素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

♪おっぺけぺ♪の「洋犬」を「カメ」と読ませる謎解ける

2013年09月25日 | 日記
 広辞苑で偶然「亀蔵小紋」を見つけた時に、もう一つ見つけたものがあった。「亀」の語の次に「カメ」とあった。その語釈は『(幕末・明治初期、英米人が、Come(来い)といって犬を呼んだことから)洋犬のこと。方言として東北地方に残っている。オッペケペー節「みそかの支払ー抱いて」』となっていた。

 これを読んだ瞬間「そうか!」と嬉しくなった。高校生の時に買って、よく使った時雨音羽編「日本歌謡集」(現代教養文庫)にあった♪おっぺけぺ♪の謎が解けたのである。この本昭和38(1963)年11月に発行されたものだからまことに古い。昭和歌謡のラストが発行された年にヒットした♪高校三年生♪♪こんにちは赤ちゃん♪♪ガラスのジョニー♪である。カラオケのない時代、高校、大学とこの本をよく使って歌っていた。一番気に入っていたのは「明治以前と明治篇」「大正篇」「中山晋平篇」「昭和篇(戦前・戦中)」など古い歌もていねいに拾い上げていたことである。

 その中に、壮士俳優の川上音二郎が、明治21年頃桂藤兵衛といった落語家が売物にしていたオッペケペー節に工夫して、時勢を諷した歌詞に改めた新オッペケペー節があった。♪権利幸福きらいな人に 自由湯をば飲ましたい・・・・♪というくだりは有名だが、出だしの部分の歌詞に♪亭主の職業は知らないが   娘は当世の束髪で  言葉は開花の漢語にて  晦日の断り洋犬だいて 不似合だ およしなさい♪とあり、「洋犬」に「カメ」とルビがふってある。「ずっと変だな」と思い続けていたのである。ようやく謎が解けたという次第。広辞苑はすごいということも再認識した。

 久しぶりにオッペケペー節を聞いてみたいなとYou Tubeで探したら『物語おおさか「川上音二郎 おっぺけぺー節」』という面白いものを見つけた。

 最近、世相を笑い飛ばす芸がめっきり少なくなったと感じた。

 
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布団干す替わりに『亀蔵』甲羅干し

2013年09月24日 | 日記
 「亀蔵」が我が家の住人になって3か月近くになる。サンルンームに水槽を置いているので真夏の日中は耐えられないぐらい暑い。水草の下にもぐって昼寝をする気持ちは理解できる。最近はほど良い暖かさとなっている。それでか日中の動きが活発である。今日は亀石の上にあがり気持ちよさそうに甲羅干しをしていた。こんなに無防備にしている姿は初めて見た。
   「亀蔵」という名前は、私の好きな「市川雷蔵」から来ている。適当につけた名前であったが、たまたま広辞苑で≪亀蔵小紋≫という語を見つけた。『(俳優市村亀蔵の着始めたもの)渦巻の模様のある小紋』と解説されていた。市村亀蔵!?気になったのでWikipediaで調べてみた。

 九代目 市村羽左衛門(くだいめ いちむら うざえもん、享保9年〈1724年〉 - 天明5年8月25日〈1785年9月28日〉)とは、享保の初期から天明初期にかけて活躍した歌舞伎役者。 屋号菊屋、俳名は家橘。

八代目市村羽左衛門の長男で、弟は三代目坂東彦三郎。享保16年(1731年)7月、市村満蔵を名乗り市村座で初舞台、延享2年(1745年)に市村亀蔵と改名。宝暦11年(1761年)3月、伊勢参りの名目で上方へ行き、伊勢参宮ののち大坂に行き、中山文七座に同座して五変化の所作事などを見せ、のちに京にも行きやはり五変化の所作を上演して名をあげる。同年11月江戸に戻った。宝暦12年(1762年)、父八代目羽左衛門の死去により市村座の座元を相続すると同時に市村羽左衛門を襲名。しかしその後火事や先代からの借金に苦しめられ、天明4年(1784年)にはついに市村座は倒産閉場し、控櫓の桐座に興行権を譲るに至った。その翌年、中村座の座元中村勘三郎の勧めにより羽左衛門は中村座に出演し、一世一代として変化舞踊を演じたが、そのなかで猿まわしの猿に扮し『娘道成寺』の所作事を演じた。同年8月に没す。

若いころは魚のような顔つきだと評され荒事ばかりを演じていたが、のちに和事や実事、また女の役も演じるようになり、八代目に劣らず幅広い芸風を誇った。特に所作事においては名人との評判を得ている。子に十代目市村羽左衛門がいる


  「名字帯刀を許す」ではないが、今日からは『市村亀蔵』と呼んであげよう。長生きしたら『羽左衛門』と改名だ。 
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今日の新聞のスポーツ欄

2013年09月23日 | 日記
 今日のスポーツ欄はいつもより時間をかけて読んだ。

 巨人の2年連続35回目のリーグ優勝。プロ野球の動向についてはかなり引いた場所から眺めているが、今年の巨人は圧倒的だった。といっても1つ1つの戦いは力でねじ伏せるというものではなく、しぶとく負けないチームという印象が強かった。

 ある雑誌に「働きにくかったり、愛想を尽かした上司や先輩」について全国の30歳~59歳の男女の会社員、公務員に尋ねたアンケート結果があった。

1位:言うことや指示がコロコロ変わる  2位:強いものには弱く、弱いものには強い  3位:大事な局面で責任逃れ
4位:感情的で気分屋     5位:失敗を部下のせいにする    6位:上司自身が仕事ができない
7位:部下の手柄を持っていく  8位:部下指導をしない  9位:決断力がない  10位:無責任に部下に丸投げする


 私自身の経験と照らし合わせても納得できる。すべてをリーダー、上に立つ者のせいにしてはいけないが、組織、チームで動く以上リーダーの持つ資質は大きい。スポーツの世界では監督の姿がよく見えるのでその視点から見ると得るものが多い。原監督は言動にぶれがないという点で名将だと思っている。

 主将である阿部がインタビューの中で、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場したことによる体調管理の難しさにふれていたがこれは一考を要する。

 このことは、高校球界にも言える。同じ紙面に秋季大会の愛媛大会で「済美1回戦敗退」という小さな記事があった。「18Uワールドカップ(台湾)でも活躍した最速157㌔の2年生右腕・安楽が先発したが、右肘痛の影響で球が走らず2回3分の1を4安打4失点で降板した」とあった。試合前から右肘に違和感があったといい「高校野球は甘くないと改めて感じた」という談話が載っていたが、高野連含め指導者の体調管理のずさんさこそが問題である。西条に2-4で敗れ来春のセンバツ出場校決定の参考資料となる四国大会への出場が断たれたわけだが、マスコミに追いかけられる度合が減ったととらえ、じっくり体を治してもらいたい。

 『白鵬豪快「呼び戻し」』も目を引いた。「呼び戻し」は別名「仏壇返し」と呼ばれる大技で、幕内では1997年春場所で貴乃花が決めて以来16年ぶりという。初代・若乃花の得意技であった。

 私の小・中時代は栃若から柏鵬時代へと移っていく時であった。相撲の盛んな土地柄でもあり小学校にも中学校にも土俵があり全校相撲大会という行事もあった。学校の休み時間や放課後、自然と相撲を取るのが遊びでもあった。背は中ぐらいだが下半身と腕力がめっぽう強いSくんが『呼び戻し』(私たちは「揺り戻し」と言っていた?)を得意としていて、大きな相手と四つに組んだ時、見ている者はワクワクとその瞬間を待ったものだ。投げられる方はたまったものではないが、見ている者はスカッとする大技であった。大きいからできるというものでもなく下半身の強さとタイミングをつかむ勘の良さが必要。幸い私は彼にぶん投げられた記憶はない。見出しを見て懐かしく思い出した。

 

 
 
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日々是れ好日

2013年09月22日 | 日記
 週間天気予報では週末天気の崩れが予想されていたが高気圧の力が思いのほか衰えなかったため木曜日あたりから雨マークが消え、少々暑いが好天が続いている。ただ、長時間の運動や歩行をひかえている私にとってはうらめしくもある。余った時間で以前に読んだ本を読み返すことができる機会ができたと思えばけがの功名となる。

 古田紹欽さんの随想集『日常の禅~見て聞いて考える~』(実日新書)は昭和42年10月に発行された本であるから半世紀近く前に書かれたものである。禅に救いを求めていた10代後半に買ったと思う。新聞や雑誌に掲載したコラムをまとめたものなので平易で読みやすい。著者50代半ば過ぎのものなのであらためて読むとしっくりくることが多い。

 そもそも読む気になったのは、台風後の天気を称して日々是好日という言葉がピッタリだと思っていたところ、目次の中に『日々是れ好日』というタイトルを見つけたからである。何を書いているのだろうとそのページを開いた。書き出しの
 「秋の彼岸前後になると、天候も定まって、いい日和が続く。一年中でまず一番いい季節で
あろう。「日々是れ好日」の感が深い。」
の2行で、そうそう同感と心をつかまれたのである。しかし、この一言には深い意味があると古田さんは続ける。

 今日もいい天気だというのも「好日」に違いないが、日々是れ好日の好日は天気の好しあしに関係しないという。そしてこの語の歴史をひもとく。唐末から五代にかけての時代に禅宗を発展させた雲門大師の語に由来していて、禅の有名な書『碧巌録』第六則に「雲門日日好日」の一則があり、広く知られるようになった。こうある。

 「雲門垂語していわく、十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道(い)ひ将(も)ち来れ。自ら代っていわく、日日是れ好日」
 雲門が弟子たちに「過ぎ去った十五日間のことは問わない。これから先の十五日間、つまり将来いかん」すなわち、悟り以前の迷いには用はないが、悟り得たと言うなら一句といってみろというわけである。弟子の返答を待たずに自分が代わって答えたのが『日日是れ好日』という語である。

 悟らぬ限りは迷いの連続だが、悟ってからのその日その日は好日の連続である。悪天候であってもそれはそれとして見れば好日となる。不幸は不孝として素直に受け取るところに好日がある。すなわち外界の事象にわずらわされることなく、くる日もくる日も好日として日々を生き通すことができる。そのことを雲門大師はさとしたのである。

 軽々しく「日々是れ好日」などと言えないと思った


 





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Eテレ15時からの「青春舞台2013」を見る

2013年09月21日 | 日記
 15時の休憩時に新聞のテレビ欄を何気なく見ていたらEテレの青春舞台2013・第59回全国高等学校演劇大会▽2100校の頂点を決める演劇の甲子園▽熱き夏に密着▽最優秀校の舞台をノーカットで放送が目にとまった。漫画、詩、合唱、吹奏楽、書道など文科系の高校生の全国大会は見たことはあるが演劇はなかった。どんな感じだろうとスイッチを入れた。

 8月2日~4日に長崎市で開催された、“演劇甲子園”ともよばれる、高校演劇の頂点を目指す全国2100校の中から選ばれた高校の演劇部12校の高校生たちの青春をかけた熱き夏を密着し、全てをかけて舞台を創り上げて行く姿をドキュメントすると共に、大会の裏側や、12校の舞台のハイライトを紹介し、日本一に輝いた最優秀校の舞台を、ノーカットで放送するという番組である。

 もし、番組最初の出場校紹介の時に近畿ブロック代表が大阪市立鶴見商業でなかったら、少しだけ見てテレビを消し用事の続きをしていた。鶴見商業は進学指導を通じて浅からぬ縁があり、直接何かがあったのではないが心に残っている高校である。「へ~ぇ演劇で、全国大会に!どんな舞台をつくったのかなあ?」と100%好奇心でそのまま見続けた。

 面白い切り口だなと思ったのが長野県丸子修学館高等学校の「K」。
 カフカの作品とカフカ自身の人生を高校生の内面に抱える悩みとリンクさせていて興味深かった。
 また、三重県の高田高校の「マスク」も、個性を重んじるといいつつ、みんなと同じことを強要する空気が強くなっている現代の世相を鋭くついていた。
 
 栃木県立さくら清修高等学校は地元に起こった放射性廃棄物最終処分場問題を題材に斬新な切り口で「ここだけの問題ではない」と鋭く問いかけていた。
   興味のあった大阪市立鶴見商業は在日韓国人・朝鮮人問題という社会性の高い、難しいテーマに真っ向挑んだものだった。 規律の厳しい集団性の高い朝鮮学校から、自由を求めて日本の学校に来たが、だらしなさやバラバラさなど自分の求めていたものとは違うことに葛藤するスナとミレの姿を通じて、‟一人の人間”として認めることからつながりは生まれるということを強く訴える。脚本は今年卒業した演劇部OBの趙清香さんが実体験をベースに書いたものでリアリティがあった。

 日本で「脱北者」として生きるリ・ハナさんのブログをまとめた「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」(アジアプレス出版社)に書かれている戸惑いや悩み、憤りなどと重なるところもあり深く考えさせられた。
 そして、審査の結果鶴見商業が最優秀賞を獲得した。


 『第59回全国高等学校演劇大会(第37回全国高等学校総合文化祭演劇部門)」審査結果
【文部科学大臣賞(最優秀賞)】大阪市立鶴見商業高等学校「ROCK U!」
【文化庁長官賞(優秀賞)】長野県丸子修学館高等学校「K」
【文化庁長官賞(優秀賞)】北海道北見北斗高等学校「ちょっと小噺。(ちょこばな)」
【文化庁長官賞(優秀賞)】沖縄県立八重山高等学校「O《ラブ》~ここがわったーぬ愛島~」
【創作脚本賞】趙清香 (大阪市立鶴見商業高等学校)
【舞台美術賞】東京都立東高等学校
【内木文英賞(特別賞)】栃木県立さくら清修高等学校


 偶然の偶然で見始めた番組であったが、いいものを見たなというお得感があった。
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