某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

吹矢と私(4の2)

2011-05-11 19:18:53 | ぼやき
始めに目次を書くべきでした。1.自己紹介(記載済)2.吹矢との出会い 3.練習と試験 4.好きな言葉。以上です。
2.吹矢との出会い
 友人に、日本スポーツ吹矢協会の銀座教室に通っている有段者がいました。ある時、体験してみろと誘われて、5丁目の教室で吹いてみました。2008年8月のことでした。しかし、「いい年をして今更忍者ごっこの真似をしても・・・それに銀座まで通うのもなあ」とその時はあまり乗り気ではありませんでした。ところが其の方は熱心で、間もなくもう一人の有段者の方と一緒に地元で体験会を開催し、それにも誘われました。2008年10月。そして11月5日に入会。支部が発足しました。「笑顔せたがや支部」というちょっと謎めいた支部名。楽しくなければ吹矢じゃない、という意味も込められています。支部長さんは有段者の女性の方で、以来今日まで2年6カ月、毎月世田谷区の文化会館大広間を抽選で引き当てて練習場を確保して下さっています。
 忍者ごっこなどと茶化していたのに何故入会したか、とおかしく思われるかもしれません。5人以上集まらないと支部が出来ないから名前だけでも、という話もありましたが、やはり3回の体験会でよく的に当たり気をよくしたことが大きいと思います。子供に碁・将棋を教えるときは、最初上手に勝たせてやれ、と言いますね。大人も同じ。嬉しくなってやる気になる。それと、腹式呼吸の大事さ、健康効果について、指導に来られた高橋先生が丁寧に説明されて得心がいったこと。私は運動神経ゼロですから、剣道の場合と同じく、「健康に良い」というところに先ず惹かれました。「スポーツを極める」といった純度の高いものではなく、かなり功利的な動機で、ちょっと申し訳ないのですが。
 練習会場は京王線千歳烏山駅前で、私の家からは遠いのですが、京王線下高井戸駅まで非常勤で通っていて烏山はすぐ隣でしたし、成城に行くことも多く、そこからだとバスですぐ、ごく近いです。家は遠いのに不思議な近さです。おまけに高橋先生は藤沢で、これは私の家に近い。吹矢には浅からぬ縁があるのでしょう。
 支部長さんは一番若く、他の支部の仲間は大体が60代。色々な職業の方々で、呼吸と矢の飛び方の関係を考える人、筒と矢の太さの関係に特別なこだわりをもつ人、練習はどうでもいいが終わってからの反省会(つまり飲み会)が楽しみだと出てくる人、反省なくして進歩なし、と反省会参加者を集める人など「みんな違ってみんないい」と金子みすずのようなほんわかした世界をつくっています。みんなに共通するのは、かなり上手になっているのに昇級・昇段試験を受ける気が全然ないこと。その点私は少しはみだしっ子です。受験資格ができるとすぐ受けちゃう。仙人の集まりに俗物が一人迷い込んでいるような具合です。
 健康効果について私自身の経験を一つだけ申し上げます。私は高血圧で、40代には上が170、下が105くらいありました。友人の医者が見かねて薬をくれるようになり、上は140~150、下はかなり後まで90台でした。定年を過ぎてから80台に落着きました。定年でストレスが減ったためだと医者が喜んでいました。その位下は下げにくいようです。それが、吹矢を始めて3カ月頃から、70、60と下がり、以来今まで、大体130前後と60程度に落ち着いています。薬を変えたわけではないのに何故下がったか、と医者は不思議がっていましたが、吹矢のことを白状したのはずっと後になってからです。忍者ごっこか、などと笑われそうで恥ずかしかったからです。今は威張って言っていますが。 
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吹矢と私(4の1)

2011-05-10 21:16:21 | スポーツ吹矢の練習
 4月28日に日本スポーツ吹矢協会で、会長さん、役員の方々、事務職の方々に「吹矢と私」という話をする破目になった。おこがましくも、図々しくも、シャシャリ出て(私の前世はテントウ虫らしい)話をさせて頂いた。原稿(少し手を入れた)が長いので、数回に分けて掲載したい。吹矢は本当に健康に良いと私は思っている。以下のつたない文を読んで下さる方々の中から、一人でも二人でも愛好家が生まれてくれたら、と願っている。
1、自己紹介
 1930年10月28日 中野区沼袋生まれ。西武新宿線新井薬師駅近くの上高田小学校から府立六中(現都立新宿高校)に進学しましたが、昭和19年、2年生の時福島県の太平洋岸、双葉郡富岡町に疎開、以後敗戦を挟んで昭和22年まで、県立双葉中学(現高校)に通いました。
 双葉という地域は、最近まで殆ど誰も名を知らないような過疎地帯でしたが、東日本大震災で双葉町の原子力発電所が壊れて、一躍有名になりました。通学で朝夕乗り降りしていた常磐線富岡駅は津波にやられてプラットホームを残すだけの無残な姿になっています。戦争中、中学生たちの勤労動員で急造した飛行場が中学のすぐ南にあり、特攻隊の訓練らしいのをやっていました。アメリカの艦載機P51などが攻撃して来ると日本の飛行機は一機も飛びません。しかし、いなくなると飛びはじめました。敗戦直後の中学校舎は無残でした。死にそこなった特攻要員たちが暴飲暴食で教室を汚し、柱や壁に無数の刀傷を残し破壊していったのです。
 戦後其の飛行場跡に原子力発電所が出来ました。双葉町の居住者も、富岡町の居住者も、今は放射能汚染から身を守るために、はるか離れた場所に避難しています。半径20キロ圏は双葉高校の学区域ですから、同級生がまだ沢山そのあたりに住んでいましたが、皆どこかに避難しているでしょう。同級生だから皆80歳過ぎ。馴れないところで体を壊さねば良いがと案じています。昔、原子力発電所の話が出てから、若い人々を中心に多くの方々が反対しました。その頃、「反対する奴は電気を使うな、東京からノコノコ出しゃばってきて、町の発展の邪魔をするな」と居丈高になって私どもを罵倒していた町の有力者たちが、今では皆東電を恨んでいます。当時の誘致派有力者たちには年配者が多かったですから、もういない方々が多いでしょう。せめてもの救いです。しかし、生き残って東電を恨んでいる人たちは、またすぐ「でも、原発がないと電気が足りなくなるよ」と変節するでしょう。有力者の変わり身の早いのは、敗戦時にいやと言うほど見てきましたから、今更驚きませんが。
 定年(70歳)まで、大学で経済学の歴史を専門にし、講義を担当していました。
 小学校運動会の徒競争で一度も3等以内に入れず、入賞者がリボンをつけて得意になっているのを毎回見せられて悔しい思いをしましたので、運動と言えるほどのことは全然してきませんでした。43歳の頃「少しは運動をしないと早死にするぞ」と友人に脅かされ、ゴルフを勧められましたが、「女に荷物を担がせて、自分は手ぶらでブラブラ歩いてる。あれで何が運動だ」と馬鹿にして、どうせ棒を振るなら剣道の方がいい、とめちゃくちゃな理由で、大学の剣道部に入れてもらいました。実力はないのに、私は何故か試験にだけは強くて、3年で三段になりました。しかし、その頃からめったやたらと忙しくなり、四段の試験を目前にして剣道中止。ですからその頃から四段、五段というのに憧れていました。学生は、教師の頭を公然と叩けるのは俺たちだけだ、と大喜びだったようです。口では「先生と稽古するときは気を使いますよ」などと殊勝でしたが。
 其の当時、剣道の師範がよく言っていたのは「剣道の上達に必要なのは、1に良い教師、2に基本に忠実でまっすぐな稽古」ということでした。この二つが揃えば、誰でも五段にまではなれる、と言われました。吹矢で今それを実感しています。
 
 
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吹矢のお楽しみ会

2011-05-05 01:26:18 | スポーツ吹矢の練習
 今日(5月4日)大和市と綾瀬市から9人の若い「ご老人」が集まってスポーツ吹矢の会を始めた。殆どが初心者だから、6メートル先の的に向かって好きなだけ吹いてもらった。なんと、31点を連発する人が出た。最後には、別の人が「満点を出す」と公言して、本当に半径3センチの真ん中に5本的中させた(35点)。「俺は言った事を必ずやるから」と喜んでいたが、本当にびっくりした。次回には早くも2級の資格を取る人が出るかもしれない。
 昔は温泉宿に射的場がつきものだった。叔父の経営する会津の温泉宿にもそれがあって、私は昔ひと夏そこの店番をしていた。暇だから練習した。すぐ百発百中になった。それを見てお客が沢山寄ってきた。売り上げは伸びたが、当たらない客にはよく怒られた。「兄ちゃん、自分ばかり当てねえで客にもサービスしねえと駄目でねえか」と。「あんたが下手だから」とは言えなくて返事に困った。今、私が吹矢を面白く思うのは、あの頃の射的のおかげで、よく当てるコツを体が覚えているからかもしれない。
 誰でも、的にうまく当たったら嬉しくなる。介護施設のご老人が車椅子で吹矢をやって、上手く当たって大喜びしていると聞いた。ご老人はそのうち自分の足で立って吹くかもしれない。良いスポーツですね。やってて楽しくなる。
 今日で、ご近所の「吹矢を楽しむ会」は2つ出来た。自分がこれから練習して上達しなければならないのに、そんなに同好者を身近にふやしてしまってはよろしくない、と自戒しているけれど、本当に楽しんでいる仲間を見ると放ってはおけなくなる。まあ、自分の上達はほどほどにしてみんなと吹矢を楽しむことにしよう。それが、案外、自分の技を上達させることになるかもしれないから。
 
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昭南島の日本語教育

2011-05-04 12:21:21 | ぼやき
 親父の本棚を整理したら、『東京都退職校長会会報』というのが出てきた。昭和58年10月発行。中に、宇佐美三郎さんという方の戦時中の思い出が載っていた。「昭南島の日本語教育」。昭和19年4月29日に、昭南市(シンガポール)で行われたマライの子供たちによる天長節祝賀会の様子や現地の小学校の思い出。この方は多分シンガポールに教師として赴任しておられたのだろう。
 子供たちが日本語で「けふの よき日は 大君の 生まれたまいし よき日なり・・・」と混声四部合唱で上手に歌う。「天皇陛下の御稜威がこの地にも及ぶかと思えば深い感動に涙を禁じ得なかった」とある。子供たちは愛国行進曲をマライ語でうたう。劇もやる。台詞は全部日本語。昭南師範学校付属小学校の先生は皆マライ人だが、「校門をくぐると日本語以外使えなかった。」先生方は給料の他に日本語手当が支給されていて、習得の程度によって手当が一等から三等まであった、と記されてある。残念ながら、ひどいことをした、という反省は一言もない。
「敗戦の時、帰国しても日本語を使って教育してはならないことになったらどうしようかと当時は真剣に考えた。」と結んであった。勝者だった自分たちがやったことを、負けてからは敵がやるだろう、と恐れている。屈辱的と思ったのか。何たる自分勝手。シンガポールの人々に日本語を強要したのは良いこと。しかし、日本人が日本語を禁じられたらどうしよう、と。この方は戦後世田谷区の小学校で校長先生をしていた。こういう懲りない輩、時代迎合の恥知らずでないと校長になれないのだろう。
 シンガポールで子供たちに日本語を強制したことには何の反省もない。しかし、敗戦で同じように日本も外国語を強要されるのではないかと心配している。勝手なものだ。こういう無反省な人たちが戦後小学校の校長を務めていたのだ。敗戦後38年、1983年になってもこのような感慨に浸っている教育者がいた。恐ろしいことだ。日の丸・君が代問題の根の深さを思いさらされた。
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長い冬眠のあとに

2011-05-01 23:00:11 | ぼやき
 あまりにも色々の事があり過ぎて、長いことブログを書けませんでした。これからもどの程度かけるか分かりませんが。書きたいことは山ほどたまりました。少しずつでも吐き出したいと思っています。
 昨日尊敬する先輩の葬儀がありました。82歳。ちょっとお腹の具合が悪い、と夕食を摂らずに寝て、夜中に冷たくなっていたそうです。家族が気がついたのは心臓停止一時間後位。それまでは毎日普通の生活だったそうです。亡くなったことは、本人もまだ気が付いていないでしょう。凄いことですね。彼は飛行機乗り。特攻隊の生き残りでした。
 今月初めに吹矢の昇段試験を受けました。五段合格。これで、入会以来、二級合格から五段まで、受験資格が出来るたびに受けて、全部合格。2年6カ月で五段に駆け上がりました。80歳の老人?の業績としてはかなりのものです。自分でいってりゃ世話ない。日本スポーツ吹矢協会の会員24000人の中でも珍しいらしく、先日協会本部の方々の前で、「私と吹矢」という話をしました。新米がよくも、恥ずかしげもなく、偉そうなことを話したものだ、と自分ながら呆れています。

 3月11日の大震災とそれによる福島原発の大故障で、福島県浜通りは大変な被害にあっています。私は戦中戦後あの双葉町の双葉中学(現双葉高校)に通っていました。今は、双葉町全体が避難地域ですから、高校生も他の地域に、サテライト高校とか言う分散入学をしています。戦時中中学生たちの勤労動員で作った飛行場が、学校の先にありました。特攻訓練をしていたのでしょう。敵の艦載機が襲ってくるときは日本の飛行機は全然飛びませんでした。空襲がおわると日本機が飛ぶ。敗戦後、教室には空き缶が山になっており、柱には無数の刀傷がありました。命拾いをした特攻隊員が 暴飲暴食のあげく校舎をめちゃめちゃに壊して回ったのです。
 やがて、其の飛行場のあるあたり一帯は東京電力のものになり、原子力発電所ができました。建設反対をとなえる私たち若者に向かって、町の有力者たちは「反対する奴は電気をつかうな」と居丈高でした。かなりの人々がお年で今は亡くなっていますが、ご丈夫な方々は東電を恨んでいます。今さら、とも思いますが、変わり身の早いのは有力者の常。もう少ししたら、また「でも電気は必要だから原発はやむをえないよ」と言いだすでしょう。あさましいくらい現実的。今日はここまでにします。
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