海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

消逝的老街1996-2000 Panorama 65 登雲街

2017-06-11 | 消逝的老街1996-2000 panorama

1996年撮影 登雲街

 扌へんに斥と赤い文字で書かれている家屋は取り壊すぞ、というお上からいただける印。これをいただくと、住民はその家から期限までに家を空けなければならない。もちろん保証金などをもらえるのだが、長く住み慣れた場所を離れるのは誰でも嫌なもの。後で知ったのだが、この付近の人達の移住先は今の上海ディズニーランドから近い場所に移った人が多いと聞いた。

上に政策あれば下に対策ありで、住民もあの手この手で保証金の額を上げる対策を取った人も多い。例えば住人の水増しなどがよくある手口。頑なに移住を拒否して抗議している現場も見た事があるが、結局は出て行かざるをえないのが大陸のルール。土地は国の物であり借地権として期限を区切って国民は借りているのだからあまり文句は言えない。

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プログラムモードしか使わないオッサン

2017-06-11 | 写真日記

生まれてこのかた、一度も使った事がないPモード 画像はα7Ⅱ

 

私の元アシスタントでもあり、今は共同経営者の宝くんから聞いた話。私の上海生活14年の中で、立派に独立してバリバリ仕事をやっている教え子は何人かいるのだが、その中に女性がひとり。その彼女が大陸の旅先で知らないオッサンに写真を撮ってくれと言われて、キヤノンの高級デジイチ(5Dクラス)+極太のズームレンズ付を手渡された。彼女がカメラを見るとモードがPモードになっていたので、設定をMに変えようとした時、そのオッサンから「やめてくれ~、設定を変えないで~」と悲鳴に近い声で叫ばれたそうだ。聞くとそのオッサンはカメラのPモードでしか写真が撮れないのだそうだ。大陸では大きくて値段の高いカメラが売れまくっているのは周知の事実で、カメラの出荷台数がピーク時の1/5に落ちている現在でも、大陸のそれらの人が実はカメラ産業を支えているだ。カメラが売れなくなると、当然カメラの周辺のアクセサリーも売れなくなる。今、カメラの周辺機器をさらっと眺めて見ると、魅力的な物のほとんどが外国製だ。

日本はデフレが続き、すべての事に慎重になり過ぎた時代が長すぎたのも理由のひとつだが、世の中が銀塩からデジタルに時代が変わったにもかかわらず、日本のアクセサリー関係の会社は、時代に追従してないと私は思っている。日本発のカメラの周辺機材でイイネと言える機材を上げてみてと言われて、即答出来る人がどのくらい存在するのかなぁ。一部は中国にも負けてる状態だからね。私はその隙間を狙って日本に殴り込みをかけますよ、今年から。当然、日本ブランドではなく上海ブランドとして。私のブランド名「039」は、先週に大陸で商標登録が完了した。

 

 

 

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