「ヘイ、ナカータ!」。
そう声をかけられたのは、イタリアの首都ローマのことである。
ある時期、海外を旅行された方は、わりとよくこのフレーズを聞いたのではなかろうか。これは日本人の名前「中田」のこと。
中田。そういわれてだれを思い出すかはそれぞれであり、中田カウスにデビル中田にオリラジあっちゃんと数あるが、当時イタリアでナカタといえば中田英寿。
最近はどうか知らないが、90年代後半くらいから海外旅行をしているとよく「ナカータ!」と声をかけられたものであった。
セリエAでプレーしていたから、イタリアでならわかるけど、これがエジプトとかモロッコのような、関係ない国でもいわれたりして、ヒデの知名度におどろいたものである。
最初はからかわれてるのかと思ったが、どうもそれだけでもないらしく、多くは明るく好意的な雰囲気であった。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』で、やはりイタリアで「マスタツ!」と声をかけられて、
「ヨーロッパの子供にまで知られているとは、大山総裁マジスゲー」
と、感心していたら、
「お前も日本人なら空手をやっているのだろーノ、よかったら、こいつと闘ってくれゲッティ」
熊のごとき大男に挑戦され、あわてて逃げたというエピソードがあったが、それのようなものか。
そんな、日本人相手のあいさつ代わりにもなっていた中田ヒデであるが、ひとつ不満だったのは、いつもいつもナカータかよ、ということである。
たしかにヒデは偉大だが、そればっかりだと飽きてくるのだ。
当時でも中村俊輔選手とか小野伸二選手とかがヨーロッパで活躍していたのだから、「ナカムーラ」とか、「シンジ」とか、通なら「オクデーラ」とか、変化をつけてほしいと要望したくなる。
いわば、芸人さんが街を歩いていると、いつも「例のギャグお願いします」と言われて辟易するようなものだ。もっと、ほかのこともいってよ、と。
なんてことを考えながら、ローマの街をホテホテと歩いていると、やはりそこに「ナカータ!」と声がかかった。
おお、またか。
声の主を見ると、10歳くらいの子供たちであった。どこの国でもガキというのは無駄に元気である。
彼らは「またかいな」と苦笑いする外国人がおもしろいのだろう、はやしたてるように「ナカータ! ナカータ!」と続ける。
それを聞いていた私は、なぜかムクムクと対抗心のようなものがわいてきた。
フッフッフ、キミたちは子供だからそうやって外国人で遊んで楽しいかもしれないが、精神年齢の低さでは、こっちだって負けてないぜ(←なんの自慢だ)。
よし、たまには反撃してやろう。そんないたずら心を起こした私はこう返した。
「トッティ!」
そっちが中田ならこっちは日本で一番有名(当時)なイタリア選手の名前で対抗だ。
それを聞いた子供たちは、ギョッとした目で立ち止まった。
おそらく、こんなリアクションは初めてだったのであろう。まさか、シャイな日本人が返事をしてくるとは。
話がちがうぜセニョール! あきらかに困惑したような、イタリアン坊主たち。
ナッハッハ、これは愉快愉快。どうだ、まさか相手にされるとは思わなかっただろう。いっとくけど、お兄さんは大人げないぜ(←だから自慢じゃないって)。
そうして日本代表として完全勝利をおさめ、口をパクパクさせている小僧どもを置いて、さっそうとその場を立ち去ろうとしたのであったが、なんのなんの、そのガキどももさるもの。
そこから思わぬ反撃があって、ここに国のプライドをかけた日伊決戦の幕が開いたのであった。
(続く→こちら)
そう声をかけられたのは、イタリアの首都ローマのことである。
ある時期、海外を旅行された方は、わりとよくこのフレーズを聞いたのではなかろうか。これは日本人の名前「中田」のこと。
中田。そういわれてだれを思い出すかはそれぞれであり、中田カウスにデビル中田にオリラジあっちゃんと数あるが、当時イタリアでナカタといえば中田英寿。
最近はどうか知らないが、90年代後半くらいから海外旅行をしているとよく「ナカータ!」と声をかけられたものであった。
セリエAでプレーしていたから、イタリアでならわかるけど、これがエジプトとかモロッコのような、関係ない国でもいわれたりして、ヒデの知名度におどろいたものである。
最初はからかわれてるのかと思ったが、どうもそれだけでもないらしく、多くは明るく好意的な雰囲気であった。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』で、やはりイタリアで「マスタツ!」と声をかけられて、
「ヨーロッパの子供にまで知られているとは、大山総裁マジスゲー」
と、感心していたら、
「お前も日本人なら空手をやっているのだろーノ、よかったら、こいつと闘ってくれゲッティ」
熊のごとき大男に挑戦され、あわてて逃げたというエピソードがあったが、それのようなものか。
そんな、日本人相手のあいさつ代わりにもなっていた中田ヒデであるが、ひとつ不満だったのは、いつもいつもナカータかよ、ということである。
たしかにヒデは偉大だが、そればっかりだと飽きてくるのだ。
当時でも中村俊輔選手とか小野伸二選手とかがヨーロッパで活躍していたのだから、「ナカムーラ」とか、「シンジ」とか、通なら「オクデーラ」とか、変化をつけてほしいと要望したくなる。
いわば、芸人さんが街を歩いていると、いつも「例のギャグお願いします」と言われて辟易するようなものだ。もっと、ほかのこともいってよ、と。
なんてことを考えながら、ローマの街をホテホテと歩いていると、やはりそこに「ナカータ!」と声がかかった。
おお、またか。
声の主を見ると、10歳くらいの子供たちであった。どこの国でもガキというのは無駄に元気である。
彼らは「またかいな」と苦笑いする外国人がおもしろいのだろう、はやしたてるように「ナカータ! ナカータ!」と続ける。
それを聞いていた私は、なぜかムクムクと対抗心のようなものがわいてきた。
フッフッフ、キミたちは子供だからそうやって外国人で遊んで楽しいかもしれないが、精神年齢の低さでは、こっちだって負けてないぜ(←なんの自慢だ)。
よし、たまには反撃してやろう。そんないたずら心を起こした私はこう返した。
「トッティ!」
そっちが中田ならこっちは日本で一番有名(当時)なイタリア選手の名前で対抗だ。
それを聞いた子供たちは、ギョッとした目で立ち止まった。
おそらく、こんなリアクションは初めてだったのであろう。まさか、シャイな日本人が返事をしてくるとは。
話がちがうぜセニョール! あきらかに困惑したような、イタリアン坊主たち。
ナッハッハ、これは愉快愉快。どうだ、まさか相手にされるとは思わなかっただろう。いっとくけど、お兄さんは大人げないぜ(←だから自慢じゃないって)。
そうして日本代表として完全勝利をおさめ、口をパクパクさせている小僧どもを置いて、さっそうとその場を立ち去ろうとしたのであったが、なんのなんの、そのガキどももさるもの。
そこから思わぬ反撃があって、ここに国のプライドをかけた日伊決戦の幕が開いたのであった。
(続く→こちら)