鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

『江戸の町』(草思社)について その1

2010-05-29 06:21:56 | Weblog
江戸東京を取材していく中で、かつて目を通した本をふたたび紐解いたりしましたが、その中で今なお新鮮で面白かったのは、「日本人はどのように建造物をつくってきたか」のシリーズの、『江戸の町(上)(下)』内藤昌 イラストレーション穂積和夫(草思社)という本でした。発行は1982年だから、今から28年前の本。このシリーズの何冊かを私は持っています。内藤昌さんの文章はもちろんのこととして、穂積和夫さんの、徹底的な考証のもとに描かれたイラストレーションが素晴らしい。『江戸の町(上)』の表紙には「河岸」の風景が描かれていますが、この河岸の風景は、同書P60~61に描かれている「魚河岸」の風景の一部。この「魚河岸」は、日本橋の北詰東側の魚河岸で、河岸には桶に魚を入れて運んできた舟が数艘繋留し、そこから新鮮な魚が運び上げられています。道では魚が戸板の上に並べられて売られており、また道に面して軒を並べる魚屋でも魚が売られています。天秤を担いで魚を運搬している者もおり、魚の振り売りに出掛けようとしている商人たちもいる。客相手の魚売りの威勢のよい声が聞こえてきそうな絵です。「道三堀」については、P18~19に描かれます。江戸の町並みが最初のにぎわいを示したのは、この道三堀筋周辺。「両岸には材木町、舟町、四日市町ができ、町づくりの中心」となっていました。材木町には、全国から船積みされた材木が江戸湾から日本橋川・道三堀を通じて集められ、材木商店が軒をつらね、舟町はそうした船で海運業を営む回船問屋が集まりました。道三堀には、石や米俵を積んだ荷船が往き来し、岸辺では舟から材木が陸揚げされており、通りにはいろいろな種類の材木が積み上げらていたり、立て掛けられていたりしています。まだ江戸の草創期の町並みであるから、屋根は瓦葺きでなく、石が置かれた板葺きであったり茅葺きであったりします。P24~25には、「江戸湊の整備」として船着き場の建設工事の風景が描かれています。全国から船積みされて運ばれてくる建築資材(石や木)を荷揚げするための船着き場です。神田山を切り崩して、その土で遠浅の日比谷入江を埋め立て、その東側に堀川(日本橋川)を掘削して、そこに大きな日本橋を架けました。これらの工事は「天下普請」と称して、幕府に命じられた全国諸藩の大名がそれぞれ請け負って、大掛かりな建設工事を展開したのです。 . . . 本文を読む