日下部金兵衛が写真技術やその作風などを学んだフェリーチェ・ベアトの写真を見てみると、その多くに人物が配されていることがわかります。人物が写っていない写真は割合として多くはない。という点において、『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』の臼井秀三郎の、まったく無人と化した日本の風景を写したような写真とは対照的です。ベアトの写真の多くは幕末のものであり、使用した当時の銀板写真機の性能を考えてみても、人物がしっかりと写っているということは驚くべきことです。もちろん人物の配置は意図されたものであり、写っている人物たちはビゴーの指示に従って数十秒間ポーズを取っているのですが、彼の多くの写真からは当時の人々の風俗がよくわかるのです。たとえば例を挙げてみましょう。『F.ベアト幕末日本写真集』P33の「原町田」(現東京都町田市)の写真。街道に立っている男たちの姿から、当時の庶民男性の服装や仕事のようすがわかります(もちろん街道やその両側の家並みのようすも当時のことを知る上で貴重であることは言うまでもない)。P45の「金沢の渡し舟」の写真。これは瀬戸神社前から平潟湾に突き出した突堤(琵琶湖弁天がその突端にある)の渡し場の風景を写したものですが、撮影するために集められた人々の姿から、当時の風俗がわかります。船頭・僧侶・商人・職人・子どもなど、日本人の庶民たちがそこには写っています。P70の「小田原」の写真。これは「ういろう」の店の前あたりの東海道の真ん中から西(箱根方面)に向けて小田原宿を撮影したものですが、配置された男たちの姿から当時の街道筋で働く人々の風俗を知ることができます。また街道両側には撮影風景を見る多くの人々が期せずして写っており、中には全くカメラを意識しないで写ってしまっている女性などもいる。ここには幕末の「うじゃうじゃ」とした群集が写っているのです。庶民ばかりではない。P73には富士登山旅行に赴くポルスブルック一行を警護する幕府の武士たちが写っており、当時の武士のさまざまな服装がわかります。さらに同書P144~168にかけては士農工商あらゆる層の人々の風俗を写した写真が収められており、これらのベアトの写真を見ていると、幕末のあらゆる層の日本人の風俗やまたその日本人の住む日本の風景を、しっかりと記録せずにはおくものかという、ベアトの執念みたいなものを私は感じるのです。 . . . 本文を読む