羽生と谷川 先崎 郷田 佐藤康光 まちがってるのは誰? 第55期名人戦の大パニック その2

2018年08月26日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 前回(→こちら)の続き。

 1997年に行われた、第55期名人戦

 その開幕局で、谷川浩司竜王羽生善治名人が、続けてとんでもない手を指し、観戦者たちは騒然となった。

 クライマックスのこの場面。

 先手玉は△67飛成を取られるとおしまいだが、まだ詰まないので「一手スキ」が続けば勝ちが確定。

 


 
 

 そこで▲41銀と打った。

 これがどう見ても「詰めろ」なんだけど、というか、そうじゃなかったら負けだから、先手が選ぶはずがない。

 けど、じゃあ具体的な詰み手順はといえば、これが存外に見えないのだ。

 このときの様子を、当時『将棋世界』に連載を持っていた先崎学六段が描いている。

 まだ若手棋士だった先崎は連盟(プロはなぜか「将棋会館」のことを「連盟」と呼ぶことが多い)で研究しており、現地でも「先手勝ち」といった空気になっていたそうな。

 が、ここでも同じセリフが出る。



 「で、これって詰むの?」


 
 これには先チャンをはじめ、まわりにいた棋士や、棋力に自信のある関係者などもドキッとする。やはり、

 「どう見ても詰みだけど、具体的な順はまだ見えてないから」。

 そこで、じゃあいっちょ詰ましてみんべ、とあれこれいじくりまわすが、やはりなかなか詰まない。

 あれ? 沈みこむ一同。

 手を言うだけなら山ほどある。

 ▲32銀成、△同玉、▲41角、△31玉、▲23桂不成の筋からはじまって、▲32銀成、△同玉に、▲44桂の王手とか。

 △32同玉に、▲23桂成と取って、△同玉▲41馬と飛びこむとか。

 ▲41馬で、▲15桂とか、▲24飛と捨てるとか、どうやってもいけそうだが、最後は後手がしのいでいる。

 まさか……これ本当に詰まないの?

 タブーに触れるような気持になっていたところ、そこにやってきたのが、やはりこのころ、まだバリバリの若手棋士だった郷田真隆六段

 郷田は大盤解説の仕事をしていたのだが、「先手勝ち」のはずが、なかなか詰み手順が見つからず困惑

 休憩時間を利用して、一緒に検討すべく控室にやってきたのだ。

 ▲41銀と、△63飛

 一体、どういうことだ?

 さらにそこに飛びこんできたのが、なんと佐藤康光八段。

 あれ? キミは今日、連盟にいなかったはずだけどと問うならば、佐藤はテレビで観ていて、



 「絶対におかしい。詰むに決まってます」。


 
 やはり疑問を抱いて、なんとわざわざに乗って連盟までやってきたのだ。もう、とんだ大騒動である。

 ここでのポイントは、▲41銀と打った局面で、対局者が谷川と羽生でなかったら、こんな騒ぎにはならなかったろうこと。

 凡百の棋士なら、



 「▲41銀で勝ちだよね」

 「うん。あれ? でもこれ詰むの?」

 「……あー、いろいろやって、詰まないや。じゃあ後手勝ちか。ラッキーだったね」

 「読めてなかったか。でも、これは詰みと思うよね」

 「うん、おどろいたねえ」



 くらいの、詰みありでもなしでも、

 「ちょっとおもしろい局面」

 くらいの話で終わっていたはずなのだ。専門誌で「今月の珍プレー」みたいなコーナーで取り上げられる程度の。

 だが、ここに「谷川浩司」「羽生善治」という両の大ブランドがかかわってくると、ことはそう簡単ではない。

 「ラッキー」「読めてなかった

 こんなことが、2人の将棋で起こるわけがない

 ましてや、羽生は「詰みあり」と判断したからこそ、△63飛を取ったのだ。


 「一目、どうやっても詰み」
       ↓
  「でも、あれこれ試すけど、なぜか詰まない」
       ↓
  「あれ? じゃあ、先手谷川のウッカリ?」
       ↓
  「この不詰を読んで勝つなら、羽生バケモノやん」
       ↓
  「羽生が【詰み】をさける手を指す」
       ↓
  「え? じゃあやっぱ詰んでたってこと? でも、だからその手順は?」


 こういう流れで、こうなるともうなにが正しくて、なにがまちがっているのかサッパリだ。

 「やらかし」てる犯人はだれ?

 先チャンたちが、ムキになるのも理由があった。

 もし、ここで先手に詰みがあるとなると、それすなわち



 「自分たちは谷川と羽生に読み負けていた



 ということになる。

 勝負師というのは、単に対局だけで戦っているのではない。

 ふだんの将棋に関する言動ひとつひとつで、「こいつは強い」「たいしたことない」と格付けし合っている。

 そういう「見えない番付」が、実は勝負に大きな影響を及ぼすのだ。

 ここで谷川が

 

 「先崎、郷田、佐藤康光の思いつかない絶妙手

 

 を用意していて、

 

 「羽生だけが、それに気づいていた」

 

 ということになるなら、それを発見できないことは、自分たちの「格を落としてしまう」ことになる。

 だから、3人とも必死なのだ。

 ▲41銀はウッカリか絶妙手か。

 △63飛もまたウッカリか、それとも自陣の危機を察知した当然の手か。

 間違っているのは谷川か、羽生か、それとも先崎郷田佐藤康光か。

 結論を言うと、ポカをしたのは谷川浩司だった。

 やはり▲41銀は「一手スキ」になってなかった。

 あの場面で、△67飛成と取って、後手勝ちだったのだ。先手は別の順を選ぶべきだった。

 一方、羽生もまた見えてなかった。

 後手玉はしのげていたが、そこに思いがいたらず、観念して馬を取った。

 だが、それは一瞬おとずれた大チャンスを逃した、まさかのボーンヘッドだった。

 なぜこんな「Wウッカリ」が出てしまったのかといえば、まず谷川浩司の側は理解できなくもない。

 だれが見たって▲41銀は決め手級であり、これが詰めろでないなんて、今でも信じられない。

 もちろん、読み抜けがあったのは事実で言い訳できないが、局面を見ればイエス・キリストでもいうだろう。

 

 「これが詰まないと、確信していたものだけが石を投げよ」

 

 一方、羽生の方も同じで▲41銀で詰まないとは思わないだろうし、さらにはここに「谷川ブランド」というものも存在する。

 「光速の寄せ」谷川浩司が、

 

 「どう見ても決め手と言う手をビシリと指してきた」

 

 なら、そら信用してしまうというのは、先日の対高橋道雄戦(→こちら)と同じカラクリ。

 現に、先崎、郷田、佐藤康光といった面々ですら「まさか」と思ったのだから、羽生がそのにハマってしまうことも充分ありえるのだ。

 正解は「どっちもウッカリした」。

 翻弄された他の棋士たちからすると、ポカーンであろう。

 人騒がせな枯れ尾花というか、大山鳴動して鼠一匹とは、まさにこのことではないか。

 とんだドタバタだが、トップ棋士が山ほどそろってこんな、失礼ながら「喜劇的」なことも起こるのかと、たいそう印象深い一局だったのだ。

 ちなみに、シリーズは4勝2敗で谷川が制して「十七世名人」に。

 そう考えると、十七世、十八世、十九世と永世名人シリーズにはどれも「信じられないポカ」が、かかわってることになる。

 このレベルの棋士の、それも若くて充実期にある将棋ですら、とんでもないミスが出るものなのだ。

 そりゃ「逆転のゲーム」と呼ばれるはずであるなあ。



 (絶妙手編に続く→こちら

 (終局後に起こった佐藤康光の悲劇は→こちら

 (「谷川十七世名人」誕生の一局は→こちら

 

 


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