鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その9

2013-10-13 06:18:14 | Weblog
「二 昭和八年の津波」の次は、「三 チリ地震津波」です。 最初は「のっこ、のっことやって来た」というもの。この津波は、昭和35年(1960年)5月23日に南米チリの中部沖合で発生した大地震によって起こった津波が、日本の太平洋沿岸に押し寄せてきたもの。押し寄せてきたのは5月24日の未明。岩手県下の死者は61名。そのうち52名は大船渡市における死者でした。その津波の押し寄せ方は、明治29年、昭和8年の津波とは全く異なっており、それは過去の津波のように高々とそびえ立って突き進んでくるものではなく、海面がふくれ上がってゆっくりと襲来するものでした。ある漁師は、それを「海水がふくれ上って、のっこのっことやって来た」と証言しましたが、吉村さんの「のっこ、のっことやって来た」という題は、その漁師の印象的な表現に由来する。「のっこ、のっことやって来た」の次が「予知」。ここで、吉村さんは、チリ地震が発生してのをキャッチしながら、その後十分な観測をせず、三陸沿岸をはじめ日本の太平洋沿岸に積極的な事前警告を行わなかった気象庁に対して、「世の批判を受けてもやむを得なかったのだ」と厳しい指摘をしています。このチリ地震による大津波については、私は幼少時に見た新聞記事として記憶に留めています。昭和35年といえば、私が小学校1年生の時であり、津波被災地の現場の上空写真や現場写真を新聞で見た記憶があります。私が東北仙台に住んでいた時に、盛岡から宮古へと向かい三陸海岸を見てみようと思ったのは、もしかしたらそのチリ地震による津波被災の記憶があったからかも知れません。子ども心に、はるか離れた南米チリで発生した地震による津波が、太平洋を伝わって日本の太平洋沿岸に押し寄せ、多くの犠牲者が発生したいうことが、かなりの驚きであったのだと思います。 . . . 本文を読む