某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

仰げば尊し

2010-01-13 22:35:39 | ぼやき
 今の時期には、この歌がいつも頭の中で響いている。そして「わが師の恩」を改めて思う。
 敗戦後一番生活の苦しかった昭和21年に、母が7人の子供を残して、身寄りのいない疎開先で亡くなった。享年41歳。今流に言えばヤット40歳。私が一番上で16歳だったから弟妹6人皆まだ餓鬼だった。父は集団疎開の児童をつれて東京に戻り、焼け残った小学校校舎の片隅に住んでいた。弟や妹は会津の親戚に分散して面倒を見ていただくことになった。私はそちらに行っては中学校に通えない。しかし他に方法が無いので、一時退学し、東京に住居を構えられたらまた中学に戻ろう、ということになった。退学届を中学に出しに行き、担任の鎌田先生に事情をお話した。
 先生はこともなげに「うちさこ(=来い)。退学などすんな」とおっしゃった。いやびっくりした。いくら福島とはいえ、農家でなければ食糧難だ。しかもまだ若い一介の中学教師で、6人家族。家の方に相談もしないでいきなり食い盛りの子供を連れてきたら大変なことになる、と、中学4年生の私でもわかったが、うれしかった。感激した。母の死に流した涙とは違う涙が頬を濡らした。父も遠慮したが、結局先生のお宅にお世話になることになり、退学せずに済んだ。
 大学進学の時もお世話になった。昼働いて夜学で外国語を習うつもりでいた私に、「魅力のある大学がない、ということらしいが、俺の出た大学に行ってみろ。良いところだぞ」と先生は忠告してくださった。先生は東京商科大学のご出身。新制になって一橋大學と名を変えた。幸い入学できたので、予定とは大分違う人生を歩むことになってしまった。
 先年91歳で亡くなられた先生のご葬儀で、改めてこうしたご恩へのお礼を申し上げた。不覚にも声が詰まりよれよれの弔辞になってしまった。「ほれ、シャンとしろ、シャンと」と先生が耳元でお笑いになった。
コメント (2)
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アイルランド製の手帳

2010-01-13 01:58:25 | アイルランド関係イベント
 Dubliner's Diary 2010という面白い手帳を頂いた。地図、鉄道路線図、レストランのランキング別一覧その他いろいろあって便利だ。
 見開き2ページに月曜から日曜まで予定が書き込めるようになっている。朝9時から夕刻5時まで9本の横線が引かれていて、1時間ごとの予定が記入できるようになっている。9時より前、6時以後は書き込めない。そんな時間には仕事の予定はない、ということらしい。もっとおかしいのは土曜のスペースが月~金の半分で時刻印刷なし。日曜にいたっては土曜のまた半分で殆ど書き込み不能。土日には書き込むような仕事の予定のあるはずがない、ということだろう。私のような、土日だけ全部予定で詰まっている者は、人間らしい生活をしていない哀れな人種ということになるか。
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