鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

ジョルジュ・ビゴーと二人の日本人写真師 その1

2010-05-06 06:59:50 | Weblog
ヒゴーの素描画とワーグマンのそれとを比較していくうちに、一方で念頭に浮かんできた古写真集がある。それは『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』というもの。この古写真集はすでにこのブログで何度か紹介したことがあります。私が黒駒から富士吉田まで「御坂みち」を歩いた時は、この写真集の9枚の古写真が撮影された場所を確定するのも付随した目的の一つでした。その9枚の写真とは、同書P15上からP19上までの写真。そのうち4枚にはかつての「御坂みち」がちゃんと写っています。写された時期は、P15上の写真を除いて、明治15年(1882年)7月14日から15日にかけて。そのうち数枚は「旅行日記」と影の差しかたから撮影時刻を推測することもでき、撮影年月日および大体の撮影時刻までわかるというきわめて貴重なもの。とくにP18上の藤野木(とうのき)宿のようすを写した写真などは、早朝の日差しのもと、赤ん坊を背負う女の子や石垣にもたれる男の子など、村の子どもたち(犬や、また奥には外国人のような男性、さらに左手前には女性も)が写ったもので、私にはもっとも興味深い一枚でした。この写真集に収められている古写真は、多くが撮影年月日を知ることができるもので、明治15年およびそれ以前の各地のようすがわかるとても貴重なもの。その撮影地点はどこなのか、現在そこはどういう景観になっているのか、実際に出かけていって確かめたいものが多々あります。ここに写されているある土地や建物を歴史小説に描く場合に、しかもそれは明治15年頃のものということがはっきりしているだけに、とても参考になるからです。一枚の古写真(さらに絵画資料など)がさまざまな情報を含んでおり、それが歴史研究の資料として大変価値あるものとなる場合があるということはよく知られていることですが、この古写真集も限りない魅力をもって私に迫ってきます。しかし全写真を見ていくと気が付くことは、そこに登場してくる人物がきわめて少ないということです。人物が写っている写真は数枚しかなく、まるで無人と化した町や通りや観光地などを撮影したかのよう。これらの写真を撮影したのは臼井秀三郎という当時横浜在住の写真師。人がほとんど写っていないのはもちろんそれなりの理由があるわけですが、しかしそれらの無人の写真群は、ビゴーの素描集と比較してみると、きわめて対照的です。 . . . 本文を読む