鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「企画展 渡辺崋山・椿椿山が描く 花・鳥・動物の美」について その2

2013-10-25 05:33:10 | Weblog

 「史跡 吉胡貝塚」と刻まれた石柱を見上げた歩道の下には、さきほどの芝生広場より一段下がったもう一つの広場があり、そこには白い屋根のある「貝塚断面展示施設」がありました。

 説明文によると、これは昭和26年(1951年)の調査場所を再発掘し、貝塚の堆積がわかるように壁を保存し、見学できるようにしたもの。

 この吉胡貝塚では350体以上の縄文時代の埋葬人骨が発見され、この箇所はもっとも集中的に埋葬されていたところであるといい、平成17年に発見された5体の縄文人と2体の縄文犬の埋葬状況が、模型で再現されています。

 イヌは、他の動物と異なり、人間と同じように丁寧に葬られているとのこと。

 それぞれの身長や性別、年齢なども記されています。

 ②は、幼犬といっしょに葬られていた、生まれてまもない縄文人の赤ちゃんで、頭には朱がまかれていたという。

 それぞれの人骨は折り曲げられた状態で埋められ、頭蓋骨や大腿骨、手足の骨などが露出しています。

 「模型で再現されて」いるということは、これらは本物の人骨ではないということですが、なかなかリアルです。こういうふうに人骨を見ることは、めったにあることではありません。

 「貝塚平面展示施設」もありました。

 説明文によると、ここは、吉胡貝塚で最も古い貝層(縄文時代後期末~晩期初)が残っている場所で、貝層の厚さは20cmほど。

 ハマグリ、マガキ、アカニシなどの貝、イノシシ、シカなどの骨、土器の破片などが、発掘されたままの状態で見学できるようになっています。

 それらを見た後に、先ほどの芝生広場へと上がっていき、「史跡 吉胡貝塚」の案内板に目を通しました。

 それによると、この貝塚は、縄文時代後期末から晩期に属する、日本を代表する貝塚であり、三河湾に注ぐ汐川(しおかわ)の河口に面する台地の南向き斜面から低地にかけてつくられたもの。

 範囲が4500㎡以上に及ぶ大規模な貝塚であるという。

 貝塚資料館はまだ開館時間を迎えていないため、入ることはできませんでしたが、「いつでもできる体験学習メニュー」や「秋冬の特別体験講座」などが紹介された貼り紙があり、活発に資料館活動が展開されていることがわかります。

 この資料館の所在地は、田原市吉胡町矢崎。

 機会があったら、また是非訪れてみよう(開館時間に)と思いました。

 この「シェルマよしご」(「吉胡貝塚史跡公園」)の駐車場を出発したのが8:30。

 途中コンビニに立ち寄って、「田原市博物館」の駐車場に車を停めたのは8:54でした。

 

 続く

 

〇参考文献

・展示会図録『渡辺崋山・椿椿山が描く 花・鳥・動物の美』(田原市博物館)



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