「史上最年少名人」への道 谷川浩司vs中原誠 1983年 第41期名人挑戦プレーオフ

2020年06月06日 | 将棋・名局
 ついに「史上最年少タイトル挑戦者」の記録がぬりかえられることとなった。
 
 前回は昭和の豪傑「マキ割り流」佐藤大五郎九段の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は最新のホットなニュースから。
 
 先日行われた第91期棋聖戦の挑戦者決定戦で、藤井聡太七段永瀬拓矢叡王王座を熱戦の末に破って、待ち望まれたタイトル戦への登場を決める。
 
 これにより、ここまでの最年少記録だった屋敷伸之四段17歳9か月24日1989年後期の第55期棋聖戦)を「4日」上回っての記録更新。
 
 これがいかにすごいことかといえば、将棋小説『りゅうおうのおしごと!』の作者である白鳥士郎さんのツイートを借りれば、
 
 
 私が『りゅうおうのおしごと!』を書き始めた頃、将棋界には「絶対に破られない」とされる記録が2つありました。
 
 1つは神谷先生の28連勝。
 
 もう1つが屋敷先生のタイトル挑戦最年少記録。
 
 ラノベなのでそのうちの1つを破らせた設定にしたんですが、現実さんは1人の少年に2つとも破らせちゃうとか…
 
 
 まだ28連勝の方は羽生善治九段の22連勝、丸山忠久九段の24連勝、山崎隆之八段の22連勝など
 
 「これ、ワンチャンあんじゃね?」
 
 なことも、ちょいちょいあったものだが、この「おばけ屋敷」(屋敷が当時呼ばれたのニックネーム)の記録だけは30年近く破られる気配もなく、ビクともしなかったのだから、今回の藤井七段の快挙が、いかに「はなれわざ」だったか、わかろうといものではないか。
 
 もちろん、次のねらいは「史上最年少タイトルホルダー」。
 
 相手が充実著しい渡辺明三冠となれば、そんな簡単ではないが、今の勢いなら期待は充分。
 
 私など気が早いタイプだから、こうなったらどこまで記録を塗り替えられるか早速、とらたぬで皮算用をしてみたくなる。
 
 「八冠王」「タイトル100期」「通算2000勝」
 
 は究極の目標として、やはり目立つところでは、1967年中原誠十六世名人による年間最高勝率(8割5分4厘)と、羽生善治九段が「いっぱい将棋を指したな、と」と振り返る年間最多対局(2000年の89局)かな。
 
 なんて楽しくデータベースをめぐっていたのだが、ここにひとつまた「絶対に破られない」とされる記録があることに思い至った。
 
 うーん、これもその時期が来れば、相当話題を呼びそうだ。
 
 それはまだ時代が昭和だったころ、ある天才棋士が「フィーバー」を起こした話で……。
 
 
 1982年、将棋界はかつていない「フィーバー」が巻き起こっていた。
 
 今の将棋ファンにとって「フィーバー」といえば言うまでもなく「藤井フィーバー」だし、われわれ世代だと羽生善治九段「七冠フィーバー」というのがあったが、その前となると、谷川浩司が起こした大旋風のことになる。
 
 1982年から83年にかけての第41期名人戦挑戦者決定リーグ戦(今のA級順位戦)で、谷川八段は7勝2敗の好成績をおさめ、プレーオフへと進出。
 
 ここで前名人である中原誠十段に勝って挑戦権を獲得し、加藤一二三名人を破れば名人戦史上最年少の「21歳名人」という、大記録を達成することになるのだ。
 
 将棋界のシステムでは、他の棋戦では原則デビュー1年目からタイトルホルダーになれる可能性があるが、こと名人戦だけは順位戦という制度があるため、挑戦者になるには最低でも5年かかってしまう。
 
 つまり、「21歳名人」になるには、デビューからほとんどノンストップで階段を駆けあがっていかなければならない。
 
 ましてやそれを越えようと試みるものなら、まず14歳の「中学生棋士」になったとしても、順位戦でC2からA級まですべて1期抜け」でクリアしなければならないことに(谷川はC2で1度足止めを喰らっている)。
 
 名人15期中原誠十六世名人の初戴冠が24歳、十九世名人の資格を持つ羽生善治九段(獲得9期)ですら23歳なのだから、まさに「光速」を凌駕するタキオンのパワーが必要となるのだ。
 
 制度的に、勢いやまぐれだけでは絶対に不可能な、まさに神業的快挙ではないか。
 
 私はこのとき、まだ将棋に興味を持ってなかったので、リアルタイムで体感してないが、この「谷川フィーバー」も、またすごかったという話はよく聞く。
 
 たしかに当時の写真などを見ると、対局室は報道陣でごったがえしており、テレビ中継も入っていたりして、その熱気は充分伝わってくるものがある。
 
 このあたりのことは私も何度も読み返した、中平邦彦さんの『名人 谷川浩司』という本にまとめられているので、ぜひ一読していただきたい。
 
 マスコミでごった返す中行われた名人挑戦プレーオフは、谷川先手で相矢倉に。
 
 
 
 
 
 ▲46角と出た手に、中原が△64歩ととめたところ。
 
 ここで「前進流」の激しい手が飛び出す。
 
 これが、いかにも谷川らしい強気、かつ強情な手で思わず笑みがこぼれるのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
 
 

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