大駒の「不成」には、子供のころ感動したものだった。
将棋において、銀や桂馬に香車は「不成」で使うのが好手になるケースは多いが、一方で歩、飛車、角に関しては、まずありえない。
それが、唯一と言っていいほどのレアケースで生ずるのが、「打ち歩詰」を回避する手筋。
将棋は最後に、持駒の歩を打って詰ますのは反則で、それだけだと意味のよくわからないルール。
なのだが、幸いにと言っては変だが、これがあるおかげで、ものすごく奥が深くなったのが詰将棋の世界。
この筋を回避するため、詰将棋には飛車や角をあえて「不成」で使うという形が出て「おー」と歓声が上がり、実戦(その一局や詰将棋は→こちら)にも出たことがあるのは、こないだもお伝えした通り。
また、ここに「打ち歩詰」ほどではないにしろ、なかなか見られない「大駒の不成」があって、前回は奇跡的ともいえる実戦の「飛不成」を見ていただいたが(→こちら)、今回ちょっとちがう「不成」のお話。
前にやってた、第3回アべマトーナメントで、高野智史五段が、今泉健司四段相手に「飛車不成」を披露して話題になった。
といっても、ここでは「打ち歩詰め」は関係なく、単に取られそうな飛車を逃げただけだが、この大会が「フィッシャールール」を採用していると聞けば、「あー、あれね」と、うなずく方もおられるだろう。
そう、ここで高野が指したのは、
「時間かせぎの不成」
将棋では終盤で時間が無くなると、1秒でも、いやそれこそ0、01秒でもいいから考える時間がほしいもの。
そのためには、駒を裏返す時間も惜しいということで、とっさに披露することもあるのだ。
これはのちのトップ棋士でも、いくつかやってるケースがあって、たとえば1992年の第5期竜王戦。
谷川浩司竜王・棋聖・王将と、羽生善治王座・棋王で争われた七番勝負の第2局。
先手玉に受けがなく、後手玉を詰ますしかないが、次の手にビックリ。
▲41飛不成が、「え?」となる手。
たしかこれ、10代のころ並べていて、思わず手が止まったのをおぼえている。
「誤植」にしか見えないから、どういうこっちゃと混乱したわけだが、このブログのため、あらためてこの将棋の棋譜を並べ替えしたときも(その記事は→こちら)、
「ん? ん?」
もう一回、目が回りそうになったから、かなりのインパクトだ。
もちろん、時間に追われて飛車をひっくり返す余裕がなかったからだが、竜王戦という頂上決戦の、しかも羽生-谷川というゴールデンカードでこういうことがおこることからして、
「大駒の不成」
これが「必死の証」であることがよくわかる。
「9」まで読まれて、ギリギリに駒をすべらせた羽生の姿が、目に浮かぶようではないか。
この場合、後手は△41同玉と取るしかないから、成っても成らなくても、一応は問題ない。
結果は後手玉に詰みがなく、谷川が勝ち。
もうひとつは、2001年の第19回全日本プロトーナメント(今の朝日杯)。
谷川浩司九段と、森内俊之八段との決勝五番勝負の最終局。
難解な終盤戦から、後手の森内がようやく抜け出した場面で、ここまでの流れでいえば、次の手はもうおわかりでしょう。
△78飛不成が、当時話題になった手。
やはり、さっきの羽生と同じく決死の時間かせぎだが、ちょっとちがうのは、森内はその後、この手のことを聞かれて、わりと自覚的に指していたことを認めている。
つまりは、ハッキリと
「いよいよ秒読みになったら、不成を発動させて勝つ」
という意志があったわけで、そこまで割り切って成らないというのも、なかなかに、めずらしいスタイルではないか。
後年、森内自身が語るところによると、さすがに自分でもやりすぎだったと反省するようなことを、おっしゃっていた。
その後、森内は実績的にも人格的にも、文句のつけようのない大棋士になるのは、ご承知の通り。
そんな人が若いころには、こういうなりふり構わぬ闘志を見せていたのというのが、今見るとなかなかに熱いではないか。
(中原誠名人による「詐欺師の手口」編に続く→こちら)