某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

去年(こぞ)今年(ことし)貫(つらぬ)く棒の如きもの  高浜虚子

2010-01-01 01:54:43 | ぼやき
 恩師高島善哉先生のお好きだった句。除夜の鐘を聞きながらこの句を思う、というのを一度やってみたかった。0時をはさんでブログをいじっていたお陰で、ヤット今それが実現した。
 貫く棒の如きもの、さて何だろう。先生にとっては多分ご自身のテーマ。民族・階級・国家。その現実の場としての風土、家族。支えとなり発展の原動力となる生産力。まとめて言えば市民社会の生成と発展。まさに棒のごとく太くたくましい難物。
 大岡信はこの「貫く棒の如きもの」を「去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理」と解したが、ちょっと言葉遊びのように思えて満足できない。中身がありそうに見えない。客観的に存在する巨大な何か、というだけだ。
 さて、私にとっては何だろう。生産力といえば間違いではないが何も言わぬに等しい。では、ブログかな、吹矢かな。いやちいせえ、ちいせえ。では、アイルランドの復活祭蜂起は正しい政治路線だったか、という前からの疑問は?太くたくましい、どころか、自分の宿題に矮小化しただけだな。
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2 コメント

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ことしも跳びましょう (スマイル36)
2010-01-02 12:58:21
背筋をピンと張らせる実直な句ですね。良い句を知りました。では私の棒は何かと自問すれば、「自由と創造」でしょうか。文字に起こすと学生染みた恥じらいを感じますが・・・
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今年も宜しく (老爺80歳)
2010-01-02 14:49:56
 コメント有難う。今年も不動心で行きましょう。良い句ですね。俳句は自分なりに解して体得できるから好きです。前に書いた「海に出て木枯らし帰るところなし」などは、作者の意図とは多分違うけれども、私は海に散った多くの若者を悼む句として身につけています。
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