ナマケモノでも初段になりたい! 高校『詰将棋パラダイス』青春篇

2021年08月15日 | 将棋・雑談

 「……の詰将棋」。

 質問にそう答えたのは、高校時代の友人コウノイケ君であった。

 先日から、

 「ダラダラしながら初段になる」

 という、人生をナメ……効率よく上達するため、一応アマ初段クリアした、私自身の将棋歴を語っているところ(激辛だった道場編は→こちら)。

 その特徴は「ほとんど実戦を指さないタイプ」であったこと。

 それが、いかにして有段者になれたかというところだが、そんな、かたよったファンにも転機がおとずれ、はじめて

 「同世代の将棋ファンの友人」

 と出会うこととなったのだ。

 なら、そこから、一気に実戦指しまくりライフに突入かといえば、これがそうはならないから、おもしろいもの。

 というのも、その友というのが、

 「詰将棋マニア

 という存在だったからだ。

 コウノイケ君とは高1のとき、同じクラスで仲良くなったが、趣味が将棋と知り、

 

 「へー、オレもやねん。うれしいなあ。じゃあ、プロやったらだれのファン?」

 

 そうなにげなく問うてみると、

 

 「谷川浩司内藤國雄

 

 今で言えば、「豊島将之久保利明」と、答えるようなものであろうか。

 そっかー、やっぱ関西では、この2人が人気あるなあ。

 そう返そうとしたところ、友は続けて、

 

 「……の創った詰将棋のファンやねん」

 

 これには、アゴがカクンと、はずれそうになったもの。

 そ、そっちっスか?!

 そう、わが友は詰将棋専門誌(あるんですね、コレが)である『詰将棋パラダイス』、略称「詰パラ」を愛読。

 日夜、良質の詰将棋に挑んでいるという、実にマニアックな男だったのである。

 こんな珍しい人種に出会えるとは、私の将棋好きとしての「引き」の強さは、なかなかのもの。

 さらに彼がすごいのが、ただ解くだけでは飽き足らず、彼の尊敬する谷川浩司九段や、今なら藤井聡太王位棋聖のように「創作」にも手を染めていたことだ。
 
 私は将棋雑誌や棋書を読んで、プロの名局や絶妙手にウットリする「読む将」。

 彼は創って創られての、「論理芸術」を愛する「詰め将」。

 なので、あんまし「指そう」とはならなかった、ということらしい。

 彼とは実戦よりも、大山名人の盤外戦術や、マニアックな詰将棋の話ばかりで(変な高校生だよな、おたがい……)、まあそれはいいんだけど、困らされたのは「検算」だ。

 詰将棋というのは、正解手順以外の詰み筋、つまり正解が多数あると

 「不完全作

 となり、ボツになるという、ストイックなルールがある。

 完全作だと思っても、どこかにがあるのかもしれない。

 そういったものは、思いこみや盲点があったりして、自前で発見するのはなかなか難しい。

 となれば、それをたしかめるのは、他人のまっさらな目で見てもらうのが一番。

 小説やマンガなどを書いたときに大事なのは、まずだれかに読んでもらうことだといわれるが、それは詰将棋だって当てはまるのだ。

 では一体、その作業を、だれがやるのかと問うならば、そこに白羽の矢が立ったのが、おそろしいことにだった。

 詰将棋を検討するには、当然のことながら、将棋のルールを知っておかなければならない。

 また、正解をみちびき出すために、そこそこの棋力もないといけない。

 私は将棋ファンであり、棋力はたぶん2、3級程度だったと思うけど(コウノイケ君も同じくらい)、なにより彼の詰将棋という趣味の理解者でもある。

 最後のは、マニアックな趣味の持ち主にとっては、かなり大きなことだ。

 出会いに感謝。必然、「頼むわ」ということになる。

 が、しかしである。私は詰将棋となると、これがハッキリいって苦手なのだ。

 そりゃ、ネット中継の休憩時間に出るくらいのものなら、問題なく解けるし、がんばれば検算も簡単なものなら、ある程度は可能かもしれない。

 けど、ガチの人が、テーマを持って挑んでくるようなのなんて、そもそも考えるのが、めんどくさい。

 私が将棋を見る専門なのは、手を読むのが疲れるからなのだ。

 しかも、彼の「創作ノート」に記された作品には「25手詰」「31手詰」とか、おそろしいことが書かれている。

 私の棋力と根気では、当時なら出力は9手詰

 がんばって、13手詰くらいが関の山であろう。

 そのレベルでヒーヒーいうてる私に、はっきりいってこれは致死量である。

 彼の熱い想いには申し訳ないが、さすがに大変すぎるやんと逃げまくっていたんだけど、そこは友も、人生で初めて会った

 

 「詰将棋を理解し、受け入れてくれる男」

 

 逃がすわけにはいかんと、昼休みのたびに、ルパンと銭形警部のごとき追いかけ合いが、教室で行われていたのであった。

 この問題は後に大学生になったコウノイケ君が、アルバイトにはげんで、パソコンを買うことで解決することとなった。

 まだウィンドウズもインターネットもなく、PC-9801とかが幅を利かしていた時代のこと。

 その役割こそが、まさに「検算」してもらうためである。

 昨今、ネットゲームをしたり、SNSでつながりを求めるため、パソコンを買う人はたくさんいるにしろ、

 

 「自作の詰将棋検算専用」

 

 このためにパソコンを買った(しかも当時は値段も20万円はした)のは、少なくとも私の周囲には、彼だけだった。

 使う範囲せますぎである。なんちゅう、ストイックな動機や。

 当時はまだ、指し将棋に関しては弱かったコン君だが、「解答」のある詰将棋には無類のを発揮。

 なんでも、江戸時代の名人が作った長編作の余詰を、はじき出したりしたそうだ。

 すげえ、人間業じゃない。まあ、人間じゃないけど。

 頼れる相棒を得たコウノイケ君は、もう人に「検算」を依頼する必要もなくなって、こちらとしては、ホッとしたものであった。

 これぞまさに、人類の英知の勝利といえよう。

 

 (続く→こちら

 

 

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