前回(→こちら)続いて、鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』を読む。
「高校野球、バントしすぎではないか」
という、昔からの素朴な疑問を解決するために、マイケル・ルイス原作の映画『マネーボール』で有名になった「セイバーメトリックス(野球統計学)」を使った本書を手に取ったわけだが、これによるとバントという作戦の損得が、数字でわかりやすく表されることとなり興味深い。
たとえば、
「後攻チームが、1点差で負けている状況での勝利確率」
の欄を見ると、「無死1塁」のほうが、「1死2塁」よりも確率が高い。
これが9回なら前者は「32、1%」だが後者は「28、4%」。
これは1~8回まででも、数字は違うが、無死1塁のままの方が数パーセントずつ勝ちやすい。
1点ビハインドでの送りバントは、ハッキリと損。
つまり、わざわざ作戦を立てて、勝利の確率を下げていることになる。
これは「同点での勝利確率」でも同じ。送りバントをすると、全イニング勝率が下がる。「2点差以上」でも同じ。
唯一、犠牲バントで勝率が上がるのが、
「同点で後攻チームが無死2塁のとき」
のみだが、これが高校野球にかぎると、ほとんど変化がない。
これは3塁にランナーがいると、「犠牲フライ」による得点ケースが増えるんだけど、高校生には確実にそれを打つ技術がないことが多いから、と推測されている。
ということは、なんと高校野球では、考えられるあらゆるケースで送りバントは意味がないどころか、確実に損ということになってしまう。
ましてや、大量リードされてて、「まずはバントで1点返す」など、愚の骨頂ということだ。
ちなみにこれは、田中将大、菊池雄星といった「怪物」クラスの投手相手でも似たようなものらしい。
「どう考えても打てない」ケースでも、バントよりはマシ。
こうして、はっきりと数字で出されると、思っていた以上の結果におどろかされる。
もちろん、スポーツは数字だけではかられるものではなく、「勢い」とか「カン」「心理戦」みたいなものも大事であろうが、それにしたって、ここまであからさまに「損だよ」と見せられたらショックも大きいではないか。
ではなぜ、こういうことが起こってしまうのかといえば、まず、
「さかしらなデータなど、聞きたくない」
こういった心理があるのだろう。
『マネーボール』に出てきたメジャーリーガーや監督も「素人の進言」にイラッとしてたけど、スポーツ選手ではない私でも、感覚的にわかるところはある。
現場に出たことないけど、理屈だけは達者なスタッフが来て、
「それはデータ的に損です」
とか、自分のやってることや「伝統」にケチつけられたら、それは愉快ではあるまい。
つまるところ、情報というのは「プレーヤーのテンションを下げることがある」のだ。
現に、私が昔読んでいたスポーツ漫画では、データを駆使するチームというのは例外なく、
「データで測れない意味不明の馬鹿力」
の前に、みじめな敗北を喫するのだ。『キャプテン』の金成中しかり、『一球さん』の恋ヶ窪商業しかり。
私もスポーツは最後のところは根性だと思うけど、ただ、このかたよったあつかいはあんまりではと、子供心にも思ったものだ。
情報って、それなりに大事なんなもんなんちゃうの? と。かつての旧日本軍も、そのへんを軽視して負けてしまったわけだし。
それともうひとつ、犠牲バントというのは「日本人の琴線に触れる」というのもあるのだろう。
「個を殺して大儀に尽くす」
という考えに、日本人は弱かった。
そこにピッタリと、あつらえたようにはまるのが、犠牲バントという概念なのかもしれない。
本の中で鳥越さんはバントのやりすぎについて、
「高校野球が(勝利にこだわらない)教育の一環であるというなら話は別だが」
そうではないなら、もう少し考えてみてはどうかと、苦言を呈しておられるが、私が見るに過剰な犠牲バントというのは教育というよりも、もうちょっと情緒的な理由があるような気がしてならない。
(続く→こちら)