「オチないんかい!」という関西人について、大阪人が対処法を考えてみた

2021年11月22日 | ちょっとまじめな話
 「《オチないんかい!》って怒られちゃうんだけど、どうしたらいいのかな」。
 
 なんて相談を持ちかけてきたのは、友人トサコちゃんであった。
 
 彼女は昔、アルバイトをしてた店で一緒だった女の子だが、私の住む大阪ではなく、もとは東北の出身。
 
 進学を機に関西に出てきたわけだが、北国とこちらでは文化がいろいろとちがうらしく、最初はとまどうことが多かったそうな。
 
 中でもビックリしたのが、こちらで仲良くなった人と話をしていて、突然に、
 
 
 「……って、話にオチないんかい!」
 
 
 そうつっこまれること。
 
 彼女はふつうに話してるだけなのに、急にそんなこと言われても、どう対処したらいいか困っているというのだ。
 
 たしかに世間話をしていて、別におもしろトークというわけでもないのに、最後にオチを求めるという傾向が関西にはある。
 
 かくいう私も、大学生になったとき、はじめて関西以外の人とガッツリ話をして、そこに「オチ」がなくておどろいたもの。
 
 その内容というのは今でも憶えていて、静岡出身の子が、その日着ていたジャケットを見せながら、
 
 
 「昨日さ、梅田の街で、おしゃれな店見つけてね」。
 
 
 前置きした後、ちょっと自慢げに、
 
 
 「いいと思って、買っちゃった」。
 
 
 そこで数秒沈黙が流れ、私が「……うん、それで?」と問うならば、彼はニッコリ笑って、
 
 
 「それでって……それだけだけど」
 
 
 このときの衝撃は、どう表現すればいいのだろう。
 
 大げさに言えば、異文化とのファーストコンタクトというか、
 
 「え? まさかそれで終わり? ただの報告?」
 
 そしてたしかに、自分もまた関西人の御多分にもれず、こう思ったのである。
 
 「そこからの展開オチもないの?」。
 
 私は生まれも育ちも大阪という生粋の浪速っ子で、交友関係もそのほとんどが地元以外でも兵庫奈良京都和歌山といった面々。
 
 経験上、われわれ関西人(特に大阪人)の
 
 
 「自分たちはおもしろい」
 
 「笑いのセンスがある」
 
 
 という自負はただの「幻想」であることは、なんとなくわかっていたので(関西人は単に「明るくてノリが良い」ことを「プロの芸人的な笑いのセンス」と混同しているケースが多いから)、上から目線で
 
 「ないんかい!」
 
 と声をあらげることはなかったけど、その話がおもしろいかどうかは別にして、
 
 「トークの最後にオチ」
 
 というのが、もしかしたら関西独特の文化(私はこれに懐疑的だが、そのあたりについては後ほど)なのではないかと、はじめて思い至ったわけなのだ。
 
 しかも、たいして悪気もない(いや、あることもあるかな)「ないんかい」に、
 
 「怒っている」
 
 「怖い」
 
 と受け取る人もけっこう多いと。
 
 なるほどー。そうなんやー。
 
 私は海外旅行が好きで、その理由のひとつに、
 
 「異文化と接触することによって生じる自己の相対化
 
 が心地よいというのがあるけど、その萌芽はこのときの「オチのない話」にあった。
 
 「自分の常識が、他者には必ずしも、そうにあらず」
 
 ということを学んだ、それなりにインパクトのある事件だったのだ。
 
 将棋の羽生善治九段は「怖いものはなんですか?」というアンケートに
 
 
 「常識」
 
 
 と答えたことがあったが、共感できるところ大だ。
 
 私が「当たり前」「ふつう」「常識」という言葉が偉そうに飛び交うときに、少しばかり警戒心を持つようになったのは、この「オチ事件」からかもしれない。
 
 それって、自分の文化だけを絶対と思いこんだ、ただの「世間知らず」なんじゃないの? と。
 
 大げさに言えば、行ってもほとんど価値のない日本の大学で、もっとも勉強になったことが、この発見かもしれない。
 
 それくらいの衝撃だったのだ。
 
 なんて振り返ってみても、「そんな、たいそうな話かよ」と笑われそうだけど、本当におどろいたのは事実。
 
 それにこの問題は、これから関西に住むかもしれない人にとっても、そういう人に対するこちらにとっても、それなりに解決策を用意しておいた方が、スムーズなコミュニケーションの助けになりそうな気はする。
 
 そこで次回は、この関西人にとっては「オチないんかい!」、他府県人に取っての
 
 「オチとか言われても……」問題
 
 の本質と対処法について語ってみたい。
 
 
 (続く→こちら
 
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