私がまず歩いているコースは、『江戸城を歩く』黒田涼(祥伝社新書)の「江戸城を歩く7 大火で改造された江戸 両国橋からお茶の水」のコース。そのP104~105には、上には古地図、下には現在の地図が掲載されており、それを突き合わせ、実際に歩いてみることにより、幕末・明治の頃のこのあたりの江戸・東京の風景が少しずつ脳裡に描かれてきます。古写真や文献資料も、その作業には欠かせない。神田川に架かる柳橋周辺も、また浅草橋周辺も、もちろんのことながら現在の景観と幕末・明治の頃の景観とは大いに異なります。柳橋周辺については日下部金兵衛の柳橋の写真が大いに参考になりましたが、浅草橋周辺については、金兵衛の写真が載っていたのと同じ『写真で見る江戸東京』芳賀徹・岡部昌幸(新潮社)のP36~37に、「浅草見附」の古写真が掲載されています。この写真は、横山松三郎撮影・高橋由一着色の『旧江戸城写真帖』の一枚で、明治4年(1871年)に撮影されたもの。画面の右側に架かる橋が浅草橋で、写真左側上の建物が浅草御門(浅草橋門・浅草見附)。画面下を流れる川が神田川。神田川の両側には、おびただしい数の荷船が繋留されています。明治になっても、神田川の水運が非常に活発であったことを示しています。現在の景観とはまるで違います。この写真に写る浅草御門が撤去されて、東京で最初の石橋である「浅草橋」が架けられたのが明治6年(1873年)。写真に写る浅草橋は、それ以前の木製の橋。郡代屋敷は、この浅草御門を左の桝形へと入って右折したところ、写真に写る、黒い瓦屋根で白壁の大きな櫓の向こう側に、かつてあったことになります。写真に写る神田川の下流(手前)には柳橋があり、浅草橋を越えたその上流には、現在は左衛門橋が架かっています。 . . . 本文を読む