前回(→こちら)の続き。
1992年の第50期名人戦は、挑戦者の高橋道雄九段が相矢倉の重厚な将棋で、中原誠名人に3勝1敗とリード。
追い詰められた中原は第5局を得意の相掛かりで取ると、第6局では意表の横歩取りを披露。
激しい戦いを制して、フルセットに持ちこむことに成功(第1回は→こちらから)した。
最終戦。注目なのは、もちろん振り駒である。
のちの1998年、第56期名人戦で、谷川浩司名人に佐藤康光八段が挑んだときは、双方第6局まで先手番をキープし、最後の一局は
「ウン千万円の振り駒」
と言われたそうだが(結果は後手になった佐藤が勝って名人奪取)、ここはふだんなら「あまり気にしない」と達観していたはずの中原も、
「正直なところ先手が欲しかった」
と告白したのだから、本当に大きな「神様のサイコロ遊び」になった。
結果は願いもむなしく、高橋が先手。
▲76歩に、後手はしぶしぶ△34歩。
ここで先手は▲66歩として「無理矢理矢倉」のように組む手順もあったが、高橋曰く、
「その形は指したことがありません」
堂々と▲26歩で、空中戦を受けて立つ。
中原も△84歩。第6局と同じだ。
降谷でも沢村でもなく、最終局も「先発は東条」だった。
とにかく、矢倉だけは勘弁という意味では、中原の姿勢は徹底していた。
もっとも、高橋も第6局では1手バッタリが出るまでは、いい将棋を指していたし、当然最終局でも予想はしていたハズで、研究もおこたりなかったろう。
果たして、柳の下に二匹目がいたのか。むかえた、序盤戦のこの局面。
△22金と寄って飛車成を受けたのが、中原「強情流」の1手。
△22銀は危険だし、△23歩とも打ちたくないから金でというのはわかるが、こんな愚形を序盤早々強いられては、苦しいことは一目瞭然だ。
そこから双方、自陣を整備してこの局面。
両陣とも好形に組みあがって、中原は悪くないと思っていたそうだが、次第に「ん?」となる。
先手は7筋の位が大きいし、飛車先の歩も伸びて、後手の2筋3筋に歩がないこともうすく、そこに歩を伸ばして圧迫する手もありそう。
実はこの局面、控室の検討でも見解が一致し、すでに高橋が優勢なのだ。
第3局の終盤戦に続いて、またもや高橋が名人位に手をかけた瞬間がここだった。
ここでは「地道高道」らしく、厚みで押しつぶすもよし、また好機に▲74角と打ちこむ手も強烈で、そのまま先手が押し切っていたはずなのだ。
だが、ここから高橋が乱れだす。
後手が△96歩、▲同歩、△92香と端からゆさぶりをかけたのに、▲67銀と引いたのが、弱気な手だった。
自陣を引き締めて自然なようだが、左辺の厚みを放棄してしまったのが良くなく、▲74角の威力も半減している。
続いて、△55歩の突き捨てに、▲27角と打った遠見の角が疑問手。
△54角と合わせられて、先手が損をしてしまった。
ここで高橋の読み筋はおそらく、▲同角、△同銀直に▲55歩と取って、△同銀、▲56歩で銀を殺せるというもの。
だが、それには切り返しがあった。
△66銀と捨てる好手があり、▲同銀には△76角が王手香取りで、突破される。
▲27角と打つところでは、なにもせずじっと▲55同歩と取っておくのが落ち着いた手で、優位を維持できたのだ。
高橋好みの一着にも見えたが、大一番でこういう、ゆるめるような手を指しにくいのは将棋の定番「あるある」。
このあたりの、ちぐはぐな指し手に中原が息を吹き返した。
端からラッシュをかけ、一気にペースをつかんでしまう。
少し進んだ、この局面を見てほしい。
先手は▲86の飛車と▲87の歩が、あまりにもヒドイ形で戦意がなえそうだ。
「名人位へのプレッシャー」などというのは類型的すぎて、高橋に失礼な気さえするが、それにしても、あまりにらしくない将棋になってしまった。
それでも高橋は懸命に食らいつき、最後は1手違いに近いところまで持っていったが、健闘むなしくそこで力尽きた。
1勝3敗の崖っぷちから3連勝で大逆転。
シリーズ前半戦の内容を思えば、信じられない結果だが、まさに中原誠の底力を見た想いだ。
追い詰められながらも、なにかないかとカバンの中身から押入れの奥まで、すべてひっくり返して戦った末、見事に逆転防衛を決めた中原名人。
これこそが、米長邦雄をはじめ、多くの観戦者が感服した大名人の勝負術。
またの名を「詐欺師の手口」。
米長は様々なふくみがあって言ったことだろうが、私はただただ「中原すげー」しかなかった。
この勝利には感動することしきりだったが、これで力つきたか、中原は翌年の防衛戦で、宿命のライバル米長邦雄に4連敗のストレート負けを喫する。
また、49歳で悲願の名人位についた米長も、翌年には羽生善治四冠に2-4で名人位を奪われる。
ここから名人位はいったん谷川浩司に移行したあと、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之と、次々若き「新名人」を生み出すことに。
これまでの「定跡」なら、米長邦雄や加藤一二三のようなポジションだった彼らは、過去の「神話」にとらわれることなく、自らの力でチャンスを生かし、頂点に立つ。
まだ28歳だった「佐藤康光名人」誕生に興奮したことを、今でもおぼえている。
古臭い「神話」にキッパリNoを突きつけた彼は、まさにそこで「革命」を起こしたのだから。
森内俊之に至っては、「選ばれし者」を差し置いて、先に「永世名人」を獲得。
ここでついに「残酷な神」は葬り去られた。
これ以降、名人は「選ばれる」ものから、「実力で勝ち取る」ものになり、また時代は新たな熱気を生み出していくことになるのだ。
(伊藤沙恵と里見香奈の激戦編に続く→こちら)
(米長邦雄の言う「詐欺師の手口」については→こちら)