拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

鳴らない、リフ―「ロックの日」に乗り遅れてしまった

2006-06-10 22:41:30 | 音楽
昨日は6月9日、「ロックの日」にもかかわらず音楽の話題が記事に全く出てきていない。何故か鉄腕アトムについてのトリビアなどを披露してしまった。しかも今日友人にそのトリビアを教えたら「それ結構有名じゃない?」と…。嘘だ!きっと君が隠れ手塚オタなだけだ…!…そんな話はどうでもいい。せっかくだし、一日遅れだが音楽、そしてロックへの想いでも書こう。

日常生活を好きな音楽無しで送るなど考えられなくなってからどれだけの月日が経ったか。ドラマや映画やアニメなどを見ていてもまず気になるのは「音楽」で、内容はどうでも音楽さえ気に入ったら即サントラをチェックするという状態になったのはいつからか。そういえば4年前、映画『ピンポン』を観た直後、映画館からタワレコに直行したなぁ…。自分の好きな音楽聴くことに禁止令が出たら私は発狂まで何時間もつだろうか。一人でいるときは音が鳴ってないとイラっとくるし、鳴っていても好みでない類のものだったら鳴っていない時よりもイライラ度が増す私。でも好きな曲聴けばすぐ治まる。イライラを埋めるという意味で音楽は少し前に流行った「癒し」のツールでもある。「癒し」…数年前の癒し系ブームの時、わかったようなフリした―例えば『rock'in on(若しくはJAPAN)』等を購読してるような人が、「『癒し系ブーム』に乗ってヒーリングCD買う奴って単純だよな」等と「癒し系ブーム」を批判していたが、なにをバカな事を。「癒し」の定義は個人次第だ。葉加瀬太郎(よっちゃん似)とかヨーヨー・マ(変な名前)のCDを買って聴き、実際にそれが癒しとなっていればブームに乗ろうが乗るまいが、単純だろうが複雑だろうが関係ないのだ。当たり前の事だ。なのにロキノンを熱心に購読する人は妙な選民意識(自分の好きな音楽以外、主にJポップはみんなゴミ、という思想)があるから「俺にとってはスリップノットが『癒し』だから」等と得意気に言うのだ。そこまではいいが、さらに「癒しブームなんてクソくらえ」とか読者ページに送ったりするのだ。何かを批判するという行為自体は間違っていないが、「なんだかなぁ…」なご意見多し、ロキノン。
……話が大きく逸れた。私もロキノン買ってた時代があったが、母親の影響もあって子供時代にあらゆる音楽を聴いたせいもあり、その類の選民意識はまるで無い(と思う)。「癒し」の定義もわりと広い。久石譲のピアノの調べに癒される時もあれば、ゆらゆら帝国に癒される時もある。ただ自分が熱心にファンをやってるアーティストだと癒されない。ワクワクしてきちゃうから。ある意味それは癒しとの対極だ。そのような音楽が鳴っている瞬間だけは脳があっちの世界に飛ばされて、大抵ワクワクしまくりなのだ。ワクワク オア ダイ。
なぜか「癒し」についてダラダラと書いてしまった。予定外だ。「ロックの日」記念でロックのこと書くつもりだったのに。でもまぁ、無理矢理関連させれば、当たり前だけど「ロック」の定義は個人次第だ。「ギターが歪めば歪むほどロックだ」と言う人もいれば「声の震えがロックの合図」な人もいるだろう。私は基本的にベースだ。ベースがうねればうねるほどロックを感じる。ていうかうねってないベースの音楽にはあんまりお金払わない…こともない。あと、他にはBメロ。前にも書いたかもしれないけど、私はBメロに痺れることが多いのだ(例・「ハネモノ」/スピッツ)。Bメロこそロックだ。ああもう書いててわけがわからない。気持ち悪い。