鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「宮古~久慈~八戸」   その12

2013-10-17 05:31:32 | Weblog
板谷英紀さんの『賢治と岩手を歩く』(岩手日報社)によれば、宮沢賢治が田野畑村の羅賀から宮古行きの発動機船に乗ったのは、大正14年(1925年)の1月上旬のことであったらしい。鵜の巣断崖や浄土ヶ浜などのある三陸海岸を右手に見て宮古港に入り、夜零時発の釜石行きの三陸汽船に乗船。翌日昼前に釜石に入港しました。叔父岩田磯吉を天神町に訪ねるためでした。叔父の家に入る前に、賢治は釜石の映画館に立ち寄り、映画(活動写真)を観たらしい。賢治はどういう映画を観たのだろう。用事を終えた賢治は、仙人峠を越えて花巻へと戻っています。賢治は、それよりもずっと前の大正6年(1917年)の夏にも、釜石から、大槌・山田を経て宮古へと三陸海岸を旅行しています。これは東海岸視察団の一行(36名)に加わって出掛けたもの。花巻の鳥谷ヶ崎駅から岩手軽便鉄道に乗り、徒歩で仙人峠を越え、大橋からふたたび軽便鉄道に乗って釜石に到着しています。釜石では捕鯨会社や溶鉱炉などを見学し、宮古では岡田製糸工場・昆布工場・公会堂・測候所などを見学しています。さらに水産学校の岩手丸に乗って浄土ヶ浜に遊んでいます。おそらく釜石から宮古への移動は三陸汽船による船の利用であったと思われます。それから8年後、賢治は宮古から釜石へと向かい、釜石から仙人峠を越えて花巻へと戻っているのですが、それは全部徒歩ではなくて、大正6年の時と同様に軽便鉄道を利用するものであったのでしょう。 . . . 本文を読む