4番連夜の鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』サーガ。
前回(→こちら)まで「超・訳者」である黒岩涙香先生の、フリーダムすぎる翻訳人生について語ったが、今回お伝えしたいのは、内田魯庵先生。
魯庵先生は明治時代に活躍した翻訳者だが、先生が訳した作品の中に、トルストイの『復活』がある。
大正期、ツルゲーネフが初めて日本語に訳されてから、ちょっとしたロシア文学ブームがあった。
魯庵先生もその多分にもれず、ドストエフスキーに耽溺。
『罪と罰』を三日三晩、不眠不休で一気読みして、ぶっ倒れたというのだから、すさまじい。
勢いにのって『罪と罰』を日本語訳し出版。
商業的にはふるわなかったものの、「名訳」として今なお評価が高いそうな。
そんな魯庵先生、ひょんなことからトルストイの『復活』を訳して、新聞に連載するという仕事を受けることになった。
「彼のような作家は前後1000年はあらわれない」
とまで言い切るドストエフスキー好き好き大好きの魯庵先生だが、残念ながらトルストイとは、どうもそりが合わなかったよう。
そうはいっても、引き受けた以上、紹介はせねばならない。
そんな魯庵先生の心情が、連載第一回目の前書きにあらわれており、以下その文。
「『復活』の翻訳を連載するに先立ちこの小説について一言言っておきたい」。
ここから続けてが、すごい。
「この小説は、おもしろくない小説である」。
いきなり、それはないだろ!
連載初日の開口一番に、おもしろくない。
言い切ってますよ、魯庵先生。
新聞小説史上前代未聞、空前にして絶後の前書きであろう。
そこからも、
「小説の体をなしていない」
「ストーリーが単純すぎる」
「説教くさい」
「ここまで退屈な話もめずらしい」
ハードパンチを連発。あまつさえ
「新聞小説に向いていない」
自らのレゾンデートルすら完全否定。
ここまでいってもいい足りないのか、魯庵先生はさらに連載第二回目には
「読む前の心得」
として「この小説はおもしろくない」とさらに強調した上で、
「この作品は長編であり、後半はそこそこ読めるから最初の15、6回は辛抱して読んでいただきたい」。
こうまで「つまらない」と書かれると、かえって読んでみたくなりそうなくらいである。
辛抱するのが「15、6回」というのも、すごいぞ。こういうのは、まだしも「せめて2、3回くらいは」とか書きそうなものだが。
15回もガマンして読まないよ、普通は。
そしてとどめには、
「小説としてではなく、ロシアの風俗習慣を学ぶ本として読んでいただきたい」
「文学性」を完全否定。
ダメ出しここに極まれりである。そりゃ、あんまりだ。
そんな完全にじゃみっ子あつかいの『復活』だったが、皮肉なことに連載中は大好評で、トルストイの代表作として、大いに評価されることとなった。
まさかの展開に、魯庵先生も、さぞや砂を噛む思いであったことだろう。