文化部員はこれを読もう! ハルチカシリーズ第1作 初野晴『退出ゲーム』

2017年03月31日 | 
 初野晴退出ゲーム』は文化系クラブ出身者、必読である。
 
 人はだれしも、思い入れのあるジャンルというのが、あると思う。
 
 特にそれが、自らがまだ10代のころ、青春時代の思い出とかぶるものだと。
 
 たとえば、高校時代陸上をやっていた友人モモダニ君は、ふだんあまり本は読まないのに、佐藤多佳子さんの陸上小説『一瞬の風になれ』を寝食を忘れて一気読みしたそうな。
 
 他にも内向的なことで、悩んでいた友人タマツクリ君は、乙一さんの小説を他人の話としては読めないとか。
 
 バンドをやっていた先輩ヨシタさんは、映画『青春デンデケデケデケ』が涙でくもって観れないとか。
 
 私も、この「ハルチカシリーズ」を読むと、そんな気持ちになる。
 
 内容は、本の帯によると、
 
 
 「穂村チカ、高校一年生、廃部寸前の弱小吹奏楽部のフルート奏者。上条ハルタ、チカの幼なじみで同じく吹奏楽部のホルン奏者、完璧な外見と明晰な頭脳の持ち主。

 音楽教師・草壁信二郎先生の指導のもと、廃部の危機を回避すべく日々練習に励むチカとハルタだったが、変わり者の先輩や同級生のせいで、校内の難事件に次々と遭遇するはめに―。

  化学部から盗まれた劇薬の行方を追う「結晶泥棒」、六面全部が白いルービックキューブの謎に迫る「クロスキューブ」、演劇部と吹奏学部の即興劇対決「退出ゲーム」など、高校生ならではの謎と解決が冴える、爽やかな青春ミステリの決定版」。
 
 
 そう、私にとって「ど真ん中」なのは、「文化系クラブ」を題材にした物語。
 
 高校時代、私は某文化系クラブに所属しており、そこで10代の、努力熱血友情、何かに向かって一つになる一体感、そして煩悶するなど、
 
 「はいよ、青春詰め合わせ、いっちょあがり」
 
 といった若さ爆発ワンセットを、そこで体験したからである。
 
 文化祭をあつかった『クドリャフカの順番』など米澤穂信の「古典部シリーズ」や、ちょっとニュアンスは違う『涼宮ハルヒの憂鬱』なんかもいいけど、一番おススメなのがこれかもしれない。
 
 マイナークラブが予算に苦しむところとか、気ちがい……もとい浮世離れしたユニークな部員とか、新入部員確保に走り回るところとか、いちいち昔のことを思い出してしまうのだ。
 
 なんといっても、この手の小説で大事なのは文化祭(このシリーズだと、もっと大きく普門館)。
 
 文化部の最大の晴れ舞台といえば、ここである。
 
 ふだんは地味な文化系の生徒たちが、持てるすべてを発揮する場所、年に一度の文字通り祭りなのだ。
 
 そこに向かって、部員一同まっしぐら。
 
 演劇部、美術部、軽音部、放送部、ダンス部、箏曲部、茶道部、ブラスバンド部(うちの高校ではアンサンブル部略してアンブル)、生物部、科学部、写真部、英語研究会、地理歴史研究部、電子工学部……。
 
 それぞれが夜が更けるまで学校に残り、練習し、準備し、予期せぬトラブルに悲鳴を上げてかけまわる。
 
 みんな必死だ。熱血は、野球部やサッカー部だけの専売特許ではないのだ。走る走る、オレたち、なのだ。
 
 この『退出ゲーム』にしても、古典部シリーズにしても、ちゃんと各部が、文化祭に向かって、おだやかな描写ではあるけれど、しっかりと活動している様が描かれているのがいい。
 
 同じ文化部モノでも、『究極超人あ~る』や『げんしけん』が、おもしろいけど不満なのがココ。
 
 彼らは「部活」をしないのだ。
 
 たしかに、自分たちだけの部室でなにもせず、ダラダラとだべったりするのは、一種のユートピアではある。
 
 その、ぬるま湯的快楽も理解できるけど、それだけでは文化部ライフの楽しみを半分しか味わっていないと言える。
 
 ある本で、大阪にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパンを取材した記事を読んだことがあった。
 
 その記事がおもしろかったのは、開演してからのわれわれが楽しんでいるUSJではなく、まだオープン前、デビューしてない準備中のころのレポートだった。
 
 そこでは、ふだん笑顔のMCのお姉さんが、真剣な顔でセリフチェックをしていた。
 
 レストランで働く人たちは最後の接客用語の確認に余念がなく、ぬいぐるみ役者が、ダンスを何度も何度もくり返し練習
 
 技術者さんたちは、最後のメンテナンスに万一の穴があってはと必死で、あちこちで人が携帯電話片手に走り回っている。
 
 それを読んで、不覚にもがブワッと、吹き出しそうになった。
 
 ああ、これって、あのときの自分たちと一緒や、と。
 
 祭前夜の興奮。それは、自分たちが祭りを「作り上げる側」にまわらないと、決して味わえない。
 
 やりきったのか、もう本番だ、いけるか、だめだ、いや大丈夫、準備はいいか、なにか見落としていることはないか、どうだ、どうなんだ、だめだもう時間がない
 
 ステージに飛び出す前の「本番まであと○○時間」の高揚。おおげさにいえば、選ばれしものの恍惚不安
 
 それは、祭の舞台の「向こう側」にいる人間のみの特権だ。
 
 だから私は、音楽のライブお芝居などに行くと、それがどんなにおもしろくても、いやおもしろいからこそ、かえって不愉快になる。
 
 こちらがどれだけ楽しみ、万感の思いで拍手をしても、カーテンコールを受ける彼らは、その千倍の快感を持って壇上から手を振っている。
 
 そのことを知っているから、胸をかきむしりたくなるような、嫉妬を覚えるのだ。
 
 なぜオレはそっちじゃなくて、こっち側にいるんだ。
 
 どうしてあいつらに向かって、拍手なんかしなくちゃならないんだ、と。
 
 そんなことを、『退出ゲーム』を読むと呼び起こされてしまい、もう楽しいやら、おもはゆいやら。
 
 もっとも、そこまで足下をすくわれるのは私のような人種だけで、この小説自体は、オーソドックスな学園ミステリ。
 
 文化部生活に縁がなくても、普通に楽しめます。おススメ。
 
 
 
 
 
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