拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

キューン、誕生/青葉シゲルを訪ねて

2006-06-30 20:33:51 | 音楽
●雑誌『ぴあ』でラルクのギタリスト・kenさん(なぜか「さん」付けしてしまう)と、「第三会議室」でもおなじみのヒップホップユニット・ライムスターの宇多丸さんが対談したらしい。kenさんが「ぴあ」で連載を持ってるので宇多丸がそれのゲストってことだな。二人のつながりは「レコード会社が同じ」ということのみ。他に交流は一切無かった二人が「ヘヴィーメタル」について語る…読みてぇ。ラルクとライムスター、ひそかになんらかの形での共演を願っていた二組だもの。なんかね、両者の所属する「キューンレコード」にはメジャーな人からマイナーな人まで様々なミュージシャンが所属してるわけですが、奇跡的に嫌いなミュージシャンが殆どいないのだ。キューンはソニーミュージックの傘下のレーベルの一つだが、「ソニーの中から私の好きなアーティストをピックアップして誕生したのか!?」とか都合よく誤解したくなる程の豪華さ(ソニー傘下の他のレーベルは…)。誰が所属してんのかは公式HPを見ればわかるので書かないが、そこそこ好きな人が多い。そんな中で、稼ぎ頭であるラルクと、「第三会議室」見て以来気になる存在になった宇多丸さんが対談するなんて素敵やん。やってる音楽の全く違う二人が、おそらく「キューンレコード」というつながりのみで対談するというこの強引さ。次はkenさんとゴスペラーズ(結構好きなんだよ、彼ら)の誰かとか、どうですか。あ、ピエール瀧とかでも良いな~。いしわたり淳治さんもキューンレコードだし、本当に奇跡のレーベルだ、ここ。
窪塚洋介主演の卓球映画『ピンポン』のサントラがキューンレコードから出てる。このサントラ、モロに私のツボなのだが、これ聴くと、キューンレコードの凄さがわかるかもしれんよ。ラルクは参加してないけど。

●私が「新世紀エヴァンゲリオン」を見始めたのは今年の冬頃、10周年記念ということで作られたyahoo!のエヴァ特設ページを覗いた事がきっかけ。キャラクター人気投票のページ、それまで「綾波レイ」ぐらいしか知らなかった私は「きっと彼女が一位なんだろうなぁ」と思って投票の途中経過を見てみたら、「青葉シゲル」という青年がぶっちぎりの一位。「へぇ…マニアの間では彼が大人気…なのか?」と思って気になってしまって。でも見てみたら青葉シゲル、超脇役で。wikipediaには「本編で唯一名前を呼ばれることのない主要キャラクター」「性格や個性の描写がほとんどない」なんて書いてあるし。調べてみたらすぐにあのぶっちぎり一位は組織票だということがわかった。そして爆笑してしまった。そんな経緯もあり、私は青葉シゲルが結構好きだ(一応投票もした)。肩書きは「本部中央作戦司令室付オペレーター(wikipediaより)」。趣味はギターを弾くことらしい。エヴァの男キャラの中では、作中でも異様にモテまくりの碇ゲンドウの次に好きなキャラかもしれない。他の男キャラ、シンジはジメジメしすぎるし、渚カヲルもなんか嫌だしね(…嫌じゃん、なんか…いろいろと…女子には凄く人気あるみたいだけど)。
最終話で一番好きなシーンは、冬月が補完されるシーン(感動的)と青葉が補完されるシーン(爆笑)かな。補完の瞬間、みんな幸せそうな表情を浮かべるのに青葉だけ綾波に囲まれて絶叫ですよ。最高じゃん。しょこたんこと中川翔子ちゃんは自身のブログで、青葉シゲルと共にオペレーターとして働く「日向マコト」への狂信的な想いを綴っていたが(「日向さんと結婚したい」「日向さんの椅子になりたい」「(床にうずくまった自分の写真を添えて)さあ座ってください日向さん」等)、そういえば日向は人気投票の対象にすらなっていなかった。…青葉シゲルよりは目立ってたんじゃないか?全く覚えてないけど。 

※画像は映画『ピンポン』のサントラのジャケ。超スピードの卓球の試合シーンや、登場人物それぞれの哀愁にピタっとはまる数々の名曲が収録されている。ペコとスマイルが電車に乗ってるシーンで流れる「Spring Sponsor」、ペコVSドラゴン戦で流れる「Scatterin’ Monkey」などがお気に入りだ。

追記
yahoo!のエヴァ特設ページ、まだ残ってました。こちら、件の人気投票の結果です。→人気投票結果

美形のベーシスト―似すぎなんだよこのやろう

2006-06-29 22:04:50 | 日記
帰りの電車で向かい側の席に座っていた男の人が若い頃のマッドカプセルマーケッツのTAKESHIさんに激似で、思わず凝視してしまった。若い頃…15年以上前のデビュー当時、超ハードコアパンクを鳴らしていた、まだ名前がTAKESHIではなくCRA¥だった頃の、ハンパじゃない美形振りが際だっていたころのあの人にそっくりなんだもん、本当に本当に本当に驚いた。今現在のTAKESHIさんもとてもかっこいいけど、デビュー当時はもう神の領域だ。あの顔で、狂いに狂った恐怖のベースを鳴らしていたなんて。リアルタイムでライブ行きたかったな…。CD聴いてるだけでもたまに恐くなる(特に「家畜」という曲……)。
人気少女マンガ『NANA』の実写映画化が決まった時、主人公でボーカリストを目指すナナのバンドのベーシスト・シンを演じる人間として真っ先に浮かんだのは他でもなく若い頃のTAKESHIさんだった。『NANA』の登場人物の中でおそらく最も美形だと思われるキャラ・シンこと岡崎真一。美形のベーシストってそれモロにTAKESHI さんじゃねぇか!と、彼が漫画に登場したときから密かに思っていた。作者の矢沢あいはシンのキャラ設定の時にTAKESHIをモデルにしたんじゃないか?と勘ぐりたくなるぐらい。ザ・UKパンクな服装も共通してる。割とミーハーっぽい矢沢あいが初期のマッドを知っていたかどうかは疑問だが。しかし当たり前だが、映画でシンを演じたのはTAKESHIさんではなく松山ケンイチという、現在公開中の『DEATH NOTE』で天才探偵・L役をやっているという俳優。…当たり前だよ、過ぎた時間は元に戻らないもん。いや、戻っても彼が『NANA』なんかに出るわけないけどさ。そして松山ケンイチさんには申し訳ないが、かーなりがっかりしたよぉ、シン役。
でまあ、そんなTAKESHIさん似の人が電車にいたもんだから、冒頭にも書いたけどじーっと見てしまった。人が沢山載っている車両だったので私の視線は人ごみに紛れ、どんなにそちらの方を見ていても恐らく気づかれてなかったと思う。TAKESHIさんの顔でなにやら週刊誌を読んでらっしゃったよ。お美しい。あまり見るのもなんなので途中から視線を外したが、向かいの席なのでどうしても視界にチラチラと入ってきて、目のやり場に困る。あぁ…もう。TAKESHIさん(仮名)はどこの駅で降りるのかなーと思っていたら、私と同じ駅だった。はて、このような美しい方が私の地元に住んでいらしたと?なんとも不思議な気分。あ、尾行などはしてませんよ、念のため。
それにしてもかなり目の保養になったな。癒された。あの系統の顔、現実にいそうでいないのだ。若い頃のTAKESHIさんを知らない方は、お暇なら目の前の魔法の箱で適当に検索かけてみよう。美意識というものは人それぞれだけど、私は本当にかっこいいと思うぞ。

※画像はマッドカプセルマーケツの1991年のアルバム『P・O・P』のジャケ。とってもさわやかなジャケだが、その中身は…ひー、ごめんなさぁい!

勝手に夢十夜~DoopなRhymeで 泣き出す嬢ちゃん

2006-06-28 20:40:11 | 日記
こんな夢を見た

我が家の真向かいの家に住んでいるラッパーがMTVのブラックミュージック系のトーク番組に出演していた。「久々の新曲のリリックはかなりキてる。世の中のワケワカンネーニセモノ野郎共に向けた強烈なディス満載。刺激強すぎるかも」。おまえの言ってることがワケワカンネーよ。いや、わかるけど。わかるけど、あまりにもステレオタイプな「日本のハードめのラッパー」像に当てはまった彼の喋り方と、丸坊主、スポーツブランドのジャージにゴツめのアクセサリーという定番の風貌にウンザリ…このMTVの番組を見るといつもはそんな様なことを思うのだが、今日のゲストは向かいの家の兄ちゃんだ。心は懐かしさと可笑しさで満たされる。昔よく遊んでくれた兄ちゃん。もっとも、数年前に彼がヒップホップに目覚めた頃からは遊んでもらうかわりに彼自身の自作ラップを聴かされるようになった。8畳ほどの広さの兄ちゃんの部屋の中。兄ちゃんは小高いベッドの上に仁王立ちをする。私は床にちょこんと正座し、兄ちゃんを見上げながら、「フリースタイル」と呼ばれる、即興で考えた押韻のフレーズをすぐさまその場でラップするというパフォーマンスをよく見せられた。エミネム主演映画「8mile」でよくラッパー達がやっていたヤツ。兄ちゃんがヒップホップにハマろうが私のロック好きは一貫していて、ヒップホップには全く興味を持たなかったため、フリースタイルを見せられても何とコメントしていいかわからなかったが、とりあえず「即興でそんなにラップできるなんて凄いねぇ!」という無難なセリフを毎回返していた。
小さなベッドのステージで私一人相手にラップしてた兄ちゃんが、今ではMTVのトーク番組に出て新曲の宣伝ができるようなポジションにまで昇りつめた。ラッパー特有の間延びした口調でわけのわからない事を口走っていたとしても、相手があの長い付き合いの兄ちゃんならOKだ。そう思っていたら兄ちゃんからメールが。「昨日東京から帰ってきた。今家にいるから来い」。約二年振りに兄ちゃんに会える運びとなった。兄ちゃんの家は県道を挟んだ向こう側。車が全く来ないので県道をさっと渡ろうとするが、道路の真ん中まで来たところで何故か足が止まり、前に進めない。どうもがいても、まるでセメントにでもはまったかのように身動きが取れないのだ。向かいの家の二階の窓からラッパーが手を振っている。私の異常には気づいていない様子。体全体が動かないからこの身ごと運んでもらおうと思い、それを説明しようと大声を張り上げようとするが、声が出ない。声帯までやられてしまった。道路の中心で硬直する女。そんな明らかにおかしい図を見ても、ラッパーはただ私に手を振り続ける。右方向から車が来る。クラクションを鳴らす車。うるさい。わかってる。でも足が動かないの。そこで目が覚めた。私は自宅のソファーでテレビを見ながら居眠りしていたらしい。汗びっしょり。チャンネルはMTVに合わせてあった。夢の中で見たのとは全く別の番組。…そうだ、向かいの兄ちゃんがラッパーなんて、あり得ない。
MTVの番組では、アメリカの女性アイドルが「ブリトニーみたいなスキャンダラスな生き方は絶対にしたくないの」と一丁前にトークしていた。心配しなくても、アンタからはブリトニー・スピアーズのような生き方ができるような、スーパースターのオーラは出てないよ。そんなことを思いながら、汗びっしょりなのでとりあえず顔を洗いに洗面所に行った。

【自己分析】
もちろん最後のブリトニーのくだりも夢の話。今回の夢も例によってワケワカンネー。でもラッパーが出てきたのには心当たりが。KAT-TUNのラップ担当の「田中君」について友人といろいろ話したのだ。「『どいてな嬢ちゃん』ってすごい歌詞だねぇ」「違うよ『泣き出す嬢ちゃん』だよ!」というような会話だった。動けなかったのは…疲れてたとかだな。金縛りにあう時って物凄く疲れてる時って言うし。

我らの時代のソーシャルネット―mixi見てきた

2006-06-27 18:52:01 | 日記
利用者が莫大に増えているというmixiに登録してみた。どんな雰囲気なのか覗いてみたくて。心優しき友人に紹介メールを送ってもらい、簡単な登録を済ませた。紹介メールを送ってもらえないとmixiの輪の中に入れないというなんとも閉鎖的な…いやいや、アットホーミングなコミュニティーであるmixi。ブログのように見知らぬ人同士のやりとりではなく、ある程度知っている人同士で日記を公開するというコンセプトからか、名前などの登録の際、普通みんな本名で登録するらしい。しかし私の目的はmixiの雰囲気の観察。冗談のような名前で登録を済ませ、ふざけてるのか狂ってるのかわからないような自己紹介文を載せた。そして、紹介してくれた友人のページからいろいろな人のページへ適当に飛び、雰囲気を感じる。う~ん、本当にアットホームだ。みんなそれぞれの日常を包み隠さず書き綴っている。アットホームすぎて私には絶対に入り込めないような場所だ。疎外感すら勝手に感じる。さらに罪悪感まで。みんな当たり前のように本名や出身校などの個人情報をバンバン明かしているのに私は何も明かさず、ただ怪しげな偽名と3行の自己紹介文だけを載せているだけ。つきまとう「知人の日記を盗み見しているような気分」。かといって私は照れ屋なので素性を明かす気にはなれないが…。mixiに登録する直前は「拝啓 夏目漱石先生」に書いた記事をそのままmixiの記事として載せようかなぁなどと考えてみたが、絶対に悪い意味で浮くので却下。だいたいこんなに文字数の多い日記を書いてる人なんて私の見た限りではいないしね。
数十分ほど友人、知人、顔見知り、遠い昔に喋ったことのある人など、様々なレベルのmixi利用者のページを見た後で自分のページに戻ると、今まで誰が自分のページを訪問したかがわかる「足あと」という所を発見。…んん?足あと…残ってるのか!?恐る恐る見てみると、十人前後の人が自分の所に来ている。多分私が残した足あとを辿ってきたのだろう。残した足あとといってもただチラっと訪問しただけだが…。「ん??なんだこの怪しげな名前の奴、知り合い??」みたいな感じでクリックしてみたら狂った自己紹介文を見せられ、さらに脳内の「?」を増やすこととなっただろう。短時間でかなり沢山の人々のページを旅したからな…。改めて、私の登録した偽名及びニックネーム、本当にかなり浮いてることに気づく。つーかチラっと見ただけで足あとが残るなんてかなり恥ずかしくないか?バリバリ本名明かしてるならなおさら。もちろん仲良しの友達同士なら全く問題ないけども自分が一方的に知ってる「友人の友人(の友人)」レベルの人が足あとに残ってたら…。「うわ、あの人に見られてたのね、怖!」とか思ってしまうよ、私なら。そう考えたら微妙に狂ってる「mixi内での私」の存在を消したくなり、退会してしまった。一時間程のmixi体験だった。私を紹介してくれたH様、本当にごめんね。なんか、mixi馴染めなかったっす…。微妙にクラスに馴染めなかった高校三年生の時の事とか思い出しちゃって辛くなっちゃってさ(笑)。そのうち「mixiに馴染めなくて…」みたいな悩みが世間に蔓延したりして。ハマってる人が大半なので少ないかもしれないけど。でもmixi絡みの社会問題はこの先表面化すると思うのでとりあえず外部から観察することにする。
今回の件で、私にはコミュニティーの外で場末のブログを細々と更新するのがお似合いなんだなぁーっと実感。なんか、ATフィールドを解いて「魂のスープ」に溶けこみ全ての人類と「ひとつ」になるという「人類補完計画」を拒んだシンジとアスカ・ラングレーみたいだ。

※画像はコーネリアスのアルバム『96/69〈地球あやうし!!〉』のジャケ。『69/96』というアルバムのremix盤である。9曲目の「HEAVY METAL THUNDER」はhideによるremixなのだ。それ以外の曲も超楽しいぞー。

点―鮮烈な景色を見た瞬間

2006-06-26 20:45:58 | 音楽
月曜日は共通テーマの日。今日のテーマは「ターニングポイント/転換点」。

自分の人生を振り返ってみて、「今思えばあれがターニングポイントだったわぁ」なんて思う瞬間が明確にないことに気づき唖然とした。自分がなんとなくフワフワ生きてきた証拠ではないか…でもまぁ地味目なことで言えば、音楽との出会いはターニングポイントかなぁ。小5くらい。音楽を聴くようになってから見える景色が変わったし、お金の使い方も変わったし、ついでに夜更かしするようにもなった。生きながらにして生と死の狭間の様な退廃的風景を見せてくれたラルクとか、美しきメロディー地獄に何度も私を落っことそうとしたスピッツ・スマパン・GRAPEVINEとか、かなり生ぬるい日々を過ごしていた高2の頃私の背中をガンガン蹴っ飛ばしてきたhideなどとの出会いは人生のターニングポイントと言えるかもしれない。特に最近さらに深く聴き始めたhideには、初めてちゃんと聴いた4年前とは比べ物にならないほど鮮烈な世界を見せられている気がする。後で振り返れば今こそターニングポイントの真っ只中かもしれない。…うーむ、ターニングポイントって言えるのか、書いててわからなくなってきたぞ?でもきっと大好きな音楽との出会いの瞬間は人生のアクセントみたいなもんだ、きっと。
話は微妙に変わるが、hideの曲を聴きながら日々思うのは、「ここまでポジティブなメッセージを派手に明示するアーティストも珍しい」ということ。もちろん全ての曲が陽性ではなく、物凄くダークでゲロゲロハードコアな曲もあるのだけれど、この人がポジティブなメッセージを込めた曲は時に大気圏を突き抜ける。有名な「ROCKET DIVE」なんてモロにそうだ。「受身の生き方なんて止めて、自分からガンガンと人生を切り開けば、良くも悪くも物凄い景色が見えるぜ」。勝手に歌詞を要約してみたが、この曲を思春期、特に多感な中学生の頃真剣に聴いた人には強烈な印象を残しただろう。「え、お前悩んでんの?知らねーよそんなの!どーでもいーよ!とにかく前に進めよ!」みたいな、無茶苦茶強引なパワーをこの曲に感じる。それこそ聴いた瞬間がその人の人生のターニングポイントになるような印象を残してたりすると思う。今の中高生は世代的にhideを聴いたことのない人が多いと思うが(谷間の世代ってやつか?)、かなり勿体無い。私なんかよりもhideの曲が必要な子供はきっとたくさんいるはず…。なんとかして彼の存在感がずっとずっと下の世代にまで認識されることを願う。
んー、だんだんテーマとズレてきた。このテーマを決めたmay99さんは果たして何を書いたのかしら。私は結局いつものように好きな音楽を好き勝手語っただけの記事になってしまったよ。

「だいたいおんなじ毎日 そいでまあまあそれなりOK
 だけど、なんとなく空見上げちゃうんでしょ?」
「待ってるだけの昨日にアディオース」
「何年待ってみても 僕ら宇宙の暇人だろう」

※画像は「ROCKET DIVE」収録のアルバム『Ja,Zoo』。ラストアルバムにして凄まじい完成度を誇る。めっちゃハードなのに聴く人を選ばない程ポップな、本当に摩訶不思議アルバムなのですよ。謎、本当に謎!


「夜を駆けていく 今は撃たないで」

2006-06-25 21:39:25 | 日記
最近夜八時頃になると夜風にあたりたくなってくる。家でじーっとしているのがなんだか嫌になってくるのだ。湿っぽいのに爽やかな風にスーっと吹かれながら自転車で目的も決めずフラフラと外出してしまう。毎年この時期から秋頃までそんな気分になる。ipodを連れ出して夜の町を自転車でウロウロしていると、日々を悩ます煩わしき事をその瞬間だけ忘れさせてくれる。ライトな現実逃避といったところだ。大好きな音楽の物凄く大好きな部分を聴いている瞬間はたまにトリップしてしまいそうにもなる。今日はhideの「MISERY」という曲の「夜の闇に落ちてゆけば忘れてしまうことなのかも 揺れる思い つかのまの夢 小さな悲劇」という部分を聴きながら泣きそうなぐらい気分が良くなってしまった。キーの上がり方が絶妙なのだ。ヒー。
で、その「MISERY」を聴いて気分がとても高揚してきた私は家に帰りたくなくなってしまい、わざわざ国道一号線の方まで出て、割と危なめな繁華街にまで行った。私は名古屋市の中で比較的治安の良くない地区に住んでいるのだが(わかる人にはわかるだろう)、一号線周辺は特に危ない。でも一号線沿いの歩道はとても広くてダラダラ走るのにもってこいだし、夜でも交通量が多いので賑やかで明るいためたま~にフラっと行きたくなってしまうのだ。賑やかな店が立ち並ぶ国道沿いを夜に自転車でタラタラ走ってると、小学校時代にが真夜中に学校に忍び込んだのに似たワクワク感を呼び起こす。危険と隣り合わせな所がとてもよく似てるのだ。ああノスタルジー。
一号線沿いの歩道から見える光景。それはさしずめ「夜回り先生が見る風景」と言ったところだろうか。コンビニやゲーセンやファミレスの前には、明らかに関わると面倒くさいことになる人々がダラーっとまどろんでいる。「将来教員になったらこういう人々の中に入り込んで説教しなきゃなんないんだな…」と思うと背筋がピンと伸びる。でもすぐ緩む。とにかく好きなのだ、夜の一号線沿いを駆けるのが。スピッツの「夜を駆ける」という曲がこんなシチュエーションにバシっとハマる。今日はhideナイトだったから聴かなかったけど。「LEATHER FACE」を口ずさみながらチャリで走って行く私はとても奇異な存在だっただろう。将来どこかに引っ越すとしたら、できれば国道一号線が近くにある街に行きたいものだ。そしたらもれなく危ない街になってしまうかもしんないけどね。
危ない繁華街とは逆に、静かな住宅街を通るのは結構スリルがある。夜は本当に静かで人影も無いのだ。何かあってもおそらく助けてもらえないような冷たい空気を感じる。たまに見知らぬ家庭から子供の泣き声が聞こえてくるとドキっとしてしまう。で、「何かあってからじゃ遅いよな…」と思い、様子を軽くうかがうためにその家の前を次回の夜の自転車コースに入れるというおせっかいな行動をとってしまう。
……やっぱ最近変だわ、私。

※画像はスピッツ「夜を駆ける」収録のアルバム『三日月ロック』のジャケです。

蘇る世界―映画『1980』~「セルロイドの夜」って一体…

2006-06-24 19:32:36 | 映画
DVDで『1980』という映画を観た。舞台はタイトル通り1980年の冬。主人公はそれぞれの悩みを抱えた三姉妹。夫の浮気に悩む高校教師の長女、突然アイドルを辞め、高校教師を志す男癖の悪い次女、映画研究会の作品でヌードを披露する必要に迫られる高校生の三女。物語は次女が、長女が勤務・そして三女が生徒として通う高校に教育実習生としてやってくるところから始まり、彼女の自由奔放で不安定な生き様を主軸として進む。とにかくすぐに男に惚れてしまい、B級アイドル時代に様々な人間と浮名を流した次女は、実習先の高校で早速男子生徒を誘ってしまう悲しい程のズルズルぶり。さらに過去の男関係を全て記した暴露本まで出され、精神的に追い詰められていく…。1980年という時代を必死で駆け抜ける人々の群像映画である。
舞台が1980年ということで、当時の文化がいたるところに顔を出す。カラフルな色使いの家具や洋服、当時の最先端だったテクノポップ、ポータブルというにはかなり大きい初代ウォークマン、ルービックキューブ、スライム、留守番電話などなど…数年前の「80年代ブーム」でも紹介されたアイテムがぞろぞろ出てきて、当時生まれてもいなかった世代としてはとても興味深い。ただ、音楽にしてもファッションにしても80年代モノをあまり好まない自分にとっては見ていて少々ダルく感じる箇所もあったが。例えば作品中随所で流れるテクノポップ、あれ、どこがいいんだ…ドラムンベースが結構好きな私には単純なピコピコ音がちょっと不快(笑)。ただ、YMOの「ライディーン」が流れている際に醸し出す強烈な哀愁のようなものにはビビったけど。
作品としてあまり面白いと思えず、「これは80年代に思い入れのある人が喜ぶタイプの映画なのか?」と考えたのだが、ネットなどの感想を見たらむしろ80年代っ子の人達のほうがよりこの映画に失望しているみたいだった。この映画の監督は、80年代のインディーズシーンで一世を風靡したバンド、「有頂天」のボーカリストで、現在は劇団「ナイロン100℃」を主宰し、演劇の世界でも脚光を浴びるケラリーノ・サンドロヴィッチ(本名:小林一三)氏。80年代のインディーズバンド市場を切り開いた人の一人であり、その方面では80年代を象徴するような人物である。そんな人が『1980』というタイトルの映画を撮るということで、期待はかなり大きかったようだ。でもそれらに応えるほどの映画ではなかったのかもしれない。独特なプラスチックな雰囲気になじむのに私は30分かかってしまった。
ただ、部分的に素晴らしい箇所はある。ミッチーが出演しているシーンは明らかに空気が違うので何度も見てしまう。流行にあわせてコロコロと音楽性を変え、しぶとく芸能界に生き残る歌手を演じるミッチー。彼の出てる場面はフルスロットルで狂っててとても楽しめた。持ち歌の歌詞も意味不明で笑える。なんだよ、「セルロイドの夜」って…。そして三姉妹がビルの屋上から夕日を見つめ、遠い未来である2000年について語るシーン。あの夕日のシーンが今現在と地続きのように感じられて切なくなる。彼女たちは「2000年代はもっと良い時代になってるはず」という考えを多かれ少なかれ持っているようで、それを思うと……なんとなく、合掌。

甘いのか苦いのか―『ママレード・ボーイ』

2006-06-22 23:42:06 | 漫画
スカパー及びケーブルテレビのアニメ専門チャンネル『キッズステーション』で7月から『ママレード・ボーイ』が放送されるらしい。私が小学生の頃、普通に『りぼん』を楽しんでいた、そして発行部数も200万部を越えていた「黄金期」に連載されていたこの漫画。連載開始当時私は小学校1年。その当時、岡田あーみんの『ルナティック雑技団』と並んで一番続きが楽しみな漫画だったなぁ。ついでに母親もその頃『りぼん』にハマっていて、『ママレード・ボーイ』と『天使なんかじゃない』(ある世代の女性にとってはかなり懐かしい響きがすることでしょうね)を楽しそうに読んでいた。『ママレードボーイ』のアニメ版は当時の日曜の朝。あまり見た覚えは無いが、オープニングテーマは凄くよく覚えている。「♪だ・け・ど気になる 昨日よりもずっと~」みたいなやつだ。久々にコレを聴きたいのでちょろっと見てみようと思う。
あらゆる登場人物がやや複雑な恋愛模様を繰り広げるラブコメ『ママレードボーイ』。私は主人公・光希に想いをよせる少年・銀太が好きだった。そのことを友人に告げたら「好みズレてるよねぇ」みたいなことを言われてしまった。まぁ、そうだ。少女漫画を読んでたころ、好きになったのは大抵主人公にホレるも最終的にはフラれ、脇役の女の子とくっつくような、決してヒーローにはならないタイプのキャラだった。少女漫画を読む女の子は普通ヒロインに無意識に感情移入するものだけど、私は健気な銀太の恋を応援してたなぁ。あ、こんな書き方してたら銀太の恋が叶わないって読んでない人にバレちゃうな(笑)。でもそんなの第一話読めば誰だってわかるしね、「光希とくっつくのはこいつだな」って。『ママレードボーイ』はそういう意味で少女漫画の王道ですよ。絵もすっきりしてて読みやすいので知らない人はぜひチェック。私と同世代(80年代中期生まれ)の人だったら男の人ですら結構知ってる漫画だよ。
とりあえず脇役好みだった私。『ママレードボーイ』の銀太の他にも『ハンサムな彼女』なら可児君(カメラマンだったっけ?)、『こどものおもちゃ』なら加村直純(演技派ハーフ)、『ルナティック雑技団』なら愛咲ルイ(芸術一家のホープ)、『天使なんかじゃない』なら中川(実は『NANA』にも数コマ登場している)、『赤ずきんチャチャ』ならしいねちゃん(薄毛)、『ときめきトゥナイト』ならアロン(魔界の王子)…と、私の脇役好みは徹底している。『ときめきトゥナイト』の場合、リアルタイムで読んでた人なら9割の人がヒーローである「真壁君」に夢中になってたようだが、後追いで読んだ私には「真壁君」の魅力が全くわからなかったなぁ。何か無愛想で(そこがいいのか!?)。でも凄く凄く人気だよね、真壁君。真壁君よりも、自分勝手でヘタレでお調子者なアロン王子の方が私好みだ。そんな勝手な彼が漫画の最後の方でいつのまにか「威厳あるキャラ」に成長している様も見ていて爽快だ。『ときめきトゥナイト』は全30巻の長編。またの機会にじっくり記事を書こうと思う。アロンの素敵なバカっぽさなどをだらだらと語りてぇ。え、いらない? 
そういえば『ママレードボーイ』、当初の構想では主要キャラの性別は逆だったらしい。主人公は男子で、「ママレードボーイ」という言葉はその主役の男の子の甘ちゃんな性格を指していたとか。でもやっぱり『りぼん』なので主人公は女の子に変更。うーん、見てみたかったぞ逆バージョン。

夏目漱石、夜明け前―『吾輩は主婦である』も中盤

2006-06-21 19:12:21 | テレビ
昼に家に帰ることができたのでリアルタイムで「吾輩は主婦である」を鑑賞。以下軽いネタバレあるので注意ですよ。でも全く見たことの無い人にも読んで欲しかったりもする今日の記事。


今日は漱石が憑依した主婦・矢名みどりの姑であり、夫に先立たれた未亡人・ちよこが主役だった。矢名家に亡き夫の下宿仲間だった緒方という男が尋ねてきた日から、妙に浮かれ気分のちよこ。その理由を勘ぐるみどり。最近ハジけ不足かな?と思っていたちよこさんが活躍して嬉しい。綺麗だなぁ竹下景子…。オチは普段のような爆笑ではなくしっとりとしたものだった。こういうのもイイね。ちよこが主役ということで、彼女がハマっている韓流スター「ペ・ヤングン」も久々に登場。「ペ・ヤングンですニダ」って…。彼の登場シーンに流れるいかにも韓国っぽいしっとりめのラブバラードはサントラに入っているのかしら(笑)。
さて、みどりに憑依している漱石はみどり自身と同じ年齢の37歳。この頃の漱石はまだ『吾輩は猫である』を連載中。小説家としてはまだ夜明け前である。主婦に憑依したと同時に、37歳の漱石が現代にタイムスリップしてきたのだ。よって自身がこの先一体世にどんな作品を残すのかをまったく知らない。憑依したての頃は、古本屋である矢名家で漱石の小説の文庫本を見た際「吾輩はこんなもの書いておらん!」と取り乱し、千円札を見て仰天してしまう。小学校教師に好きな作家を尋ね、教師が「むらかみ…」と言った瞬間に「そんな奴は知らん!!」とキレたりもして。漱石の門下生である芥川のことも全く知らず、現代で芥川の『鼻』の文庫本を読み「うむ、彼は伸びる」と褒める。以下、この設定をいかした女性誌編集者とみどりの名やりとり。

編集者「まるで漱石の三部作みたいですねぇ…」
みどり「三部作?」
編集者「ええ。『三四郎』、『それから』、『門』」
みどり「…まだ二つしか言ってませんよね?」
編集者「あの、『それから』というのは接続詞ではなくて…」
みどり「あ、ああ。わかっておる(心の声:『三つともまだ書いていない』)」

このネタ、いつか来るんじゃないかな~と思っていたら、今日やっと来た。漱石が37歳という設定なら、やらないわけにはいかないネタだ。面白かったなー。だんだん主婦としての生活に慣れてきた現在は夏目漱石の伝記を読み、自身の享年までもを理解するほどの余裕を持つ。そんな余裕を持ち始めた漱石は、だんだんと周囲の人々に人生の大先輩としてのアドバイスをするようになる。以下、個人的にグッときた部分。

「吾輩は写真を撮られるときは頑として笑わない。昔の写真を見て困ってしまった。その頃が吾輩にとって幸せだったのか辛かったのか、どれも同じ表情だから検討もつかない。悩んだ挙句、吾輩はこう思うことにした。『人生とはおしなべて辛く苦しいものだ』、と。しかし辛いこと苦しいことは永遠に続くことではない。たとえば吾輩は四十九で死ぬ…ことになっている。どんなに辛くても苦しくても、あと十二年だ。君はその苦しい人生が永遠に続くと思っているかもしれないが、必ず結末はある」(第二十一話)
―以下略(この先もとても良いんだけどねぇ!)

クドカン、あんた何者だよ。冴えてるのにも程がある。しかしこのアドバイスがまったく効果を示さない不条理さがクドカンらしくていいなぁ。
このドラマで起こる様々なエピソードを見て、パラレルの世界を勝手に夢想するのが結構楽しい。例えば今日のエピソードをヒントにして、先生は『こころ』を書いたのかなぁ~とかね。

決戦、国立国会図書館

2006-06-20 21:35:07 | 漫画
国立国会図書館。国会議員の調査研究のための図書館で、原則として国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する、日本唯一の法定納本図書館である。蔵書は原則「国内のすべての出版物」!故に資料探しの最後の砦といえるだろう。もしここになかったらもうその資料は手に入らないと思った方が良いという…。この図書館では書物の保存を第一の目的としているため、館外貸し出しはしていない。よって欲しい資料はすべてコピーして持ち出す。実際にここにこれない人のために資料のコピーを郵送するサービスもある。
そんなコピー郵送サービスを使ってみようと思ったことが、この春あった。現在受けている村上春樹作品の演習の授業の準備で、「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史」という作品の初出誌である「SWITCH」1989年10月号を探そうとして国会図書館の検索にかけたのだ。しかし「SWITCH」は93年からの分しか保存していないとのこと。なんだ、「すべて」じゃないじゃんかー。「SWITCH」、昨年のスラムダンク特集で一気に知名度が上がったと思われる雑誌。初期の刊行分は国会図書館には無いようです。もうここの出版社「スイッチ・パブリッシング」にしか無いってことね…。
残念ながら私の郵送コピーサービスデビューは成らず。しかし近日、今度こそ私は国会図書館を利用することになる。少女漫画界に咲くドクダミの花・岡田あーみんの未単行本化の漫画作品をコピーサービスで手に入れようと思うのだ。岡田あーみんは97年に『ルナティック雑技団』の番外編を二本掲載してからいつのまにか漫画家を引退しており、ページ数の関係からかその番外編は単行本に収録されず放置され、幻となってしまった。絶版や品切れで希少となった書物に対して「復刊のリクエスト」を募り、リクエストの多いものを実際に復刊させるように出版社に働きかけようと活動しているサイト「復刊ドットコム」の総合リクエストランキングで、二位以下を大きく引き離してダントツ一位となっている「岡田あーみんの未単行本化作品」。実際このランキングの上位となり、復刊が決定した書物が数多くあるなか、岡田あーみんの漫画は頑なに出版される気配は無い。『ルナティック雑技団』、未単行本化の番外編のタイトルは、
●ルナティック番外編  ~届け愛のエアメール~
●ルナティック番外編  ~お嬢様のパーティー教室~
さらに未単行本化の読みきり漫画が二編ある。
●ささやかな俺の愛
●花のいたづら
うーん、なんともそそるタイトルではないか。読みたい…と日々思っていたのだがある日、「あ、そういえば国会図書館…!」と突然思い出し、目の前が明るくなった。掲載誌は『りぼんオリジナル』という『りぼん』の増刊号。メジャーな雑誌なので当然検索に引っかかる。ページ数もそんなにたいしたことないし、今こそ国会図書館のコピー郵送サービスを利用するとき!というわけでサービス利用の手引きを見てみたら、なにやら身分証明書のコピーを郵送せねばならないらしい。め、めんどくs…いやいや、あーみん様の漫画が読めるならこれぐらいの努力はしなきゃね。というわけで私の国会図書館利用デビューの日は近いのです。ていうかもしかして漫画好きの中では常識なのかな、こういう利用の仕方って…。