「明治維新」「文明開化」によって、皇居周辺を中心にして江戸東京の景観が大きく変貌していったことを、前回に触れましたが、明治30年代の東京の景観はどうであったか。それを『百年前の東京絵図』で見ていきたい。この本に収められている絵は、山本松谷(茂三郎・1870~1965)が描いたもの。山本松谷は土佐生まれで、高知で河田小龍に絵を習ったこともある画家。明治27年(1894年)4月に、東陽堂発行の雑誌『風俗画報』に「土佐国早乙女(さおとめ)図」を投稿して、それを評価されて東陽堂に招かれ、その絵画部員となりました。この松谷を抜擢して絵画部員の一人としたのは、この年4月に新しい編集責任者として着任したばかりの山下重民という人物。当時、山下重民は大蔵省官房第一課に勤務していた役人。昼間は役所に勤め、役所が引けてからは東陽堂に出社するという「二足のわらじ」の生活を大蔵省を退官する明治43年(1910年)まで続けました。明治29年(1896年)9月、「新撰東京名所図会」第一編が出ます。山本駿次郎さんは次のように記す。「幕政末期の江戸に生まれ育った重民が、日毎年毎失われて行くその面影を、今度は自分の眼でしっかりと残しておきたいと願ったのであろう。」それほどまでに江戸東京の景観の変貌は激しかったのです。松谷が「新撰東京名所図会」で描いた絵(石版画)は、明治29年から明治42年(1909年)まで312図。そのうちの180枚ばかりが『百年前の東京絵図』に載せられているのです。したがって、ここに収録されている松谷の描いた東京の景観は、明治29年から明治42年まで、ほぼ明治30年代のものといっていい。中江兆民は、明治34年(1901年)の12月に亡くなりますから、最晩年の東京の景観を描いた絵がこれには含まれていることになります。 . . . 本文を読む