前回(→こちら)に続いて、村山慈明七段のはなし。
デビューからバリバリ活躍して、将来を大いに期待させた「ジメイ君」だが、順位戦ではB2に定着し、タイトル挑戦もいまだ無い。
そのポテンシャルからして、「なんでやねん」と言いたくなるが、なかなか上が厚い時代が長かったので、大変だったとは思う。
そんな村山の大きなチャンスだったのが、2011年の第52期王位戦。
予選リーグの白組で三浦弘行、佐藤康光、窪田義行、吉田正和といった面々に4連勝とトップを快走。
最終戦の相手は、3勝1敗で2位につける、羽生善治名人。
村山が勝てば、文句なしの1位通過で、紅組1位の藤井猛九段と、挑戦者決定戦。
仮に負けても、もう一回、羽生との同率プレーオフがあるという、有利な立場だ。
将棋は羽生が先手で、相矢倉に。
中盤の競り合いで見せた、冷静な受けが好評で、村山有利の終盤戦に突入。
むかえた、この局面。
ここで村山は△43金と受けたが、△42歩とすれば、好機に△78馬と切る筋があって勝ちだった。
決戦の第1ラウンドは、まず羽生が制したが、最強の男を土俵際まで追いつめた村山も、また充実していた。
続けてプレーオフ。
今度は後手になった羽生が、ゴキゲン中飛車を選択し、双方ガッチリ固め合う相穴熊戦に突入。
羽生の手順を尽くした細かい攻めを、村山も馬を使ってしのいで、チャンスを待つ。
むかえた、この局面。
ここでは村山に勝機があり、▲62金と食いつけば、先手が勝ちだったのだ。
手順は難解だが、解説によると、この局面で後手の一番ほしい駒は桂馬。
▲62金なら、その要の桂を渡さずに攻めを継続でき、穴熊の深さが生きる展開だった。
だが村山は▲61銀としてしまう。
穴熊流の食いつき、という思想は同じで、筋は金より銀だが、これだと△71金に、▲63桂としなければならない。
ここで1枚の桂が、どちらの手にあるかが、大きな分かれ目となった。
それは、その後の手順でわかる。
銀打ちの罪が判明するのは、この局面。
後手玉は▲72金、△同銀、▲71金からの一手スキで、先手玉は王手すらかからない「ゼット」と呼ばれる状態。
典型的な、穴熊の勝ちパターンのようにも思えるが、ここで後手に華麗な一着がある。
△45角と打つのが、作ったような「詰めろのがれの詰めろ」で後手勝ち。
自陣に利かしながら、△89角成からの詰みを両狙いにした、ほれぼれすような攻防手。
ちなみに、後手に桂馬を渡していなければ、図で▲79同金でなく、▲79同銀と取った形にすれば、△45角が詰めろにならず先手が勝っていた。
そして最後の場面。
先手も懸命の食いつきで、一見受けがないようだが、羽生はすべてを読み切っていた。
△63角で受け切り。
▲同と、は△同銀で切れ筋。
先手玉は次、△79飛成、▲同銀に、△同飛成なら、飛車と手番を渡してしまい逆転するが、▲79同銀に、銀を取らず△88金と打って詰み。
ここで村山は投了。王位挑戦は夢と消えた。
羽生善治相手に2局戦い、どちらも勝ちの局面を作った村山は充実していたが、あと一歩がおよばなかった。
村山はその後、2014年と2016年の棋聖戦でも、挑戦者決定戦に進出しているが、なかなか、そこから壁を破れない(それぞれ森内俊之、永瀬拓矢に敗退)。
盟友である渡辺明名人によると、
「村(村山の仲間内での呼び名)は人が良すぎるからなあ」
とのことで、その愛される人間性が、かえって勝負にマイナスの要素に、なっているのかもしれない。
まあ、この手の分析はしょせんは結果論で、一度殻を破ってみれば、全然違う評価を呼んだりするもの(豊島将之を見よ)。
早く、そのしぶとい将棋を、大舞台で見たいと願っている。
マジで期待してるんだよなー。
(大山康晴の冷静な勝ち方編に続く→こちら)
(村山の見せた「米長哲学」は→こちら)