前稿「棒の如きもの」について最初に書くべきことをカットしてしまった。
高島先生があの句を好いておられたのは、「貫く棒」を不動心と解されていたからだと思う。研究者の場合テーマや関心は様々だ。しかし、そこには一貫した不動心が無ければならない。先生のように厳しい戦中体験をお持ちの方には、あの1945年夏を境にして豹変した多くの同僚、研究者仲間を許すことは困難だったろう。内面に塊のように溜まっていた批判が、1951年にこの句に出会って これだ! となった。丁度私たちが学部から大学院とゼミナールでご指導いただいた時期と重なる。先生に確かめたことはないが、この句を口にされる時の気迫でそれを感じていた。
まずこれを書いて、それから、それぞれが不動心をもって追い求めているものは何かを考えるべきだった。「拠るに小径によらず」か。
高島先生があの句を好いておられたのは、「貫く棒」を不動心と解されていたからだと思う。研究者の場合テーマや関心は様々だ。しかし、そこには一貫した不動心が無ければならない。先生のように厳しい戦中体験をお持ちの方には、あの1945年夏を境にして豹変した多くの同僚、研究者仲間を許すことは困難だったろう。内面に塊のように溜まっていた批判が、1951年にこの句に出会って これだ! となった。丁度私たちが学部から大学院とゼミナールでご指導いただいた時期と重なる。先生に確かめたことはないが、この句を口にされる時の気迫でそれを感じていた。
まずこれを書いて、それから、それぞれが不動心をもって追い求めているものは何かを考えるべきだった。「拠るに小径によらず」か。