必殺の0,1秒 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局 その2

2024年10月29日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王佐藤康光七段の七番勝負、第6局は両者ゆずらぬ大熱戦になった。

 

 

 

 羽生優勢から、一瞬のスキを突いて佐藤が一気の追い上げを見せる。

 図の△95桂が強烈な一撃。

 ▲同歩とは取り切れないし、後手からはが入れば、自動的に先手玉の詰めろになる仕掛け。 

 そして、その銀は盤上に2枚落ちている。

 佐藤のパンチが急所に入り、さすがの羽生も朦朧としたそうだが、ここでまた、すごい勝負手を振り絞ってくる。

 

 

 

 

 


 秒読みの嵐の中、▲33歩△同桂▲41銀と打ったのが目を疑う手。

 先手玉はを渡すとお陀仏なのに、その銀を攻めに使うと。

 とんでもない度胸であるが、羽生によるとここでは、

 


 「慌てて指した手で、その後は負けだと覚悟しました」


 

 苦肉の策だった。しかも、この銀は△87桂成からバラした後、△81飛が王手で抜かれてしまうのだ。

 ここでは行方尚史五段が指摘の、▲25桂が有力で、△同桂▲33歩なら難解ながら後手玉は寄っていた。

 

 

 うーむ、さすがはナメちゃん、するどい!

 これを逃し、なら先手負けかといえば、そうではないのが勝負の不思議で、1分将棋でこの銀打は不思議な魔力を発揮するのである。

 佐藤は△87桂成として、▲同飛成△同竜▲同玉△81飛王手銀取りをかける。

 

 


 
 自然な応手で自陣の憂いを消し、佐藤はここで優勢を確信した。

 それ自体は間違っていなかったが、△81飛と打つところでは、△31金打△42金打と守るほうが勝っていたという。

 飛車手持ちにしたままの方が、先手玉を寄せるのに役立つし、これで強引にを入手してしまえば詰めろになって、先手も受けがむずかしい。

 とはいえ1分将棋では、△81飛と打ちたくなるのも人情で、しかも、それで後手優勢なのだから、佐藤康光も責められるいわれは、ないわけだ。

 ただ、あくまで結果的にではあるが、この銀打ちは小さいながらも、逆転のタネになった可能性はある。

 自陣に使わせた飛車は、その後あまり働かなかったからであるが、これはさすがの羽生も、そこまでねらっていたわけではないのだが。

 △81飛▲83歩△41飛で、手番が来た羽生は▲33銀成として、△同金▲52飛と王手。

 △32金打とガッチリ受けるが、この次の手が、またも羽生の渾身の勝負手だった。

 

 

 

 

 


 ▲56歩と、このタイミングで受けに回るのが、「羽生マジック」と呼ばれるゆさぶり。

 ふつうなら、先手は手番をもらった一瞬に、なんとかラッシュをかけて、後手玉を仕留めてしまいたいところのはずだ。

 当然、佐藤もそこに絞って、自陣のしのぎ形からのカウンターを、懸命に読んでいたことだろう。

 そこに、この驚愕の手渡し

 しかも、ここで△63角とされると、負けが決定しそうな場面でもあるのだ。

 それを「やってこい」と。

 どういう神経をしてるのか。これにはさすがの行方も、

 


 「見た瞬間に、僕の頭も切れちゃいました」


 

 それくらいに、信じられない一手なのだ。

 竜王位のかかった、この修羅場中の修羅場で、しかも相手の好手が見えながら手を渡せるとは……。

 佐藤の前に、フワッとチャンスボールが上がった。

 あとはそれを、スマッシュすれば決まりである。

 だが、ここで佐藤が最後の最後に間違えた。

 △63歩と取ったのが、自然なようで敗着になる。

 ここではやはり、△63角とすれば、後手が勝っていたのだ。

 羽生は△63角には▲同馬と取って、△同歩▲25桂とせまるつもりだったそうだが、△42金打と受け手、▲33桂成△同金直で後手が勝ちそう。

 

 

 

 

 本譜は△63歩以下、▲44馬△51歩▲62飛成△52金と、自陣に駒を埋め後手が手堅そうだが、こうなると攻め駒も減っている形になり、先手にプレッシャーがなくなる。

 以下、▲71竜△27角成に、▲25桂で、とうとう先手が勝ち筋に。

 

 

 

 

 

 △41飛車も、隠遁して働いてなく、こうなると▲41銀が「毒まんじゅう」の働きになって、それなりに意義があったことになる。

 勝つときというのは、こういうものだ。

 この将棋は▲41銀△81飛△63歩など最終盤は精度を欠いたように見え、実際、観戦していた田村康介四段も、

 


 「この棋譜だけを単に評価するなら、「駄局」の部類に入ると思います」


 

 

 しかし、それに続けて、

 


 「ただ、1分将棋で65手も指したことを考えると、もはやこれは最高級レベルと言うしかない」


 

 

 『将棋世界』で、この将棋を「羽生と佐藤康光の名局」のひとつとして取り上げた、勝又清和七段も、

 


 「延々と続く1分将棋で、この応酬を披露できるのがすごい」


 

 やはり△95桂に対する、▲33歩から▲41銀の流れに感嘆している。

 この一局を振り返って羽生は、

 


 「いや、今回はエネルギーを使いました。こんなに使ったのは珍しいというか、はじめて、ですね」


 

 佐藤は負けが確定した場面について、

 


 「つらかった。つらかったけど、自分の指した将棋ですから。島さんの言う『自分の指す将棋に責任を持つ』そんな心境で指してました」


 

 観戦者によると、対局場の女性スタッフが、モニター越しに食い入るよう、この対局を見据えていたという。

 将棋の内容に関して、そこまで深くは理解できてないはずの人が、わけもわからないまま惹きこまれていく。

 そのことが、どんな詳細な解説よりも、この一局の、すさまじさを表わしている。

 激闘を制した羽生は、これで竜王防衛

 ライバルに一発食らわせ、羽生時代を、ますます盤石のものにしていくのであった。

 


(佐藤康光のクソねばりからの大逆転はこちら

(佐藤康光の怒涛の追い上げはこちら

(その他の将棋記事はこちら


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼下の敵 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局

2024年10月28日 | 将棋・名局

 「1分将棋の熱闘」こそが、将棋の醍醐味である。

 将棋の持ち時間は、長いほうが当然精度が上がるわけだが、見ていておもしろいのは、やはり秒読みの戦い。

 手がどんどん動くから見ていてダレないし、なにより時間がないことによる読み手順ブレにこそ、勝負のドラマが隠されている。

 かつて先崎学九段はそのエッセイで、

 


 「見ていておもしろいのは、悪手だらけの戦いに最後、一手だけキラリと光る絶妙手がある将棋」



  

 そう書かれていたが、これは本当で、今回はそのような一局を紹介したい。

 現在、藤井聡太七冠佐々木勇気八段竜王戦でバチバチやりあっているが、まだ「若き獅子たち」だったレジェンドたちの戦いも、なかなか熱いでござんすよ。

 


 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王と、佐藤康光七段の七番勝負。

 このころこの2人はまだ20代ながら、1993年から3年連続で、竜王戦七番勝負を戦っていた。

 最初の激突では、佐藤が4勝2敗で初タイトルを奪取するが、翌年は羽生がリターンマッチを制して奪い返す。

 そのまた翌年、怒りの佐藤康光はまたも、本戦トーナメントをかけあがって挑戦者になり、ライバル対決の盛り上がりは最高潮に。

 羽生の3勝2敗リードでむかえた第6局

 後手の佐藤が急戦矢倉に組み、5筋での総交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 

 後手が仕掛けて駒をさばいたが、3筋にキズもあって、先手からもなにか反撃がありそう。

 ただ歩切れなので、どこから手をつけるか悩ましいところだが、実は後手陣に意外なが、もうひとつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲84銀と打つのが、羽生らしい好手。

 一見俗筋で、指すのにやや気がさすところだが、こういう

 

 「やりにくい」

 「指したらバカにされそう」

 

 という手を平然と選べるところに、羽生の強みがある。

 この銀打も、通常ならねらいが単調で、もし後手から△65歩▲同歩の突き捨てが入っていたら、△65桂▲73銀成△54銀みたいな手順で、アッサリ受け流されてしまう。

 だが、ここで案外と、いい返し技や受けがなく、佐藤もやられてみて、はじめてそのきびしさに気づいたよう。

 それまでの構想に難があったかと悔い、49の苦しい長考で△72銀と引くが、▲82角で先手の駒得が確定。

 「不利なときには戦線拡大」とばかりに、放置して△55歩と動くが、先手も冷静に▲73銀不成と取る。

 騎虎の勢いで△56歩と取りこむしかないが、▲72銀不成△57歩成▲同金△同飛成▲34桂急所に蹴りが入って先手優勢に。

 

 

 

  の安定度が違ううえに、先手からは▲35飛▲64角成を補充する手もあるなど、自然に手が続きそう。

 このままいけば、羽生快勝の流れだったが、佐藤の懸命の反撃に、一回自陣に手を入れたのが、手堅く見えて緩手だった。

 この小ミスで、形勢は急接近

 終盤戦、△45角と絶好の攻防手が飛び出したところでは、もうどっちが勝っても、おかしくない。

 

 

 


 次に△89竜とされれば、▲63質駒になっていることもあって、先手玉は危険きわまりない。

 といって、受ける形も見当たらず、観戦記によると、残り5分を切った羽生は、ここで明らかに動揺していたそう。

 いつもポーカーフェイスが売りの羽生にはめずらしいことだが、勝ち将棋をここまで追い上げられては、そうなるのも当然だろう。

 だが、ここからの羽生の対応が、すごかった。

 △45角の痛打にかまわず、なんと▲44銀と踏みこむ。
 
 △89竜をまともに喰らって、大丈夫なのかと目を覆いたくなるが、▲97玉でまだ詰みはない。

 こちらはすでに1分将棋の佐藤は、59秒まで考えて△95桂

 

 

 

 これがまた強烈な一撃で、▲同歩△同歩▲86玉△94金とシバられ生きた心地がしない。

 


 「頭がおかしくなっちゃいました」


 

 と述懐するよう、この桂打ちでグロッキーになった羽生だが、ボヤく間もなく、なにかワザを返さなければならない。

 先手陣は▲82飛車がいるため、△87桂成とされてもギリギリ詰まないが、を渡すと△87でバラして△78銀で仕留められる。

 しかもその銀は、盤上に2枚落ちている。

 つまり羽生は、を渡さず、また▲82飛車の利きもキープしたまま、後手玉を寄せなければならないが、果たしてそんな手はあるのか。

 この超難解な局面での秒読みはシビれるが、ここで羽生が指したのがまた、ド肝を抜かれる勝負手だった。

 

 (続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅に出たい病」は不治の病 『世界の車窓から』『ヨーロッパの車窓だけ』編

2024年10月25日 | 海外旅行

 「旅に出たい病」は不治の病である。

 人には様々な持病というものがあり、腰痛とか胃カタルとか外反母趾とかそれぞれあるだろうが、私の場合これが、

 

 海外旅行したい!」

 

 という発作なのである。

 ヤングのころから、ヒマさえあればザック背中に世界へ飛び出すバックパッカーというやつだったが、ときにはがなかったり休みが取れなかったり、その野望をはばまれることもあるものだ。

 そんなときは、第二次大戦中のドイツ軍コーヒーの不足を補うために「どんぐりのコーヒー」を飲んでいたように、代用品で欲望を沈めることになる。

 そこで今回は、そんな「旅のどんぐりコーヒー」を紹介してみたいが、まず最初に出てくるのが『世界の車窓から』。

 旅行したい欲が吹き出すときに、ヨダレをたらしながら旅行記ガイドブックや『トーマスクック時刻表』をダラダラ拾い読みするのはよくあることだが、『世界の車窓から』もその一環。

 絵面は綺麗だし、旅番組によくある「仲良し芸能人のおしゃべり」みたいなものないし、時間も短いからお手軽なところもグッド。

 また、かかっている音楽も楽しみで、アフリカオセアニア東ヨーロッパ南米など、ふだんはなじみのない地域の曲がかかっていると、アマゾンYouTubeなどで検索してみたり、ワールドワイドな気分が味わえるのも良い。

 あと、似たようなのでBS12トゥエルビでやってた『ヨーロッパの車窓だけ』というのもある。

 これはすごい番組で、なんと本当に「車窓だけ」を流すというもの。

 ナレーションもなければ、観光名所グルメ情報もなし。カメラの切り替えすらないという、車窓オンリーのノーカットノー演出映像。

 つまりは、それこそがカメラを車窓の見える位置に置いて、そのまま無言撮影しただけの映像と同じなのだ。

 シュールというか、テレビやYouTubeなどでときどき「やらせ」が取りざたされる中、そんなもんしようのないストイックすぎる姿勢だ。企画したヤツ、気ィ狂ってるんちゃうか。

 てゆうか、だれが見るの? まあ、オレが見るんやけどさ。

 さすがに、ひとりでジーっと見てるのはしんどいけど、一杯やりながら友人と旅話に興じるには最高BGV

 ただガタゴトとレール音が鳴るだけの静かな画面は、昼寝のお供にもピッタリだ。起きたらパリプラハにでも着いてたらいいのに。

 

 


 (『世界の車窓から』あえて地味なルーマニア編)

 (『ヨーロッパの車窓だけ』ブダペストからザルツブルク) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暁の決闘 佐々木勇気vs藤井聡太 2018年 第1回アベマトーナメント決勝3番勝負 第1局

2024年10月22日 | 将棋・名局


 佐々木勇気が、タイトル戦初勝利をあげた。

 今期の竜王戦七番勝負第2局で、藤井聡太竜王(名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)に快勝し、1勝1敗タイに持ちこんだのだ。

 佐々木勇気と藤井聡太と言えば、なにかと因縁があり、
 
 
 「デビューから30連勝を阻止」
 
 
 をはじめとして、アベマトーナメント決勝や、NHK杯決勝で2年連続当たるなど、インパクトのあるところで戦っている。
 
 その後は、きびしい言い方をすれば、かなりがついてしまった両者だが、個人的に、
 
 
 「あれ? ちょっと勇気、藤井くんに勝つの大変?」
 
 
 と感じたのが、この勝負からであった。
 
 
 
  


 

 2018年、第1回アベマトーナメント決勝3番勝負。
 
 勝ち上がってきたのは藤井聡太七段と、佐々木勇気六段の2人だった。
 
 双方とも優勝候補で、一番期待していたカードともいえるが、この決勝戦も1勝1敗最終局に突入。
 
 「ニュースター」藤井聡太に期待がかかるのはしょうがないが、それゆえに佐々木勇気も負けるわけにはいかない戦いだ。
 
 将棋は佐々木先手で、雁木模様に。
 

 
 
 
 
 雁木はこの当時、かなり有力視されていた戦型だが、仕掛けるのが難しいということで、千日手になりやすいと言われていた。
 
 実際、この駒組ではが使いにくく、どちらも攻めにくい。
 
 先手は▲26角から▲45歩が見えるが、角が動いたときに△86歩から飛車先の歩を斬られるのはシャクだ。
 
 かといって、千日手にするわけにもいかないが、ここで佐々木が独特の打開策を見せる。
 

 

 


 
 
 

 

 ▲77金が力強い手。
 
 われわれの時代は、▲7757に行くのは悪形とされていた。
 
 こういう「足して偶数」のマスは桂馬の通り道で、それがモロに当たってねらわれやすいから。
 
 だから、矢倉でも美濃でも銀冠でも、基本的な囲いはすべてそこを避けるのだが(▲67▲78▲49▲58などに置く)、現代将棋はそんなもん気にしまへんと。
 
 それよりも、△86歩を防ぎつつ、かつ金銀の厚みを主張するということで、以下こういう形に。
 
 
 
 
 


 先手の攻撃陣も整ってきて、これ以上じっとはしていられないと、後手は△75歩から仕掛けていく。
 
 そこから玉頭でもみ合って、この局面。
 
 
 
 

 

 後手の猛攻で、先手陣は相当に乱されている。
 
 特に金銀▲85の上ずってスキが多く、また7筋が素通しなのも怖い。
 
 パッと見△72香とか打ちたいけど、藤井聡太のねらいは、そんな単調なものではなかった。
 

 


 
 
 

 △86歩と打つのが、不思議な感触の手。
 
 玉頭に拠点を作り、▲同金なら△53角の射程圏内に入って神経を使う。
 
 とはいえ先手も取るしかなく、またそれで不安定だった▲76ヒモがつくので、悪いことだけでもない。
 
 そこで後手はどう指すか。
 
 今度、を打つのは▲76がタダ取りできないし、角筋を生かそうと△65銀みたいな手でうまくいくとは思えない。
 
 どうやるのかなーと見ていると、後手の手はまったく違うところに伸びるのだった。
 
 

 


 
 
 


 △24香が、△86歩からの継続手。
 
 これで田楽刺しが決まって、しかもコンビニおでんとちがい、具が飛車の豪華版。
 
 先手が一杯食ったようだが、ここでスルドイ方は

 

 
 「あれ? これがあるから、しのげるんでね?」


 

 そう思われたかもしれない。
 
 その通り。この田楽刺しは見事なように見えて、完璧ではなかった。
 
 佐々木は▲25歩と打って、△同桂の利きをブラインドに入れてから、▲69飛とかわす。

 後手は△37桂成と、ふたたびを通すが、▲同角と手順にも逃げて、投げ槍を空振りさせた。
 
 だが、それも藤井聡太の読み筋で、ここで△74桂がきびしい。
 
 
 
 
 

 先の△86歩は、この手をねらってのものだったのだ。
 
 一見、▲同金で効果がないようだが、一転視線を右辺にやって、巧みに桂馬を入手すると、それを急所に打ちつける。
 
 局面だけ見れば、さほど働いていない△33が、△74ワープしたようなもので、うまく攻めるもんであるなあ。
 
 ▲96金に、△75銀と浴びせ倒して、▲67銀△77歩

 
 


 
 カサにかかったパンチの連打で、先手玉はいつ仕留められてもおかしくない。
 
 後手は△27香成と、こっちのもソツなく活用。
 
 ただ、佐々木も決死のねばりを見せ、徳俵でふんばり土俵を割らない。
 
 そうして、クライマックスがここだった。
 
 
 
 
 

 △77歩のビンタが強烈だが、ここをどう応じるか。
 
 ▲同桂か、を逃げるか。
 
 時間に追われた佐々木は、とっさに▲77同桂と取ったが、これが敗着になった。
 
 ここは▲88玉が、最後の勝負手だった。

 


 
 これも先手玉は危険極まりなく、△87飛成とかで寄ってるかもしれないが、どっちにしても、これしかなかった。
 
 終局後、佐々木勇気の第一声が、たしか、
 
 


 「▲88玉でしたか」



 
 
 だった記憶があるから、やはりポイントはそこだったのだ。
 
 もっとも、1手5秒の超早指し戦で、この形は選べないのもわかるところだが。
 
 ▲77同桂△97歩成とシンプルに成られ、▲同歩△同角成で突破されている。
 
 ▲88歩に、△87歩▲76銀左△87金と強引にカチこんで、以下後手が勝ち。
 
 佐々木勇気も力をふりしぼったが、最後は藤井聡太がそれを上回った。
 
 このときの結果がインパクトあって、
 
 
 「あれ? これちょっと、勇気の分が悪くね?」
 
 
 いわゆる「格付け」的なものが、少々見えてしまったような感じだったのだ。
 
 その予想は当たってしまい、その後公式戦でもアベマの大会でも連敗を重ね、昨年のNHK杯決勝まで、
 
 
 「藤井聡太に、なかなか勝てない」
 
 
 という周囲の声とともに、佐々木勇気は苦難の道を歩むことになるのだが、ここへきてNHK杯優勝に竜王戦挑戦と、大器がようやく爆発のきっかけをつかんだ。

 

 

 

 

 

 「少年」のイメージも強い勇気だが、年齢もいつの間にか30歳

 「負けても経験」「これからいくらでもチャンスがある」とは言いにくくなっている。

 伊藤匠叡王に続いて「佐々木勇気竜王」まで誕生すれば、ニューヒーローということで将棋界も、さらに盛り上がるはず。

 ここから一気に3連勝するくらいの勢いで、第3局以降もノッていってほしいものだ。
 
 

 (佐々木勇気と藤井聡太の大熱戦はこちら

 (その他の将棋記事はこちら

 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やあ、ラッキーぜんじろう!」と平成のボンクラ大学生たちは言った その2

2024年10月19日 | 若気の至り

 前回の続き。

 


 「おまえらが、センス見せようとしてるところが腹立つ」


 

 友人イチオカ君のメッセージは、ヤングのころ、お笑い芸人のぜんじろうさんを街で見かけたとき、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」

 「ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとう!」

 「相方の太平かなめは、どないしてん! 捨てたか?」


 

 と呼びかけたことを示していた。

 まず友人センヨウ君が、あえて「昔の芸名」で、しかも本人が「黒歴史」認定している名で呼ぶとは、そこには当然、

 


 「そんなマニアックなことを知っている、俺様のお笑い教養の高さ」


 

 を誇っているわけだ。

 ハッキリ言ってイタいが、まだまだ話は終わらず、私も追随して、「ABCお笑いグランプリ」を持ち出す。

 これもまた、センヨウ君から受け取ったバトンで、当時の感覚ではぜんじろうさんといえば、人気番組だった「テレビのツボ」にふれるべきである。

 カラんでいくなら、当然そこで

 


 「おまえがやってるテレツボ、全然おもんないわー」


 

 などと行けばいいのだろうが、そんな中学生レベルのものが、ゆるされるわけない(?)のは自明の理。

 あえて、もう5年以上前(当時)の栄冠であるABCのタイトルを持ち出すあたり、そこはかとない「はずしてねらう」感がかもしだされている。

 今でいえば、オズワルド空気階段のふたりに話しかけるとき、М-1キング オブ コントのことはいっさい無視して、

 

 ラフターナイト優勝」

 

 にしか、ふれないようなものであろう。

 やはり、自分は

 

 玄人のお笑いファン」

 「メジャーになる前からチェック済みの情報強者

 

 なことを見せつけたい願望が、アリアリである。

 しまいには、エサカ君の「太平かなめ」発言。

 太平かなめとは、ぜんじろうさんのコンビ時代の相方さんで、それこそABCの優勝は「かなめぜんじろう」で獲得したものなのである。

 言うまでもなく、私の「ABC」に対する受け言葉

 昔、岡田斗司夫さんが声優岩男潤子さんと仕事をしたとき、アニメのことそっちのけで、岩男さんが過去に所属していたアイドルグループで、おそらくは黒歴史であろう、セイントフォー時代のことしか質問しなかったようなもの。

 当然ながら、すごい嫌がられたそうだけど、そりゃそうであろう。

 キーワードは「あえて」であり、

 

 「あえて、ラッキーぜんじろう呼ばわり」

 「あえて、今の輝きでなく、昔のローカルな栄光を呼び覚ます」

 「あえて、セイントフォー

 

 有名人にからんでいくときというのは、少なからず

 

 イラッとさせたい」

 

 という熱い想いがあると思うが、このときのわれわれは、完全に「大喜利のノリ」で、それをやっていた。

 

 「こんなお笑いファンはイヤだ。どんなお笑いファン?」

 

 それを、芸人かぶれの酔った学生が、

 

 「見てくれ、オレたちの教養ワードセンス

 「おまえなんかよ、俺らの方が全然オモロイ」

 

 みたいな顔しながらカマしてくるんだから、まったく地獄以外のなにものでもない。

 なんかまあ、淡々と書いているようで、今の私は恥ずかしさで転げまわりそうです。踊りでも踊ったろかしらん。

 もちろんのこと、こんな「かぶれ」の若者など、本人は「オモロイ」つもりだが、受ける方からすれば、しょせんは使い古された「あるある」にすぎない。

 実際、吉本新喜劇でも活躍された小藪一豊さんも、

 


 「【小藪さん、ビリジアンの時代から応援してます】とか、やってたコンビ名出して、濃いファンですアピールしてくるヤツ、マジでうっとうしいわ」


 

 なんて怒っており、

 

 「もうそれ、ボクですわ、すんませーん!」

 

 なんて裸足で逃げ出したくなるのである。ビリジアンのテニスのネタ、好きでしたよ!(←そういうとこだよ)

 いや、これねえ、おチャラけて書いてるようですけど、こっちはホンマに痛いツライ

 有名人にカラんだのもさることながら、さっきから再三言っているよう、そのワードセンスとかが、またアレだ。

 

 「俺たちお笑いのプロ

 「芸人なんかより、全然センスある

 

 とか思われたいのが、全体からにじみ出ており、そこを的確に刺してきたイチオカ君の性格の悪……感度の高さは、さすがである。

 昨今、ネットを通じた芸能人へのウザがらみや、誹謗中傷が問題になっているが、私はできるだけそういうものを減らしたいと考えている。

 それはもちろん芸能人の人権を守り、日本人の持つ倫理観民度の高さを復活させたいから、とかではなく、のちのちシャワーあびてるときや、布団の中とかで、

 

 「ギャ! また思い出してもうた!」

 「若かったんやー、阿呆やったんやー、もうゆるしてー」

 

 と悶絶する「負の遺産」を心の中に残さないようにするためである。

 いや、マジでハズいッス。

 なので、やめましょう、こういうことは。人生の先輩の、ありがたいお言葉。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やあ、ラッキーぜんじろう」と平成のボンクラ大学生たちは言った

2024年10月18日 | 若気の至り

 「おまえらの、センス見せようとしてるところが、腹立つわー」


 

 先日、ケータイにそんなメッセージが届いてきた。

 差出人は友人イチオカ君で、

 


 有名人に、あんなからみ方したら、アカンでマジで」


 

 なんでも、こないだ私が若いころ、お笑い芸人ぜんじろうさんにヤカラを入れたことに憤っているようのだ。

 怒っている友には申し訳ないが、それは誤読というものである。

 たしかに私は友人と酔って、ぜんじろうさんにからみはしたが、すでに反省しているし、相手方にも

 

 「アナタが寛容な心をもって、どうしてもわれわれのことを許したいと切望するなら、それを受け入れるにやぶさかではないが、いかがかな?」

 

 心の広いところを見せているのだ。

 それを理解せずキレるなど、サムネやネットニュースの見出しだけ見てアンチコメントを書く、そそっかしい連中と同じではないか。

 そう友を諭すと、

 


 「いや、ぜんじろうなんか、どうでもええねん」


 

 われわれと変わらぬ、豪快に失礼な返事が返ってきたうえで、

 

 


 「それより、おまえらが、ヤカラの中にセンスを見せようとしてるところが、もうムカついてムカついて!」


 

 さすがは友人。イチオカ君は実にいいところを見ている。

 こないだの記事について、私は自分のをさらしたつもりだが、実はそこにかくし味として、もうひとつの「恥ずかし反省ポイント」が忍ばせてあるのだ。

 整理すると、大学生のころだから、今からウン十年前の1990年代後半くらい。

 大阪の繁華街である難波で、朝まで呑んでいた私と友人一同は、そこで当時『テレビのツボ』という深夜番組で大ブレイクしていた、ぜんじろうさんを見かける。

 そこですかさず、われわれ泥酔ボンクラ学生は、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」

 「ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとう!」

 「相方太平かなめは、どないしてん! 捨てたか?」


 

 典型的な「有名人にヤカラを入れる愚かな若者」であり、今なら炎上

 まだ荒っぽさの残る当時なら、

 

 「なんやコラ」

 「なめとったら、承知せんぞ!」

 

 ケンカになっても、おかしくないかもしれない。

 まあ、ぜんじろうさんも、こんな阿呆集団にいちいち、かまってられないだろうが、今思い返しても、われわれは実に愚昧である。

 さらには、ただでさえ痛いヤングなところに、もうひとつ同世代くらいの方々は上のセリフに、さらなる「自意識過剰」を発見し苦笑するのである。

 たとえば、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」


 

 という友人センヨウ君の発言。 

 ラッキーぜんじろうとは、ぜんじろうさんがデビューしたころの芸名

 ふつうに、「おい、ぜんじろう」でいいところを、わざわざの芸名で呼ぶ。 

 こまかい情報であるが、センヨウ君からすれば、

 

 「自分はそんなマニアックなことを知っている」

 

 という「お笑い偏差値」の高さをアピールしているわけだ。

 さらにはのちに「ラッキー」を取ったと言いうことは、この芸名を気に入っていなかったわけだから、わざわざ、そこをつくという手のこんだ嫌がらせで、

 

 「オレは芸人に、【アホ】【おまえなんか、全然おもんないんじゃ】みたいな、ベタなヤカラを入れるような、低俗なお笑いファンではない」

 
 という「意識高い系」であることへの、こだわりでもあるのだ。なんという教養

 今でいえば、オードリーを見かけたときに「お、ナイスミドル若林や」。

 ライセンスのお二人に「おい、ちゃらんぽらん」と呼びかけるようなものであろうか。

 そこにあるのは、そんなことも知っているという、まさに選ばれし「情報エリート」という自負であるのだ。

 ちなみにセンヨウ君は南海キャンディーズMー1グランプリでブレイクし、山里さんが売れっ子になったころ、

 

 「ほう、イタリア人って今、結構がんばっとるんやな」

 

 とかコメントしており、相変わらずの激イタ

 どうも我々の辞書には「成長」「大人への階段」という文字は無いようなのであった。

 

 (続く

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緻密流と見せかけて野蛮 佐藤康光vs羽生善治 1993年 第6期竜王戦 第4局

2024年10月15日 | 将棋・名局

 佐藤康光の将棋は野蛮である。

 というと今のファンからは

 

 「そんなの知ってるよォ」

 

 なんて笑われるかもしれないが、佐藤をデビュー時から知っている身としては、そのイメージはけっこう意外なものだった。

 もともと、見た目も言動も優等生的で、ニックネームも「緻密流」。

 さらにプライベートではバイオリンが特技とくれば、これはもうまごうことなき正統派の「エリート」。

 今で言えば、キャラクターも将棋も伊藤匠叡王のような感じだったのだ。

 とはいえ、仲の良い先崎学九段はよく

 

 「緻密って、そうかなあ。彼の将棋はもっと大ざっぱで乱暴ですよ」


 

 いぶかしんでいたし、また亡くなった村山聖九段が、なぜか佐藤康光をあまり認めていなかったのは佐藤自身も認める有名な話。

 その理由として、若くして亡くなった村山への追悼文に佐藤が、

 


 「彼は即興の将棋は嫌っていた。私の将棋は多少、そういう面を持っている」


 

 との分析を表していた。

 「即興」というのも、これまたピンとこなかったが、「感性重視のアイデア」と取れば、今の姿と、つながるところはあるやもしれない。

 そんな佐藤康光が「野獣」としての本性をあらわしてくるのは早かった。

 強くそれを感じ取れたのは、タイトル獲得となった1993年の第6期竜王戦

 当時、「七冠ロード」を走り、飛ぶ鳥落とす爆発力で棋界を席巻していた羽生善治五冠(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)を相手に、すさまじいパワーを見せつけるのだ。

 見事な将棋で先手番ブレークした第5局もすごかったが(→こちら)、そのひとつ前の第4局もまた、剛腕が炸裂しまくっていた。


 羽生竜王の2勝1敗リードでむかえた本局は、ガッチリ組み合う相矢倉に。

 佐藤の棒銀を、羽生は△22銀型で受け流そうとし、むかえたこの局面。

 

 


 

 

 後手の羽生△65と打ったところ。

 先手はこの局面、一瞬は金得だが、銀取りに対応する手がむずかしいところ。

 どう指すか注目だが、ここから佐藤康光が本領を発揮する。

 

 

 

 


 ▲33飛成△同金▲34歩が佐藤流のハードパンチ。

 銀取りに▲77と逃げると、△76歩と追撃され、▲同銀には△44角王手飛車で「オワ」。

 「両取り逃げるべからず」のように、受ける手がないときは受けなければいいのである。

 そこで飛車を切ってドン。

 ▲34歩のタタキに△32金と逃げていては、▲33桂とかガンガン攻められてあっという間に押しつぶされるから、△同銀と取って、▲同銀△同金

 そこで▲43角が痛烈な王手金取りで、△32歩▲22歩と一回王手して、△同玉▲34角成

 

 

 次に▲44馬から▲34桂と打たれると、ほとんど詰みだが、次の手が、おぼえておきたいカウンター。

 

 

 

 △79銀が、この形の手筋。

 王様のどちらで取っても、飛車打ち王手馬取り▲34が抜ける。

 ▲79同玉△39飛▲88玉△34飛成で急場を脱したが、そこで▲35歩とタタいて、なかなか振りほどけない。

 

 

  

 とにかく先手は持駒が豊富だし、の守備力は強いが「玉飛接近すべからず」で、むしろ攻撃の目標にされているのがツライ。

 △同竜▲43銀とからまれたところで、後手は待望の△66歩

 次に△67歩成とできれば勝つチャンスもあるが、この一瞬が甘いと佐藤は▲34金

 羽生は△33銀と必死の防戦だが、▲42銀打と組みついて、とうとう受けるスペースがなくなってきた。

 △42同銀▲同銀不成△同飛▲35金を取る。

 

 

 


 カナメのをはずして、後手玉は風前の灯火。

 次に▲34桂からの一手スキで、△33歩のような力のない受けでは、▲34歩などわかりやすく攻められて一手一手

 後手はなんとか一手しのいで、△67歩成を実現させたいが、ここで羽生が魅せるのだ。

 

 

 

 

 

 


 △34銀と打つのがハッとする勝負手
 
 ▲同金詰めろがほどけるから、その瞬間△67歩成で危険きわまりない。

 ビール瓶でなぐりかかるような気狂いじみた猛攻を、後手もなんとかワザでしのごうとするが、佐藤は奇手を食らっても落ち着いていた。

 一回▲61飛と先着して、△41銀とさせてから▲34金と取る。

 後手は待望の△67歩成だが、そこで▲同飛成と取れるのが、▲61飛と打った自慢だ。

  

 

 

  これが冷静な組み立てで、盤面右側しか目がいかなそうな場面で、実に落ち着いたものである。

 これで先手玉が格段に安全になって、以下は佐藤勝ち

 「野蛮」と「緻密」を見事に融合させた指しまわしで、ここから3連勝とダッシュ。

 宿敵である羽生から、初タイトルとなる竜王を獲得するのだ。

 


(佐藤康光のスゴイ詰みはこちら

(佐藤康光のとにかく剛腕はこちら

(その他の将棋記事はこちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おい、芸能人おるやんけ!」と、平成のボンクラ大学生たちは言った

2024年10月12日 | 若気の至り

 芸能人だからって、失礼な態度をとらないでください!」

 

 というのは、テレビネットなどでよく、タレントさんが訴えかけることである。

 たしかに、人気商売というのは大変だと聞く。

 われわれ一般人よりも華やかな生活をしているイメージはあるが、名前を知られているその分、めんどくさいことも多いだろう。

 

 「許可なく写真を取られた」

 「箸袋やレシートにサインを書かされた」

 「ナメた接し方をしてきたことを注意したら、逆ギレされた」

 

 などなどトーク番組などで、よく出てくる話。

 現代ではネットによって、さらにの感情が可視化されるおそろしさもあったりして、それでも愛想よく「神対応」を求められるのが、有名人のツライとこだ。

 私だったら絶対ブチ切れている。ましてやそれを、

 

 有名税だろ!」

 

 なんて開き直るヤカラには、本当にガマンがならないところがあり、ちょっと信じられない反応だ。

 そんなことをする連中を軽蔑するし、自分ももちろん、そんなことは決して一度もしたことがないかといえば、これが普通にやったことはあるので、今回はそういうお話。

 


 大学生だったころのこと。

 友人数人と、大阪の繁華街である難波の居酒屋で飲み明かしたわれわれは、始発まで街をぶらついて時間をつぶしていた。

 とそこに、エサカ君という男が、突然すっとんきょうな声で、

 


 「おい、あそこに芸能人おるぞ!」


 

 指さした先には2人連れの男性がいて、そのひとりが、お笑い芸人ぜんじろうさんだったのだ(もう一人の方はおそらくマネージャー)。

 ぜんじろうさんといえば、今ではアメリカで活動し、爆笑問題太田さんと論争になったなどで知っている方も多いと思うが、当時は関西若手人気タレント

 特にМCを務める深夜番組『テレビのツボ』は大人気で、今でいえば霜降り明星かまいたちのような、勢いに乗りまくっていた存在だったのだ。

 そんなもんが目の前に現れたら、が抜けていて、しかも泥酔している学生からすればヨダレが出るような状況。

 すかさずロックオンした友人センヨウ君が、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう! なにしてんねん!」


 

 続いても、

 


 ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとうな!」


 

 エサカ君もかぶせて、

 


 「太平かなめは、どないしてん! 売れたら相方は捨てるんやな」


 

 

 なんて、若さ酔いにまかせてチャチャを入れたわけである。

 今思い出しても赤面モノというか、

 

 「有名人に迷惑をかける愚かな若者」

 

 とか動画を上げられ、炎上してもおかしくない流れである。

 弁解するわけではないが、私自身は有名人を見ても、あまりテンションが上がらないタイプである。

 街で見かけても声をかけたり、ましてや、ヤカラを入れたりすることはまず無い、と言っていい。

 実際にこれも昔、難波の隣にある日本橋(関西のオタク街)で将棋某棋士を見かけたときも、将棋ファンにもかかわらず、変にからんだりはしなかった。

 もっともそれは、その某棋士がメチャクチャに挙動不審で、ちょっと怖かったからだけど。

 いやマジで、サインとか握手より、声をかけるなら、

 

 「こら、今あわてて隠した、女性の下着をポケットから出しなさい」

 

 て感じになってしまうくらい、な感じだったのだ。

 それはともかく、私は「酔っていたから」という言い訳は嫌いなので、もうストレートに反省するしかない。

 そんなわけで、私もこのように謝っているのだから、ぜんじろうさんも寛大な心を見せてしっかりと、前途ある若者のことはゆるすようにしては、いかがですかな(←本当に反省してるのだろうか)。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はてしない物語 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり その3

2024年10月06日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2016年岡崎将棋まつりで、佐々木勇気五段と、まだ奨励会員藤井聡太三段が熱戦をくり広げる。

 双方が秘術のかぎりをつくす終盤戦は、席上対局とは思えぬ熱量とレベルの高さだ。

 

 

 

 佐々木勇気が「詰めろ逃れの詰めろ」で局面を引き寄せれば、藤井聡太もタダ捨てする絶妙手でお返し。

 最後は藤井勝ちになったようにも見えたが、まだむずかしい。

 そこで藤井は▲85桂とせまる。
 
 後手から△85桂を消しながら、▲43角成からの詰めろの攻防手。

 というか、ことここへ来ては両者とも攻防の一手を常にくり出さないと、あっという間に負ける流れになっている。
 
 ▲85桂は次に▲43角成とし、△71玉に、▲44馬王手飛車をかける。

 △53歩▲82銀△同玉▲55馬飛車をはずして王手して、これで詰む

 


 またも佐々木が試される番。

 絶体絶命のピンチで、将棋では王手をかけて合駒を強要し、相手の持駒をけずるのを「合駒請求」と呼ぶが、ここはそれを超えた「必殺技請求」ともいえる場面。

 「妙手以外は負け」という高すぎるハードルを突きつけられているが、それを飛び越えるのが佐々木勇気という男だ。

 

 

 ここで、△59飛成という手があった。
 
 ▲55馬と取る手を消しながら、△99竜▲98合駒△86金

 

 

 

 ▲同歩△78と
 
 ▲同玉△76金▲同角成△同と▲同玉△75金まで、△27飛車がすばらしく働いて詰み
 
 本日2度目の「詰めろ逃れの詰めろ」。

 なんちゅう勝負強さやと、あきれる思いだが、本人からすれば、なんのこれしきか。

 

 「オレをだれやと思てるねん、佐々木勇気やぞ」と。

 

 それにしても、さっきから、ただただ、まばゆいばかりのやり取りである。
 
 『対局日誌』など将棋本の名著を数多く送り出している河口俊彦八段によると、
 
 


 「手順しか書いてない観戦記は三流」



 
 
 らしいのだが、それでいえば、私のやっていることは妄想手順とソフトの示す詰み筋を並べているだけにすぎない。
 
 だが、河口老師は同時に、
 
 


 「棋士は指した将棋がすべてである」

 「棋譜を見れば、その棋士の考えや、迷い、決断、憤怒や気のゆるみなど、すべてが表現されている」

 「それを勝手に想像しながら楽しむのが、将棋の醍醐味なのだ」



 
 
 その点から見ると、この将棋は棋譜からは、たしかに佐々木勇気と藤井聡太の息吹が感じられる。
 
 双方、負けてなるものかという闘志
 
 また、終盤では「自分こそが読み勝ってるぞ」と言わんばかりに、両者が手練手管のかぎりをつくす。
 
 
 「おまえはそう読むだろう、ならオレはその裏を行ってやる」
 
 「と、あなたはそう思うのですね。ならボクは、その裏を取ります」
 
 「それは想定内。ならオレは、その裏の裏を取る」
 
 「おっと、読み筋通りだ。ボクはその裏の裏の裏をもう一度……」

 
 
 果てしなく背後の取り合いが続く。
 
 私のつたない解説など邪魔と思っている方も、この棋譜の終盤だけでも並べみてほしい。

 手の深い意味はわからなくとも、2人の持つ才気のほとばしりと、負けてたまるかという意地が、その手から伝わるはずだから。
  
 激しくも美しいドッグファイトだったが、先に弾が尽きたのは藤井の方だったよう。
 
 ▲43角成と王手して、△71玉

 後手玉に詰みはなく、先手陣は受けても一手一手で、これ以上に手数は伸びない。
 
 ▲53角と再度王手しながら、またも攻防に利かし、△81玉▲73桂成と、ここで下駄を預ける。

 

 


 
 
 「さあ、詰ましてみろ!」
 

 ということで、とうとう、この熱局もクライマックスだ。
 
 詰むや詰まざるや。佐々木は△99竜から仕上げに入る。
 
 ▲86玉△76金▲同馬△同と▲同玉
 

 

 

 

 ここで手拍子に△96竜と取ると、▲65玉から詰まず、入玉されて下手すると冷や汗どころか大逆転
 
 将棋の終盤戦はおそろしいというか、「詰ましてみろ」と居直ったと見せかけて、最後にこんなを仕掛けている藤井聡太のしたたかさには、恐れすら感じるところ。
 
 ふだんの言動は優等生の見本のような彼だが、盤上ではとんでもない性格の悪さなのだ。

 かつて、棋聖王位のタイトル経験もあるA級棋士森雞二九段は対局中に控室にやってきて、

 

 


 「間違えろ! 悪手を指せ! なんでもいいから、早く1分将棋になるんだ!」


 

 

 対戦相手が映るモニターに、さけびまくっていたというが(昭和の将棋やなあ)、なんのことはない。

 この一見おとなしい「天才少年」も、声に出さないだけで、指し手で同じことをしているのだ。

 ここは△75金が正確で、▲同角成△同歩▲85玉に、そこで△96竜が順番。

 

 


 

 

 ▲同玉△84桂▲86玉△76金▲85玉△96角▲84玉△93銀まで。
 
 
 
 
 

 これはこれで、結構むずかしい詰みにも見えるが、「佐々木勇気やぞ」だから、間違えないのだ。
 
 投了図を見ればわかるが、ほとんどすべての駒が大車輪の働きをして、この位置にいる。
 
 もう、私のつたない感想など、もういいでしょう。
 
 2人の若者に、拍手、ただ拍手すばらしい一局でした。
 
 
 


(佐々木勇気の加古川清流戦、優勝の将棋はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死はジュネーヴから来た名手 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり その2

2024年10月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2016年岡崎将棋まつりで、佐々木勇気五段と、まだ奨励会員藤井聡太三段が熱戦を戦う。

 席上対局とはいえ、将棋界の将来を担う2人とあっては、お祭り気分ではいられないだろう。

 

 

 

 

 図は▲35銀と、藤井が詰めろをかけてきたところに、佐々木勇気が△96歩▲同銀△76角成と「詰めろ逃れの詰めろ」で切り返したところ。

 最終盤でこんな「必殺技」が決まれば、ふつうは後手の勝ちとしたものだが、もちろん藤井三段はそんなことで、あきらめるタマではない。

 この美技が、あくまで「つかみ」というあつかいなのだから、この将棋はシビれる。

 まずは▲34銀打と王手し、△22玉▲23金△76△32の地点を守っていて詰まないから、▲23歩成とする。
 
 △同金▲同銀成△同玉に、▲24歩▲41角であぶなすぎるから、取らずに△31玉と落ちる。
 
 ▲32と△同馬で、を引き上げさせたが、これで先手玉の一手スキ解除されているかは、正直よくわからない。
 
 そこで、▲43歩
 
 
 
 
 
 
 馬筋を止めて、自陣の脅威を緩和しつつの攻めだが、これが詰めろになっているかは、これまたきわどいところ。
 
 なってなければ、ここで後手一手スキをかければ勝ち
 
 難解だが、後手は仮にここで一手パスしても、▲42歩成には△同馬王手になる。

 

 

 これが、逆王手の切り返しみたいな形になるため、どうも詰まないようだ。
 
 ただ、先手玉にどう詰めろをかけるのかは、これまた激ムズ

 しかも詰将棋の名手相手に(藤井は将棋よりもに詰将棋で「天才少年あらわる」と紹介された)、ここで自陣を放置するのは、それもそれで怖すぎる

 そこで、佐々木はとりあえず、△27飛とおろす。

 

 


 
 この手自体は詰めろではなさそうだが、攻防に利かして、きびしそう。
 
 手番先手なので、チャンスが来たようだが、やはり急がされていることには変わりない。
 
 ここで詰めろ級の手がないと△95香くらいで負けそう。

 といっても▲42歩成は、相変わらず△同馬逆王手でシビれる。

 △27飛車守備力もあって、いよいよ手がないかと思いきや、ここで必殺手が飛んでくるのだから、才能のあるヤツというのは、たまったものではない。

 私はこの将棋を昔見て、2手だけおぼえていた。

 ひとつは佐々木の△76角成

 で、もうひとつが藤井のの手。
 
 こういう将棋にはコツがあるのだ。

 つまり、アレをしながら、盤上にあるコレとかソレとかを、全部ナニしてしまえばいいのである。

 

 

 


 
 
 
 
 ▲22金が、今度は先手から絶妙手のお返し。
 
 △同馬なら、王手がなくなるから、▲42歩成から先手勝ち

 


 

 ▲22金△同飛成なら先手陣が安全になるうえに、そこで▲23歩とタタく手がある。

 

 

 △同馬には▲42歩成
 
 △同竜▲同銀成△同馬▲42歩成で、やはり勝ち。
 
 なので△22同玉しかないが、やはり▲23歩の張り手で、後手玉はにわかに危ない
 
 
 
 
 
 
 このは、でもでも取れない。
 
 △31玉しかないが▲22金から、強引にバラしていく。

 △同馬▲同歩成△41玉▲32角の攻防手。
 
 
 
 
  

 完全に攻守所を変えた感じだ。
 
 そう、こういう終盤戦でねらいたいのは、王手をして手番をキープしたまま、相手の要駒(この場合は後手の)を取ってしまい、攻めながら自陣を安全にしていくこと。

 が消えたうえに、今度は先手がの後ろ足で自陣を守っており、さっきとはだいぶ景色が変わった感じだ。

 ただ、佐々木としても、かろうじて後手玉に詰みがないのは助かった。
 
 △52玉▲42歩成に、△61玉で、まだ激戦続行

 

 

 

 

 さて、局面はどうなっているのか。
  
 先手玉はの利きや、後手にナナメ駒がないなどもあって、△86金▲同歩△78となどの筋で追っても詰みはない
 
 なら、ここで後手玉に詰めろがかかれば勝ちだが、下手なせまり方では、△85桂▲同銀△同飛で、飛車8筋に利かす手が、また「詰めろ逃れの詰めろ」になるかもしれない。
 
 そこで藤井は▲85桂と、「敵の打ちたいところに打て」で置いておく。

 

 


 

 

 △85桂を消しながら、▲43角成からの詰めろ
 
 △53金とか、ただ詰めろを受けるだけの手は、▲73銀から一手一手。
 
 今度こそ、今度こそ決まったようだが、佐々木勇気はあきらめない。
 
 たとえ席上対局とはいえ、「未来名人」候補としてキラキラしている後輩に、「どうぞお通り」などゆるせるはずもないのだ。


 (続く)
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「詰めろ逃れの詰めろ」を逃れろ! 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり

2024年10月04日 | 将棋・名局

 佐々木勇気八段が、竜王戦挑戦者になった。
 
 ということで、今回はタイトル保持者として待ち受ける藤井聡太竜王(名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)との将棋を紹介してみたい。
 
 この2人はNHK杯決勝や、アベマトーナメントなど目立つところで何度も戦っているが、中でももっとも熱い戦いは実はにある。
 
 それが、まだ藤井七冠が奨励会員時代非公式戦
 
 たぶん『将棋世界』で立ち読みかなんかして、佐々木の放った角成の好手と、と藤井タダ捨てする妙手が、印象に残っていたのだ。
 
 それを取り上げたいんだけど、解説してくれてる資料が見つからず、検討するのもめんどいなー。
 
 と放置していたのだが、佐々木勇気がついに爆発したとなれば、これはもう、一丁腕まくりするしかないのである。
 
 ということで、今回はもうすぐ開幕の竜王戦のオードブルに、こんなのをどうぞ。
 
 


 

 2016年岡崎将棋まつりの席上対局。
 
 佐々木勇気五段と、藤井聡太三段の一戦。
 
 藤井が先手で、オーソドックスな相矢倉から、激しい攻め合いになり、難解な終盤戦に突入する。


 
 

 

 
 現在、後手玉は▲34銀打詰めろになっている。
 
 佐々木からすれば、ここで先手玉を詰ますか、王手をかけながら、うまく詰めろをほどくなど、ワザを見せなければならない。
 
 ここから2人の若獅子が、手練れのパイロット同士が見せる空中戦ような、激烈な攻防戦をくり広げる。

 とりあえず、佐々木は△77とを取って王手するが、それにどう対処するべきか……。

 


 
 
 
 


 
 △77と▲97玉と逃げるのが、きわどい手。
 
 ▲同金△38飛王手▲35が抜ける。

 ▲同玉△37飛王手銀取りで、後手のねらいにハマりそうだが、これには▲47桂(!)の中合いがありそう。
 


 
 

 

 △同飛成▲88玉で、王手銀取りを解除するという仕組み。

 これで先手いけそうかな。オレって手が見えるなーと悦に入ってたら、そこから△77金▲同金△38竜と再度、王手銀取りをかける手とかもあって、むずかしそうか。

 まあ、これは私の妄想手順で、成立してるかは知らんけど、こういう派手な手がいろいろと埋まってそうな局面でもある。

 ただここは秒読みで、リスクが大きいと見たか逃げることを選択。

 このに逃げる形も、をボロッと取られながらの敗走でつらそうに見えるが、なにげに終盤の手筋でもある。

 △88銀△79角の効かない端玉は意外と捕まえづらいときがあり、若いころの中村修九段が得意としていたもの。
 
 どう見ても寄っている場面で、ヒョイとかわした手でまったく詰まないとか、手品のようなしのぎを得意としていた。

 今では「銀冠小部屋」など教科書にも載ってるが、その元祖は「受ける青春」だったのだ。
 
 さあ、今度は佐々木が選択する番。
 
 後手玉は相変わらず一手スキだが、先手玉に詰みはなく、▲35を抜く筋も回避されてしまった。
 
 並の手では、ここで後手の負けが決まるが、でも佐々木勇気が「並み」だなんて、だれが言った?

 

 

 

 

 △96歩と、まずは一回おうかがいを立てる。

 先手玉にせまるなら、まずはここからということで、これはとりあえずに追われれば、我々でも指すだろう。

 しかしだ、佐々木勇気ほどの男が、ここで「とりあえず王手」みたいなことはやらない。

 このには、おそろしいねらいが秘められており、▲同玉と取ると、すかさず△95香と走ってくる。

 ▲同玉、△85飛▲同玉△76角成▲84玉△82飛▲83合駒
 
 そこで、△75馬▲73玉△64馬ピッタリ詰むのだ。

 


 

 一瞬で、それを察知した藤井は▲96同銀と取る。

 浮き駒だったヒモをつけながら、玉もヘルメットをかぶって、一見効果がわかりにくいが、そこで△76角成が佐々木のねらっていた絶妙の攻防手。

 

 

 


 この△76角成は放っておくと、△85桂▲同銀△86金▲同歩△87飛以下の詰めろ
 
 また▲34銀打△22玉▲23金△31玉▲32金△同馬と取れるようにした攻防兼備。

 

 

 いわゆる「詰めろ逃れの詰めろ」なのだ。
 
 決まったかに見えたが、そこは相手が天下の藤井聡太ということ。

 並ではないという意味では、こっちも負けていないのだった。

 
 
 (続く
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マッハパンチ 米長邦雄vs内藤國雄 1982年 王将リーグ 中村修vs佐伯昌優 1991年 棋王戦

2024年10月01日 | 将棋・好手 妙手

 「一撃」で決まる将棋は感嘆を呼ぶ。
 
 終盤戦で、まだむずかしそうなところから、アッというパンチが飛び出して、見事に決まる。
 
 これには「ええもん見たなー」という気になるし、なにより私がここで紹介するとき、検討とかしなくていいからですばらしい。
 
 


 

 1982年の第32期王将リーグ
 
 米長邦雄棋王内藤國雄王位の一戦。
 
 内藤得意の相掛かりに、後手の米長が中央から戦いを挑む。
 
 むかえたこの局面。


 
 


 
 内藤が▲69飛と、▲64から引いたところ。
 
 次に▲64歩のねらいがあり、歩切れの後手はそれを受けにくい。
 
 先手はがうすいのが気になるも、それは▲93金を取れば相当に緩和されるから、なんとかなりそう。
 
 後手からすれば、ここでいい手がないと苦しいが、米長はひそかにねらっていたのだ。
 
 

 

 


 
 
 
 
 △56角と打つのが、「次の一手」のような一撃。
 
 取りと△47銀の両ねらいで、これがメチャクチャにきびしいが、先手に適当な受けがない。
 
 しかも、△78角成飛車取りとなれば、先手の▲69飛をとがめられた形で、後手からすれば痛快この上ないではないか。
 
 これをウッカリしていた内藤は▲68金と寄り、△47銀▲59玉△66角▲48桂とふんばる。
 
 
 
 

 

 顔面パンチをモロに喰らいながらも、そこでなかなか倒れないのがトップ棋士の強さ。

 控室の検討では、これでまだむずかしいと見ていたようだが、次の手がまた好手。

 
 
 

 

 

 △55銀で、攻めが振りほどけない。
 
 ▲56歩△48角成詰み
 
 ▲56桂も、△同銀と取られて、やはり▲同歩と取り返せず先手に受けはないのだ。
 
 感想戦で内藤は▲69飛が悪く、▲68飛なら自分がやれると言ったが、米長が言うことには、それには△39角(!)と打つ予定だったと。
 
 
 
 
 んなアホなという手だが、▲同玉△57角成とすると、角損でも後手が指せるという結論に。

 


 

 すごい手があったもんだが、米長の剛腕がこれでもかと発揮された将棋であった。

 

 


 

 続いて、もうひとつ、1991年の棋王戦。

 佐伯昌優八段中村修七段の一戦。

 「師弟対決」となった一局は、両者が早めにをつき合ってから角換わり模様になるという、めずらしい将棋に。

 むかえた最終盤。

 

 

 

 パッと見えるのは、△77角成▲同桂△89飛のような攻めだが、を渡すと後手玉も相当怖い形。

 だがここで、実にカッコイイ決め手があるのだ。

 

 

 

 

 

 △88飛が「次の一手」のような絶妙手。

 次に、△77角成▲同桂△68銀までの詰めろ

 かといって、▲同銀とは取れないし、▲同金△77角成から△68銀で詰み。

 ▲69玉△77角成で左辺に逃げこめず、見事な必至。

 ここで佐伯は投了

 若き日の中村らしい、さわやかな締めくくりであった。
 
 以上、「一撃」がふたつ。
 
 あー、オレみたいな阿呆でも、一目でわかるって、ステキやなあ。
 
 

 (島朗、米長邦雄、羽生善治の「一撃」はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする