鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その2

2013-10-03 05:31:21 | Weblog
「津波・海嘯・よだ」の次は「波高」。ここでまず強調されているのは、津波の高さを測ることの困難さです。なぜなら。場所によって津波の来襲の仕方は千差万別であり、また平坦な土地か背後に山を背負う土地かによっても異なるからです。正確な波高を測定するのは至難であることをおさえた上で、吉村さんが示している明治29年(1896年)6月の大津波の波高の数字は、伊木常誠博士と宮城県土木課が算出して発表したもの。それによれば、たとえば岩手県気仙郡吉浜村吉浜では24.4m、上閉伊郡大槌町吉里吉里では10.7m、下閉伊郡田老村田老では14.6m、同郡田野畑村羅賀では22.9m、九戸郡野田村玉川では18.3mでした。しかしそれらの高さがそのまま津波の高さを正確に伝えているものかというと、吉村さんは疑問を呈しています。なぜなら吉村さんが田野畑村羅賀の中村丹蔵さんからじかに聞いた証言では、津波は標高50mはある中村宅に激しい勢いで流れ込んでいたからです。津波が狭いV字谷の湾を激しく駆け上がり、せりあがっていったとすると、その津波の高さはどのように判定すべきなのか。「津波の高さをしめす数値の測定は全くむずかしいことがよくわかる」例として、吉村さんは中村丹蔵の証言をここでも紹介しているのです。 . . . 本文を読む