拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

夏目漱石、夜明け前―『吾輩は主婦である』も中盤

2006-06-21 19:12:21 | テレビ
昼に家に帰ることができたのでリアルタイムで「吾輩は主婦である」を鑑賞。以下軽いネタバレあるので注意ですよ。でも全く見たことの無い人にも読んで欲しかったりもする今日の記事。


今日は漱石が憑依した主婦・矢名みどりの姑であり、夫に先立たれた未亡人・ちよこが主役だった。矢名家に亡き夫の下宿仲間だった緒方という男が尋ねてきた日から、妙に浮かれ気分のちよこ。その理由を勘ぐるみどり。最近ハジけ不足かな?と思っていたちよこさんが活躍して嬉しい。綺麗だなぁ竹下景子…。オチは普段のような爆笑ではなくしっとりとしたものだった。こういうのもイイね。ちよこが主役ということで、彼女がハマっている韓流スター「ペ・ヤングン」も久々に登場。「ペ・ヤングンですニダ」って…。彼の登場シーンに流れるいかにも韓国っぽいしっとりめのラブバラードはサントラに入っているのかしら(笑)。
さて、みどりに憑依している漱石はみどり自身と同じ年齢の37歳。この頃の漱石はまだ『吾輩は猫である』を連載中。小説家としてはまだ夜明け前である。主婦に憑依したと同時に、37歳の漱石が現代にタイムスリップしてきたのだ。よって自身がこの先一体世にどんな作品を残すのかをまったく知らない。憑依したての頃は、古本屋である矢名家で漱石の小説の文庫本を見た際「吾輩はこんなもの書いておらん!」と取り乱し、千円札を見て仰天してしまう。小学校教師に好きな作家を尋ね、教師が「むらかみ…」と言った瞬間に「そんな奴は知らん!!」とキレたりもして。漱石の門下生である芥川のことも全く知らず、現代で芥川の『鼻』の文庫本を読み「うむ、彼は伸びる」と褒める。以下、この設定をいかした女性誌編集者とみどりの名やりとり。

編集者「まるで漱石の三部作みたいですねぇ…」
みどり「三部作?」
編集者「ええ。『三四郎』、『それから』、『門』」
みどり「…まだ二つしか言ってませんよね?」
編集者「あの、『それから』というのは接続詞ではなくて…」
みどり「あ、ああ。わかっておる(心の声:『三つともまだ書いていない』)」

このネタ、いつか来るんじゃないかな~と思っていたら、今日やっと来た。漱石が37歳という設定なら、やらないわけにはいかないネタだ。面白かったなー。だんだん主婦としての生活に慣れてきた現在は夏目漱石の伝記を読み、自身の享年までもを理解するほどの余裕を持つ。そんな余裕を持ち始めた漱石は、だんだんと周囲の人々に人生の大先輩としてのアドバイスをするようになる。以下、個人的にグッときた部分。

「吾輩は写真を撮られるときは頑として笑わない。昔の写真を見て困ってしまった。その頃が吾輩にとって幸せだったのか辛かったのか、どれも同じ表情だから検討もつかない。悩んだ挙句、吾輩はこう思うことにした。『人生とはおしなべて辛く苦しいものだ』、と。しかし辛いこと苦しいことは永遠に続くことではない。たとえば吾輩は四十九で死ぬ…ことになっている。どんなに辛くても苦しくても、あと十二年だ。君はその苦しい人生が永遠に続くと思っているかもしれないが、必ず結末はある」(第二十一話)
―以下略(この先もとても良いんだけどねぇ!)

クドカン、あんた何者だよ。冴えてるのにも程がある。しかしこのアドバイスがまったく効果を示さない不条理さがクドカンらしくていいなぁ。
このドラマで起こる様々なエピソードを見て、パラレルの世界を勝手に夢想するのが結構楽しい。例えば今日のエピソードをヒントにして、先生は『こころ』を書いたのかなぁ~とかね。