拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

『PLUTO』終わった/パリライブDVD問題

2009-04-26 15:02:42 | 漫画
●ちょっと前の話になるが、手塚治虫×浦沢直樹の『PLUTO』の連載が終わった。単行本最終巻となる8巻は6月に出るそうで。2003年に始まった連載、月イチ連載というイライラ鈍行列車がやっと終了。月イチだから6年やってても8巻しか無いのね。アトムとプルゥートゥ直接対決(4巻あたり)から雑誌で連載を追いかけてきたが、終盤めっちゃ展開速かったなぁ。いきなりスパートかけて疾走してて、立ち読みでサラっと読んでる自分はちょっと混乱しちまった。アトムがアブラー・ボラー・ゴジ博士・サハドらの関係についてご親切につらつらと語ってた回は仰天。あそこでアトムが語ってたのは、ちゃんと漫画読んでればある程度補完できる内容だと思うんだけど。「『浦沢直樹っていつも伏線投げっぱなしだよね~』なんてもう言わせねぇぞ!」という作者の叫びが聞こえたな。まぁ、「浦沢直樹伏線投げっぱなし問題」が起きてるのは実は『20世紀少年』だけで、『MONSTER』とかはちゃんと説明されてんだけどね、わかりにくいだけで。とにかくアトム君説明しすぎっすよ。説明しすぎと言えばゲジヒトの「一体500ゼウスでいいよ」の件もね、兄者・弟者編(って何だよって感じだよね。ロボット憎悪してるサラリーマンとゲジヒトの物語を描いた4巻~5巻中盤あたりを私は勝手にそう呼んでる)読めば十分理解できますよ。
『PLUTO』の最終回までのラスト3回は怒涛過ぎて何が起きたかあんまり思い出せん(苦笑)。最終巻である8巻の後半は大変なことになってるでしょうね。表紙は誰かな。サハド、アブラー、Dr.ルーズベルトあたりか。絵的にはルーズベルトだと可愛くていいな(なんてったってテディベアだもんね)。肝心のラストは手塚版に忠実。あれ以外の形では終われないよね。そして青騎士ことブラウの暴走。あれよくわかんなかったな。青騎士の話、子どもの頃に学校の図書館で読んだはずだけどもうよく覚えてないや(文庫だとどこに収録されてんだっけ)。8巻の豪華版の別冊付録には手塚版アトムの青騎士の話を収録すべきですよこれは。とにかく『PLUTO』を語るのは8巻が出てから!
ところで『BILLY BAT』って今どうなってんですかね。モーニング購読してないからいつ載ってるのか本当にわからない。ちゃんとチェックしたかったんだけどな。

●なんなんだよ、ラルクのライブDVD。記念すべきパリでのライブのDVDを出すのは良いんだけど、ドキュメンタリーとライブ本編を何故別パッケージで出す必要があるんだ…両方買ったら16000円も飛ぶじゃないか。購買欲が湧いてこないので買うのは見送りだな。ラルクのライブDVDは最高なのと買う気が起きないのとの差が激しいなぁ。そいえば去年のドームツアーのDVDは出さないのか?神セトリ&大感動だった京セラドーム公演のDVDが出たら即効買うんだけど。

清水へ…

2009-02-12 22:41:33 | 漫画
12日、may99ちゃんと一緒に『ちびまる子ちゃん』の舞台である静岡県・清水に行ってきた。初めて読んだ漫画が『まる子』であり、ハードコア『まる子』ヲタを自認する私にとって念願の清水散策。清水市(今は静岡市清水区)は昔から憧れの地だったけど、結構遠いのでなかなか行けなかったんだよなぁ。静岡は愛知県と隣接してるけど、名古屋から在来線を乗り継いで行こうと思うと3時間ぐらいかかるのよ(3時間あったら大阪まで余裕で行けるはず…)。新幹線「こだま」乗れば速く行けるけど、大金払って「こだま」なんぞに乗りたくない!…「こだま」ファンの皆さん申し訳ありません。学生には「こだま」に金払う余裕無いんです。
横に長~い静岡県をJRの鈍行でノンビリ横断。浜松でちょっとテンション上がりました。ラルクのライブ思い出して。静岡駅を過ぎた辺りから「そういえば富士山見えるじゃん!」とさらにテンションが上がり。新幹線だとピューっと通り過ぎちゃうけど鈍行だとじっくり見られるね。富士山…初めはあまりにも大きい存在感にビビったが、天気が良かった事もあって凄く綺麗に見えて感動。静岡の人はこんな素敵なものを毎日、当たり前のように見てるのかなぁ…。清水駅に降りた後も、まずは富士山鑑賞&写真撮影。素敵だなぁ、あんなに綺麗に富士山が見える駅なんて。つーか富士山がこんなに感動的なものだなんて知らなかった、恥ずかしながら……。
清水に着いて、まず行ったのは「エスパルスドリームプラザ」という商業施設。ここに「ちびまる子ちゃんランド」というミュージアム的なスポットが入ってるので。地元サッカーチーム清水エスパルスのキャラがお出迎えするドリームプラザは、清水港に面した、眺めの良い小綺麗なショッピングモール。普段、海とは全く馴染みの無い生活を送っているのでここでもテンション上がった。羨ましいぞ、港のある生活!
肝心の「ちびまる子ちゃんランド」は、平日ということもあってかガラガラ。入口でスタンプラリー用のカードを受け取り中に入ると、「お茶の間」「台所」「子供部屋」(写真参照)など、まる子の家の内部が再現されてるゾーンで、さくら家の人々がお出迎え。前を通るとちょっとした小芝居が繰り広げられる。時々ジリリンと鳴る黒電話を取ると、まる子のクラスメイト達から遊びの誘いが…。家を出ると次は学校。ズラっと並んだクラスメイト達の下駄箱の中の何処かに入ってるスタンプを捜すために一つひとつ開けまくる。箱の中にちゃんと名前入りのシューズが入ってたのが素敵。次は教室。黒板の前の教壇に立ち記念撮影し、教卓の中に仕込まれたスタンプを押す。ちなみに机の中には古めかしい教科書が入ってた。また教室内にはテレビが設置してあり、アニメが放送されてた(まる子が文通する話だった。最高)。
一番興味深かったのはさくらももこミュージアム的な要素を持つ図書室。さくらももこの著書がズラっと並んでいた他、生原稿や絵入りサイン色紙、アニメの絵コンテ、原画などの資料が展示されていた。あと、さくらももこが旅先で買った珍品コレクションとか…(マトリョーシカなど)。また、『ちびまる子ちゃん』の舞台である1970年代を紹介するコーナーも。万博関連グッズや初期の人生ゲーム、漫画にも登場したローラースルーゴーゴーなど、レトロなおもちゃに興奮。また、1974年の流行語「ストリーキング」に失笑…。個人的にはこのミュージアムコーナーが『ちびまる子ちゃんランド』のメインコンテンツでもよかったような気がするが、それじゃあちびっ子が集まらないよなー。
エスパルスドリームプラザに入ってたカプリチョーザでパスタ食べてから、いよいよさくらももこが生まれ育った町にしてまる子の原風景、入江町へ。清水駅のそばのアーケード街(お店が沢山連なってたけど、人通りがまばらで静かだった。不景気だから……?)を抜け、漫画やアニメに何度も出てきた巴川に架かる橋を渡る。あぁ、ここで花火大会が開かれたりしたのかなー。そしてレトロな感じの商店街を抜けると、これまた何度も作中に出てきた神社(白髭神社)を発見。ここでラジオ体操とかしたのかなー。さらに街をうろうろさまよい歩き、ついにまる子の母校、入江小学校を発見。ここでの思い出が『ちびまる子ちゃん』に昇華されたんだなー…感動。最後は生家。「今はもうとっくに閉店していて、その面影は残っていない」という事前情報は仕入れていたものの「建物自体は残ってるんじゃね?」という希望を胸に、かつて入江町商店街の中にあったというさくらももこの生家である八百屋さん(の跡)を探すが、それらしきものはなかなか見当たらず。そこでmay99ちゃんが商店街の中にあるスーパー、そして薬屋の店員さんに突撃取材(?)。そして、今はもう建物自体が無くなり、駐車場になっているという情報を得る。『ちびまる子ちゃん』のアニメスタートが1990年。あの大ブームから、既に20年ぐらいの年月が経っている。その当時はまだ『ちびまる子ちゃん』の時代、1970年代の面影が商店街にもあったものの、今では様変わりしてしまったという。さくら家跡である駐車場まで薬屋さんに案内してもらい、感慨にふける。
生家は見られなかったけど、子どもの頃から大好きだった漫画が生まれた町を歩く、というのは本当に不思議で素敵な気分だった。なんか、ちょっと羨ましくなるぐらい素敵な所だったなぁ。清水駅がすぐそばという便利な立地、連なるレトロな商店街、さらに港もすぐ近くにあって、おまけに富士山が綺麗に見えて…。久しぶりに漫画を読み直そう。あと、さくらももこの中学~高校時代の思い出を漫画にした、『ちびまる子ちゃん』のいわば後日談のような作品『ひとりずもう』も。清水の町の描写が結構具体的に描かれてるので(成長して行動範囲が広がったせいかな?)、こっちも改めて読み直そう。

『MW』―しちゃうの?実写化しちゃうの?

2009-01-06 21:03:13 | 漫画
先日、手塚治虫の漫画『MW』(ムウ)が実写映画化されると知り、文庫を読み返した。「MW」と呼ばれる謎の猛毒ガスの行方を追う過程で次々と凶悪犯罪を犯す青年を主人公に据えたハードボイルド漫画。主人公は幼少時代にMWを吸い、脳がやられて極悪人に変貌したという設定で、とにかく悪の限りをつくす。主人公が吸ったのは微量だったので命に別状は無かったが、まともに吸えばあっという間に死に至るMW。「MWを世界にバラまいて、皆が苦しむ所を見てみた~い」という好奇心のみでガンガン人をハメたり殺したりする主人公は、極悪人というよりは狂人か。『ダークナイト』のジョーカーも人々が混乱してるのを見て楽しみまくってたが、あれと似てる。
表向きはデキる銀行マン、裏では犯罪を繰り返す狂人。主人公は二つの顔を使い分け、MWの行方を知る政府高官に近づいていく。彼の武器は悪事を次々と思い付く悪魔的頭脳だが、最大の武器は美貌。梨園出身、売れっ子歌舞伎役者の弟という設定なので美形、というか中性的で色っぽく、そのルックスを駆使して女は勿論、男をも軽々と手玉に取る。男をベッドに誘い込み、骨抜きにするシーンは、ある意味この漫画最大の見所だろう。手塚治虫の漫画は子供向けの作品であってもどこか色っぽいというか、エロな香りがほのかに漂っており、『鉄腕アトム』にも「ちょ、こんなんありかよ」みたいなシーンがよく出てくる(アトムはエネルギーを肛門からグサっと補給する…)。まして、子供向けでない『MW』はエロティシズム全開なのである。
聞く所によれば『MW』は1976年、竹宮恵子が『風と木の詩』をヒットさせたのを受けた手塚が「へぇ、今の少女漫画界は美少年モノが流行ってんだ?俺も描いてやる」と対抗して生まれた作品だという。息子(もちろん手塚眞)が自分の漫画に興味を持たず『ゲゲゲの鬼太郎』に夢中なのが悔しくて、「俺だって妖怪モノ描いてやる!」と発起して『どろろ』を描いたのは有名な話。生涯に渡り、ありとあらゆるジャンルの漫画に対抗・挑戦したと言われる手塚。「な、なにも『風木』に対抗せんでも…」という感じだが、「漫画界の大御所」という立場に胡座をかかず、「自分以外の漫画家は全員ライバル!」という姿勢で描き続けた証でもあるだろう。素敵じゃないか、『風と木の詩』に対抗して『MW』描く手塚治虫。「俺ならジルベールよりエロい美少年を描ける!」とか思ったのかな。
美貌の主人公は女装も得意。作中で何度も女に化けて周囲を欺く姿はいかにもマンガ的だが、まぁとにかく色っぽい。ドレッサーの前で化粧水を手に取る仕草とか…。『MW』というタイトルは、男(Man)と女(Woman)の顔を自在に使い分ける主人公自身から来ているわけだね。
肝心のストーリー自体は入り組んでいるようで至ってシンプル。主人公が順調に悪魔的計画を成功させていく様子は「そんなに何もかも上手いこと行くかぁ~?」とツッコミたくなる。また、主人公の犯罪を立証しようとする検察官の「行き過ぎた捜査」も興ざめ。「そんな捜査が許されるなら誰でも起訴出来るよ」みたいな。サスペンスものの割りにスリルが足りない。
だからまぁストーリー本筋より、美貌を武器にのし上がる主人公に注目するべきなのかもしれない。それなのに現在制作中の実写版『MW』は、同性愛描写がバッサリと切り捨てられているらしい。そ、そんなの『MW』じゃないって!規制等があって難しいんだろうけどさ、手塚治虫が『MW』で一番描きたかった事柄(??)を切り捨てるって酷くないか?そんな中途半端な形での映画化しか出来ないのなら、始めから『MW』なんて題材を選ばなければいい。『どろろ』の悲劇を繰り返してはいけない。断ち切らなければならない、実写化失敗の連鎖を(エプシロン)。 

記録として(宇多丸風)

2008-12-26 20:50:19 | 漫画
萩尾望都の漫画、大分集まった。萩尾作品でも最長(文庫版で10巻。単行本だと17巻)の『残酷な神が支配する』を読破したとき、何かをやり遂げたような開放感に浸ったぜ。でもこれでもコンプリートには程遠いんだよな。80年代以降の作品はそこそこカバーできたんだけど、70年代の作品がまだまだ読めてない。読みたいぜ、初期の短編。でも初期の短編が収録されてる文庫って古本屋でも普通の本屋でもなかなか見つからないんだよね。探し方が悪いのかしら。絶版にはなってないみたいだからネットで買えば早いんだけど、送料無駄だし、なるべくなら安く買い物したいし。以下、読んだ漫画を気に入った順に並べつつ一言感想(…いや、『ポー』だけ少し長い)。書く事がまとまったら長めの感想をいつか書きたいものだ。

■『ポーの一族』
萩尾作品をいろいろ読んでみて、『ポー』よりも楽しめた作品を見つけたりもしたが、やっぱこの作品が纏っている奇妙なオーラには勝てんと思う。異端者の無限の悲しみを切々と描きつつ、その異端者に憧れざるを得ない人々の心情も併せて描くことにより、読者の全てを作品世界に閉じ込めてしまう名作。第一次大戦や世界恐慌やヒトラーに脅えながら人間として生きるのと、それらを余裕で受け流しながらポーの一族として生きるのと、どっちが辛いんでしょ。

■『A-A′』
SF短編集。「一角獣種」というキャラクターはエドガーやアランに並ぶ発明だ。愛おしくてたまらん。

■『Marginal』
スリル満点のディストピア漫画。

■『半神』
一度読んだら忘れられない短編集。やっぱ『金曜の夜の集会』が一番好き。

■『あぶない丘の家』
源頼朝と義経の確執と双方の心情についてここまで掘り下げて描かれた漫画って見たことない。萩尾望都って日本史モノまで描けるのかと絶句。

■『バルバラ異界』
脳みそが心地よくシャッフルされる感じがたまらん。

■『メッシュ』
目の保養。

■『訪問者』
萩尾作品で繰り返し描かれる親子の確執の物語の原点。

■『感謝知らずの男』
バレエ漫画苦手かな?と思ってたけどこれは大好き。レヴィのせいでイグアナを見る視点が変わった。

■『あぶな坂HOTEL』
日本は素晴らしい。こんな良質な短編集が、たったの420円で買える国。

■『銀の三角』
途中「あーもうわけわかんねーよ!」と何度も投げ出したくなったが、最後まで読んでよかったよ。

■『残酷な神が支配する』
『賭博黙示録カイジ』『ベルセルク』『デビルマン』を押さえ、「主人公になりたくない漫画」総合1位。無理!

■『海のアリア』
人体が楽器になるってよく考えたら超絶にエロい。アベルの今後が心配だ。

■『イグアナの娘』
父と息子の確執を描いた萩尾作品は多いが、こっちは母と娘。ドラマとは違い、漫画ではほぼ全編主人公は「服を着たイグアナ」として描かれる。本当は美人さんなんだけどね。

■『トーマの心臓』
同級生に切なく片思いする男子校の生徒達の心を理解しながら読むのは、なかなか難しいものがあります。何故そう簡単にみんな恋に落ちてしまうんだ。いや、「簡単に」じゃなく本気なんだろうけど…。

■『11人いる!』
大声では言えないがあまりグっとこなかった作品。もっと凄い萩尾望都のSF漫画あるじゃんとか思っちゃった。

■『ローマへの道』
心の闇を解き放たないと本来の力は一切発揮出来ない、みたいな物語はよくあるが、この漫画は力を発揮できない苦悩が目を背けたくなるぐらいジックリと描かれてて読んでてあまりにも苦しかった。

■『この娘うります!』
1975年の作品。絵が可憐。

■『ウは宇宙船のウ』
私の頭が悪いのかな。あんまりハマれなかったなぁ。

拝啓 萩尾望都先生?

2008-12-18 00:02:24 | 漫画
教育実習が終わった後ぐらいから、時間の許す限り少女漫画、特に萩尾望都作品を読み漁る日々が続く。萩尾作品は今まで『ポーの一族』『トーマの心臓』『11人いる!』『イグアナの娘』など有名な作品までしかカバーしてなかったが、最近本格的に読み始めてハマりまくり。何で今まで深入りしなかったんだって感じね。主に小学館や白泉社文庫で出てる作品を手当たり次第読んだが、どれも脳みそをスパークさせられるような怪作揃い。…まぁ、唯一バレエを扱った漫画にはハマれず、しかもそれ読んだのが割と最初の方だったから「あれ、私、萩尾漫画合わないのかも…」と思ったが、他のは軒並みツボだった。特にSF漫画はシビれますな。
特定の作家の作品を、ある日突然読み漁るようになる自分…なんだか3年前を思い出す。2005年の暮れ頃、突然夏目漱石先生に傾倒した時と凄く似てる。「とりあえず新潮文庫制覇しよう」と思い、寝る間も惜しんで漱石先生の世界に没頭。地元では珍しく雪が積もった時も、文庫を仕入れに凍えながら近所の本屋へ行ったっけ(ちなみにその時買ったのは確か『門』)。で、漱石先生ブームが続いてる時にこのブログを立ち上げたもんだから、このようなブログ名になり…懐かしいな。もうすぐ3周年なんだね。
というわけで今日は、特に印象に残った萩尾作品をサラっと紹介&感想を。本当に味わい深い作品ばっかだが、中でも特に印象に残った『金曜の夜の集会』という短編について。小学館文庫から出てる短編集『半神』に収録されている32Pの作品。8月最後の金曜日、天文クラブ所属の少年・マーモは、今夜地球に接近する彗星を観測するのが楽しみでしょうがない。楽しみな事はさらに増える。ひそかに憧れていた女の子・セイラと来週の金曜日にデートする約束をしたのだ。しかしマーモはふとした事がきっかけで、自分が住む町に関する秘密を知る。この町は今夜、日付が変わると同時に消滅するというのだ………。
萩尾望都の短編で今の所一番好きな作品。キラキラな日々を過ごしていたマーモは、突然未来を失う。天文学者になりたい、というマーモの夢は永遠に叶わない。セイラとの約束も果たせないし、成長期ゆえ、男子より高いセイラの身長を追い越す、という夢も叶わない。よりによって、人生で最も無邪気に夢を見られる少年時代に、彼は己の運命を知る。さらに、町を消滅の危機から守るために大人達が行う「あること」が衝撃的。「あること」をされたマーモは、ある意味『ポーの一族』のエドガーと近しい、悲しい存在となる。不老不死の体にされてしまい、少年の姿のまま永久に生きる事を強いられたエドガー。マーモの運命とエドガーの運命、一体どちらが辛いだろう。より多く笑顔で居られるのはマーモかもしれないけど、傍観者として見ていると涙が止まらなくなるのもマーモかな。
でも、夢が叶うことと幸せになることは必ずしも一致しない。夢見た通りになったのに満足できなかったり、長年の夢を叶えた瞬間に燃え尽きてしまったり…。それなら、抱えきれない素敵な夢を自由に描き続ける事が出来る少年時代が、人の一生で一番きらびやかな時期なのかもしれない。マーモの夢を壊そうとする大人は作品内には誰も居ない。彼の楽しい日々を壊す資格は誰にも無いし、夢を描く子供の素晴らしさを大人達は知っている。明日が来ない事、夢が叶わない事を知ったマーモがとった行動が美しくロマンチックなのは、彼が夢いっぱいの少年だから。でもやっぱり、可哀相過ぎるよマーモ…。読んでると本当に切なくなる名作。

あ、どうでもいいけどマーモ、描かれたのが同時期ゆえ、『訪問者』のオスカーにそっくりで超可愛いね。短編集『半神』は一度読んだら忘れられない名作の宝庫。ブックオフで見掛けたら、ぜひ。 

憎しみで人が殺せたら―『風と木の詩』

2008-12-14 18:04:08 | 漫画
少女漫画界で指折りの問題作『風と木の詩』。何故問題作か、作品名でググってみれば一発でわかると思うが…まあ、そういうことだ(どういうことだよ)。昭和24年頃に生まれ、主に1970年代の少女漫画界で革新的な作品を発表した「24年組」の代表作家・竹宮恵子。彼女は1976年、『風と木の詩』で、少女漫画で初めて少年同士のベッドシーンを描いた。男女のベッドシーンすら珍しい時代に(男女のベッドシーン初登場は『ベルばら』らしい)。『あしたのジョー』で男の園(?)少年院が描かれてもホモ描写などはスルー。しかし、「少女漫画を変えてやる」という明確な意志を持った竹宮恵子によって描かれた『風と木の詩』は遠慮無し。この漫画に出会った高校時代、1ページ目を見て目を疑いました。
『風と木の詩』の舞台は19世紀フランス。主人公は子爵家の長男セルジュと、豪商に嫁いだ貴婦人とその愛人との間に生まれた不義の少年ジルベール。物語は、ジルベールが通う寄宿制の男子校に、セルジュが転入してくる所から始まる。度が過ぎる美少年っぷりで校内の男たちを魅了し、実際に体を売ることも厭わない不良生徒ジルベールと、誰からも好かれる人あたりの良い優等生セルジュ。セルジュはジルベールの圧倒的な美貌などに惹かれながらも、しょっちゅう男を誘惑し、半裸でフラフラ校内を歩き回ることもしばしばで周囲から「色情狂」と呼ばれている彼の生態が理解出来ないし、ジルベールはセルジュのおせっかいぶりや、ポジティブ過ぎて鈍感な所が気に入らない。これは読者も同じで、「ジルベールは何でこんな奴に成長しちゃったんだ」「セルジュのポジティブ小僧っぷりは異常」という思いが、読んでるうちに膨らんでくる。
それに応えるように、作品中盤から、二人それぞれの生い立ちを丁寧に回顧する物語が始まる。ジルベールには、実父(ジル本人は実父だと知らない)による性的虐待を受けるうちに快楽の虜になる、という悲惨な過去(話的にこの辺が一番酷いな…)があり、寄宿舎に入り実父と離ればなれになってからは学校中の男達を誘惑して寂しさを埋めていた。対してセルジュ。優等生の彼にもまた、あまり幸福でない過去があった。
ジルベールとセルジュが反目し合いながらいつしか懇ろになっていく物語『風木』。おせっかい気質のセルジュは美しくも自堕落なジルベールを放っておけず、ジルベールもまた、自分に群がる男達と全く違う人種のセルジュに惹かれ、二人の仲はどんどん深くなってしまう。読み進めて行くうちに「あ、なるほどね、こういう過去があってこんな性格になったのね」と、全てのシーンを理論的に整理して楽しんだり、練られまくりの構成にうならされたりしながら、その完成度の高さに圧倒される。特にセルジュの父親の生い立ちを丁寧に描いた部分が後半の展開に繋がっていくのは圧巻。読む前は煩悩や美少年への羨望にまかせて描かれた話だと思ってたけど、全然違った。様々な事象や状況が重なりまくって少年同士が結ばれてしまう、思春期の大迷走。自由な恋愛は何処まで許されるのか。自由であることは幸せなのか。
ジルベールとセルジュには、救いようのない悲劇が何度も降り懸かる。「少女漫画だしもう少し夢があっても良いのでは…」という突っ込みが入る隙間の無い悲劇。「こんな二人組が実際に居たら、こういう運命が待ち受けてるよね、常識的に考えて」みたいな悲しくもリアルなシーンのオンパレード。悲劇過ぎて涙すら出ないぜ。リアルといえば、いくら美少年とはいえ、堂々と男子生徒を誘惑するジルベールが、多くのノーマルな同級生から毛嫌いされてるのもリアル。美少年キャラは漫画の世界だと普通、王子扱いされがちだが、ジルベールは誰からも愛されるような王子様ではない。前に男の子に『風と木の詩』読ませたら、一番人気のジルベールを大嫌いだと切り捨てていたし、やはり普通の男にしてみれば関わりたくない存在なのかね。線が細く天使のようにフワフワした、自由意志の象徴のようなジルベールの結末は「どんなに辛くても地に足付けて強く着実に生きろよ!」というメッセージだろうか…。
萩尾望都『トーマの心臓』と並ぶ、このジャンルのクラシックに位置付けられる『風と木の詩』。前も書いたが、かつて男性にとっての少女漫画への入口が『風木』か『ポーの一族』か『11人いる!』か『地球へ…』だった、という時代があったようだし、少女漫画が苦手な男性も勧めたい作品…と言いたい所だが、男性が次々とこの漫画にハマっていった状況って一体どんなもんだったのか、ちょっと想像しかねる。勝谷誠彦がハマったのは想像出来るけどさ。


ちなみに記事タイトルの「憎しみで人が殺せたら」はこの漫画を代表するセリフ。切なくも笑える名シーン。

美しい文字で幸せをつかんだ少女

2008-12-09 21:59:39 | 漫画
『日ペンの美子ちゃん』をご存知だろうか。『りぼん』『なかよし』『少コミ』『花ゆめ』などなんでも良いが、とにかく少女漫画雑誌を読んでいた人ならきっと知ってるだろう。雑誌の裏表紙やカラー扉の裏の広告スペースなどに載っていた、ペン習字の通信教材「日ペン」の広告マンガ『日ペンの美子ちゃん』。主人公はペン習字に取り組んで綺麗な文字を書けるようになった少女・美子ちゃん。彼女が友達に日ペンの教材の素晴らしさを力説したり、学校などで美しい文字を披露して脚光を浴びたり、綺麗な文字で書いたラブレターで恋を実らせたりする様子を描いた、毎回9コマのコメディー漫画である。この広告漫画の歴史は長く、初登場は1972年頃。以降様々な少女漫画雑誌や、『Myojyo』や『セブンティーン』などの女の子向け雑誌の広告スペースを飾り続けた。故に、かなり幅広い世代の女性の脳の片隅に、『日ペンの美子ちゃん』の記憶が刻まれているはずである。 
70年代や80年代に『日ペンの美子ちゃん』に親しんだ女の子が大人になり、結婚して子供を産み、ある日なんとなく娘が読んでる『りぼん』をチラっと見てみると、そこには「あの頃」と変わらぬ姿で、相変わらず綺麗な字を武器に活躍する美子ちゃんが居た…みたいな、まるで『ポーの一族』のようなドラマチックな事が、実際に起きていてもおかしくない。現実の世界には永遠の少年・エドガーやアランは居ないよ。でも、コンビニに売ってる少女漫画雑誌を見れば、永遠のペン習字少女・美子ちゃんに会えるかもしれない。『りぼん』とか読んでた頃と変わらぬ姿の少女に…。
と思ったけど、広告マンガ『日ペンの美子ちゃん』の掲載は1999年で終わったらしい。しかも、美子ちゃんは4代目まで居るらしい。1972年~1999年の間ずっと同じ女の子だったわけじゃなかったみたい。私の世代で馴染みが深いのは、1988年~1999年に登場した4代目美子ちゃん。4人の美子ちゃんはキャラもそれぞれ違うみたい。ただ、美子ちゃんが変わっても、毎回毎回、9コマ中3コマを使って行われる「日ペン」の宣伝ゼリフは不変。「日ペンには50年の歴史があって先生方も一流なの」「一日20分の練習でペン字検定に合格できちゃうの」「1級合格者の4割が日ペン出身者よ」「テキストはバインダー式で使いやすいの」…こんな感じのセリフを、言い続けて27年!
美子ちゃん研究本『あの素晴らしい日ペンの美子ちゃんをもう一度』(第三文明社)によれば、歴代美子ちゃんの中で最も人気が高いのは1972年~1984年に活躍した初代。この本に掲載されてる歴代美子ちゃんの広告漫画を読み、私も初代美子ちゃんの魅力に夢中になった。綺麗な文字で書いたラブレターを様々な男の子に出し、その度に相手を振り向かせてきた美子ちゃんは常にモテモテで、ボーイフレンドもかなりの数。でも悪女という感じはない。知らず知らずのうちに男を振り回してる感じか?憧れのアイドルにファンレターを描けば、その字の美しさにアイドルから一目置かれる、なんてこともあり。あの王貞治やミスターも美子ちゃんに夢中(時代だな…)。尊敬するで、美子……。
ちなみに美子ちゃん研究文献として、私が知る限りで最も古いのは、1988年にさくらももこが「うみのさかな」という変名で書いた、当時の担当編集者であり元夫だった人との共著エッセイ『幕の内弁当』。美子ちゃんのプレイガールっぷりから「美子ちゃん非処女説」を唱えたりしていた。
さて、美子ちゃんが初登場した1972年といえば、萩尾望都の『ポーの一族』の連載が始まった頃。膨大な数の美子ちゃん漫画の中で美子ちゃんは、そんな時代と呼応するようなセリフをつぶやいている。
「バレーにデザイナーにお涙と恋愛…少女漫画にもうちょっと新風を送りこみたいわ。少女漫画にSFがあってもいいと思うわ」
萩尾望都や竹宮恵子、山岸涼子、大島弓子など、昭和24年前後に生まれ、70年代に少女漫画に新風を送り込んだ「24年組」の代表作家たちが頭角を表してきたのと同時に登場した、美子ちゃんらしい発言である。24年組の作家たちは、それまで致命的に低かった少女漫画の地位を向上させようと、様々な取り組みをした。青年誌で流行した背景を写真並にリアルに描く技法を取り入れたり(それ以前の少女漫画家は人物に比べて背景画が適当だった。やたらと花描いたり)、人間の骨格を正確に描いたり(それ以前の少女漫画は変に手足が長くても誰も気にしなかった)、読者が喜ぶものではなく作家本人が描きたくてたまらない物語を遠慮無しでぶちまけたり(SF描いたり少年愛描いたりサイコサスペンス描いたり…)して、世間の漫画好きの人々の関心を一気に少女漫画に集めることに成功した。少女漫画を敬遠してた男性達も夢中になった。最も人気があったと言われる初代『日ペンの美子ちゃん』は、少女漫画に起きた革命のような現象と同時代を共にした…。
ただまぁ、今現在広く一般的に、それこそ漫画をあまり読まない人にまで「名作」として知れ渡るような作品は『ポーの一族』などではなく、少女読者のツボを押さえた演出や展開が繰り広げられる『ベルばら』や、数々の試練をド根性で乗り越えていく『ガラスの仮面』など、24年組以前の少女漫画クラシックスだったりするのだが(『ガラかめ』が描かれたのは少女漫画革命以降だが、あの作品はそれ以前の技法で描かれている)。美子ちゃん本人も宝塚ファンという設定があるし、「メリーベルと銀のばら」より『ベルばら』派だろう…。

追っかけ

2008-11-12 01:46:01 | 漫画
子供の頃は週刊、月刊誌で連載漫画を読みまくるのが普通だった。自分で買ってたりぼん、家族が購入してるマガジン・サンデー・ヤンマガ・モーニング、従兄弟や友達に借りてたジャンプ・なかよし・少女コミック…。掲載されてる漫画を毎回全部読んでたわけではないし、特にモーニングは『OL進化論』ぐらいしか読まない時期すらあったが、ジャンルを問わず(いや、偏ってるかな?)色々な漫画に手を出していた。でも、年齢を重ねる毎に読む雑誌が減っていった。読む暇が減ったとか、楽しめる漫画が減ったとか、単行本まで待てないぐらい続きが気になる漫画が無いとか、理由は色々とあるだろう。少女漫画雑誌は割と早く読まなくなり、ジャンプなどは借りることなく立ち読みで。家に常備してあるマガジン等もサラっと。とにかく、連載漫画を雑誌で追っ掛ける機会は極端に少なくなった。今日は、そんな私が今、連載でチェックしてる数少ない漫画をチラっと紹介。紹介っつっても有名な作品ばっかだが。

■『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博、週刊少年ジャンプ)
まぁ、基本ですな。悔しいが夢中で読んでいる(立ち読みで)。休載だらけのこの漫画が載ってないジャンプには用が無いが、『DEATH NOTE』が載ってた頃は毎週月曜日が待ち遠しかったりもしたな。今回の10号連続掲載は、前半はイカルゴVSプロヴータという魚介類対決が二週も続いて困ってしまったが、今週やっとゴンとピトーが出て来て、気になる展開に。キルアの「それはどっちの?」問題の真相も見えてきたか?

■『NANA』(矢沢あい、クッキー)
なんだかんだで高校時代からずーっと立ち読みでチェックしてるな。いつ終わるんだマジで。作品内のカレンダーは今の所2002年3月だが、それこそその頃から読んでたなぁ。今、過去最高に物語の雰囲気が沈んでいる。ほら、ついにあいつが死んじゃって…。

■『PLUTO』(浦沢直樹、ビックコミックオリジナル)
クライマックス間近。単行本だと8巻ぐらいで終わるのかも(ちなみに今既刊6巻)。11月5日発売号では、アトムが一連の事件の真相をバンバン語っている。事件の真相というか、おさらいみたいな感じ?これまで断片的に描かれて来たことを、ご丁寧にアトムが整理して説明してくれている。トラキア合衆国のDr.ルーズベルトの企みについては説明されてないけど、まぁ、想像はつく。

■『BILLY BAT』(浦沢直樹、モーニング)
「以前体を壊した浦沢が、再び週刊連載!?」と驚愕してしまったが、結局週刊じゃなかった。定期的に休載する冨樫スタイル(いや、『バガボンド』スタイル?ちなみに『バガボンド』は吉岡が死んで以降読んでへん)。既に12月25日発売号での再開が決まってるだけ冨樫よりマシかな。まだ4話なので先が読めませーん。気を失い、目が覚めたら人を殺していた(?)ケヴィン。『20世紀少年』のケンヂみたく濡れ衣スタイル?それとも『MONSTES』のグリマーみたく「超人シュタイナー」スタイル?

■『アラタカンガタリ』(渡瀬悠宇、週刊少年サンデー)
『ふしぎ遊戯』『妖しのセレス』そして最近ドラマ化された『絶対彼氏』などをヒットさせた少女漫画界のベテラン作家・渡瀬悠宇が少年サンデーに登場。この人の漫画は基本的にハズレが無いですな。どれもそれなりに完成度高くて。「うわっ!超面白い!神漫画!」ってのは無いんだけど、駄作も特に無く、どれを手に取っても楽しめる。本っ当に小学館的な作家だよなぁ。初の少年誌での連載も堅実な作りで安心して読めるが、男性読者的にはどうなんだろ。萌えキャラらしきのも出てるが…。この漫画についてはいずれ記事に書く予定。

■『お茶にごす』(西森博之、週刊少年サンデー)
『今日から俺は!』『天使な小生意気』の人の新作ですね。『コナン』とか『犬夜叉』とかは気付いたら読まなくなってたけど、この人の漫画は小学生の頃から継続的にチェックしてるなぁ…何気にかなり長い付き合い。相変わらず少しヒネったヤンキー漫画描いてるよー。今回はヤンキーin茶道部だよー。

『BILLY BAT』第2話

2008-10-23 15:51:00 | 漫画
浦沢直樹の新作『BILLY BAT』の感想をネタバレ有りで。


…やっぱ劇中漫画でしたね。正直ホっとしました。連載開始直後から「あの浦沢が、犬が主人公のベタな漫画を連載するはずが無い!何か仕掛けがあるはずだ!」とネット上の浦沢マニア達に指摘されていたが、やっぱり単なるアメコミ風探偵物語ではなかった。『BILLY BAT』第2話は、『MONSTER』や『20世紀少年』、『PLUTO』に次ぐ、新たな長編ミステリーの始まりを予感させるような展開だった。
第2話も初回と同様、古びた雑誌風のレトロ仕様の紙にカラーで掲載された『BILLY BAT』。今回は、この漫画の作者「KEVIN YAMAGATA」のプロフィールが紹介されていた。彼は日系アメリカ人2世の漫画家。また、GHQの通訳係として終戦直後の日本に渡る、という経歴もある。プロフィール紹介の後、ビリーバットの事務所に美女が忍び込んで来て……と、前回の続きのストーリーが始まる。しかし、途中でレトロ仕様の紙質だったのが、突然普通の漫画と同じ紙に変わり、『BILLY BAT』の作者ケヴィン・ヤマガタの物語に切り替わる。「こんなベタな展開で良いのかな…ダメだよな…」みたいな感じで悩みながら『BILLY BAT』の原稿を描くケヴィン・ヤマガタ。
冒頭でいきなり劇中漫画をドーン!と出してから本編に入る…これは売れっ子作家である浦沢だからこそ許された展開の仕方だろう。もし『BILLY BAT』第1話を描いたのが名も無い漫画家だったら、「モーニング」読者は即、見切りを付けるだろう。というかこんな始まり方、編集者が許さないだろう。第1話は、沢山の読者の心を作品世界に引き込めるように、作品の魅力や今後に繋がる伏線などをドバーっと詰め込むのが普通だ。しかし『BILLY BAT』の第1話はそんな展開じゃなかった。それでも浦沢直樹だから、「何かあるんじゃないか」と期待を煽られてしまうわけだ。浦沢漫画読者なら、あの第1話を読んで「浦沢もなんだか冴えない漫画始めたなぁ」なんて感想を持つ人は少ないはずだ。ゆえに浦沢に関する予備知識の無い人は、第2話にはかなり驚かされたかもしれない。そして我々浦沢マニアは、憶測に走るあまりサプライズし損ねたわけだ!…いいもん、『20世紀少年』12巻で心臓が止まりそうになるほどサプライズしたもん(12巻が頂点だったな、あの漫画の。映画では絶対に出来ないであろう演出)。
『BILLY BAT』の作者ケヴィン・ヤマガタは、担当編集者に「とりあえず敵はソ連にしろ。売れるから」と指示されるが、気が進まない。どうやら物語の舞台は1940年代後半。第二次世界大戦でナチス・ドイツや大日本帝国を倒した当時のアメリカは、次なる敵として共産主義国家のソ連を挙げ、冷戦に突入。国内では少しでも反政府的な事を言う人間を「共産主義者だ!」と排斥するアカ狩りが始まる。実際は反政府=アカなんて単純なモンじゃないのだが…。このような社会情勢を受け、アメコミ界でも「ヒーローがソ連と戦う漫画」が流行るようになる。元々アメコミ界は世相をそのまま漫画に反映させるのが常らしく、第二次大戦中はスーパーマンやスパイダーマンがナチスや旧日本軍と戦う漫画が描かれていたらしい。また、911同時多発テロの後は「何故あの日、ヒーローは無力だったか」をテーマにした作品が描かれた。「助けに行こうとしたが、他の現場に居たので間に合わなかった」「間に合わなかったので瓦礫の片付けを手伝った」など、「結局ヒーローもテロには勝てない」みたいな寂しいコミックが沢山発表されたそうな。
ビリーバットの事務所を訪れた美女は、ソ連のスパイだった!みたいな漫画を描かされて浮かないケヴィン。しかし彼は、ひょんな事から『BILLY BAT』と全く同じ絵柄で漫画を描いているらしい日本人の存在を知る。そういえば冒頭の『BILLY BAT』と、ケヴィン・ヤマガタの仕事机に散乱してる描きかけの『BILLY BAT』の原稿、よく見比べてみると別物だということに気付く。絵柄は全く同じだが、コマの進み方が左右逆なのだ。ケヴィンの仕事机にある漫画は、左→右、つまり日本の漫画と逆向きにコマを読み進めていくスタイル。じゃあ、第1話、そして2話で我々が読んだ漫画を描いたのは?…ってケヴィンだよな、表紙に名前書いてあるし。じゃあこれ、ケヴィンが何らかの理由でアメコミ界でなく、日本向けに描いた漫画?それともケヴィンと同じ絵を描く謎の日本人作家が描いた漫画?だとしたらそいつは何故「ケヴィン・ヤマガタ」を名乗る?………こ、このノリ!いつもの浦沢だ(笑)!嬉しい?もうウンザリ?とりあえず連載追っかけます。

浦沢直樹新連載『BILLY BAT』

2008-10-16 20:13:42 | 漫画
浦沢直樹が今日発売の講談社「モーニング」で新連載を始めた。『20世紀少年』完結以降、月一連載の『PLUTO』に全力投球してきた浦沢が、またもや二足の草鞋体制に入った。そもそも、彼のキャリアは常に連載掛け持ち状態。『YAWARA!』と『MASTERキートン』、『HAPPY!』と『MONSTER』、『MONSTER』と『20世紀少年』、『20世紀少年』と『PLUTO』…これらを別の雑誌に同時連載してきた浦沢。しかしその怒涛の仕事量が祟って体壊したりとかもしてるから「あぁ、やっと『20世紀少年』終わったことだし、これからは休養しながら『PLUTO』一本に絞って頑張っていくんだろうなぁ…」なんて思ってたが、浦沢…まだまだ描くらしい。最近は描くだけじゃなくて実写版『20世紀少年』の監修や歌手デビューなどさらに多忙。……歌手として11月にアルバム出すんだってね。何してんすか先生(苦笑)。買わねーからな!!
さてさて肝心の新連載『BILLY BAT』だが…物凄い変化球だ。なんとアメコミ風の漫画。舞台はアメリカ。主人公は………犬。「のらくろ君」と「バットマン」が合わさったようなルックスの犬・私立探偵「ビリーバット」が難事件に挑む…みたいな話になるのか…?主人公が犬で、周りの奴もみんな犬。しかし犬達は皆「ザ・浦沢漫画」な表情を持ち、非常に人間くさい。そんな擬人化された犬たちが活躍…していくのかな?タイトルロゴや作品の雰囲気がなんとな~く懐かしの名作『MASTERキートン』を思い出させられるのが興味深い。しかしまだ第一話なのでよくわからないな………ってそれ珍しいじゃないか。過去の浦沢作品たちは大体、第一話で「うっっわ、なにこれ超おもしれぇ!!」と読者の期待を煽りまくってきた、ロケットスタート型漫画だったのだから。でも『BILLY BAT』は変化球過ぎて面白い漫画かどうかはわからない。期待は膨れ上がるばかりだけどね。
編集部による煽り文によれば「失われたアメリカンヒーローが浦沢直樹の手で蘇る!!」。浦沢直樹は過去に、スポーツ漫画、考古学漫画、ミステリー漫画、空想科学冒険漫画、手塚治虫トリビュート漫画と、あらゆるジャンルの漫画を描いてきたが、次なる挑戦はアメコミ風漫画、ということか。彼のチャレンジ精神というか、新たな漫画を目指すフロンティアスピリットは凄まじい。
しかし『BILLY BAT』は、単なるアメコミ風漫画とは到底思えない。この漫画は「KEVIN YAMAGATA」という人物が作者としてクレジットされており、作中には過去に出たらしい『BILLY BAT』の既刊の広告も載っている。そして紙質は昔の漫画雑誌風の古びた加工がなされている。まるで『MONSTER』に出て来た、登場人物フランツ・ボナパルタが描いた劇中絵本作品『なまえのないかいぶつ』みたいな感じだ。つまり、『BILLY BAT』も『なまえのないかいぶつ』同様、劇中作品?だとしたらこの作品の背後にはどんな物語が?…それとも、あくまでもアメコミ風漫画?浦沢直樹だけに、何か仕掛けがあるんじゃないかという期待が嫌でも膨らむけどな。つーか「KEVIN YAMAGATA」って誰だよ。日系アメリカ人?もう、気になるじゃんかよう!

…というわけで、久々に浦沢直樹の「新連載」がスタートしたので(2003年の『PLUTO』以来)、この機会に読んでみてはいかがだろうか。浦沢ファンは単行本派が多いだろうが、週刊連載で、もどかしい思いを抱えながら連載を追うってのも悪くないよ。