮堤を目の前にして、高い崖を背にして建っていることから、ホテルの4階部分まで津波に襲われたという。このホテルの社長であったのが早野仙平氏であり、この早野氏は昭和40年(1965年)の初当選以来8期にわたって田野畑村の村長をつとめた人。吉村さんを標高50メートルはある中村丹蔵さん(明治38年の大津波を体験した生存者の一人)の家に案内してくれたのは、当時村長になったばかりのこの早野仙平氏(当時35歳)でした。吉村さんは、自分が講演をしている10階建てのこのホテルが、後に4階部分まで津波の被害を受けるという事態を、想定していただろうか。 . . . 本文を読む