「《オチないんかい!》って怒られちゃうんだけど、どうしたらいいのかな」。
なんて相談を持ちかけてきたのは、友人トサコちゃんであった。
彼女は昔、アルバイトをしてた店で一緒だった女の子だが、私の住む大阪ではなく、もとは東北の出身。
進学を機に関西に出てきたわけだが、北国とこちらでは文化がいろいろとちがうらしく、最初はとまどうことが多かったそうな。
中でもビックリしたのが、こちらで仲良くなった人と話をしていて、突然に、
「……って、話にオチないんかい!」
そうつっこまれること。
彼女はふつうに話してるだけなのに、急にそんなこと言われても、どう対処したらいいか困っているというのだ。
たしかに世間話をしていて、別におもしろトークというわけでもないのに、最後にオチを求めるという傾向が関西にはある。
かくいう私も、大学生になったとき、はじめて関西以外の人とガッツリ話をして、そこに「オチ」がなくておどろいたもの。
その内容というのは今でも憶えていて、静岡出身の子が、その日着ていたジャケットを見せながら、
「昨日さ、梅田の街で、おしゃれな店見つけてね」。
前置きした後、ちょっと自慢げに、
「いいと思って、買っちゃった」。
そこで数秒沈黙が流れ、私が「……うん、それで?」と問うならば、彼はニッコリ笑って、
「それでって……それだけだけど」
このときの衝撃は、どう表現すればいいのだろう。
大げさに言えば、異文化とのファーストコンタクトというか、
「え? まさかそれで終わり? ただの報告?」
そしてたしかに、自分もまた関西人の御多分にもれず、こう思ったのである。
「そこからの展開もオチもないの?」。
私は生まれも育ちも大阪という生粋の浪速っ子で、交友関係もそのほとんどが地元以外でも兵庫、奈良、京都、和歌山といった面々。
経験上、われわれ関西人(特に大阪人)の
「自分たちはおもしろい」
「笑いのセンスがある」
という自負はただの「幻想」であることは、なんとなくわかっていたので(関西人は単に「明るくてノリが良い」ことを「プロの芸人的な笑いのセンス」と混同しているケースが多いから)、上から目線で
「ないんかい!」
と声をあらげることはなかったけど、その話がおもしろいかどうかは別にして、
「トークの最後にオチ」
というのが、もしかしたら関西独特の文化(私はこれに懐疑的だが、そのあたりについては後ほど)なのではないかと、はじめて思い至ったわけなのだ。
しかも、たいして悪気もない(いや、あることもあるかな)「ないんかい」に、
「怒っている」
「怖い」
と受け取る人もけっこう多いと。
なるほどー。そうなんやー。
私は海外旅行が好きで、その理由のひとつに、
「異文化と接触することによって生じる自己の相対化」
が心地よいというのがあるけど、その萌芽はこのときの「オチのない話」にあった。
「自分の常識が、他者には必ずしも、そうにあらず」
ということを学んだ、それなりにインパクトのある事件だったのだ。
将棋の羽生善治九段は「怖いものはなんですか?」というアンケートに
「常識」
と答えたことがあったが、共感できるところ大だ。
私が「当たり前」「ふつう」「常識」という言葉が偉そうに飛び交うときに、少しばかり警戒心を持つようになったのは、この「オチ事件」からかもしれない。
それって、自分の文化だけを絶対と思いこんだ、ただの「世間知らず」なんじゃないの? と。
大げさに言えば、行ってもほとんど価値のない日本の大学で、もっとも勉強になったことが、この発見かもしれない。
それくらいの衝撃だったのだ。
なんて振り返ってみても、「そんな、たいそうな話かよ」と笑われそうだけど、本当におどろいたのは事実。
それにこの問題は、これから関西に住むかもしれない人にとっても、そういう人に対するこちらにとっても、それなりに解決策を用意しておいた方が、スムーズなコミュニケーションの助けになりそうな気はする。
そこで次回は、この関西人にとっては「オチないんかい!」、他府県人に取っての
「オチとか言われても……」問題
の本質と対処法について語ってみたい。
(続く→こちら)