拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

Over

2006-06-19 21:14:19 | 日記
今日のmay99さんとの共通テーマは「オーバー」。私が設定したテーマだが、物凄く適当に口走ってしまったためかなり後悔…ってほぼ毎回後悔してるし。私、日々全く学習していない。最低。
「オーバー」…私は普段人といるときはそこそこ落ち着いている方だが一人の時は、身の回りで起きる現象に対して割とオーバーなリアクションをとったりする。しーんとした部屋で何か物音がすると「ひゃぁぁぁ!!」と声を荒げるのは日常茶飯事だ。ちゃめしごとだ。一人の時なら芸人並みのリアクションができるのだ。オーバーゆえに、子供の頃は家族が「どうした!?」とバタバタと駆けつけることがたまにあった。しかし毎回ちょっとした事、くだらない事で悲鳴をあげるため、だんだんと放置されるように。「オオカミ少年の気分ってこんななんだぁ…」って感じ?てんとう虫が洗濯物の中からでてきた程度で叫ぶからね、「ヒィィィィィ!」って。岡田あーみんの漫画に出てくるキャラみたいに叫ぶ。
家にいるとき以外もよく叫ぶ。私は吠えまくる犬が苦手なのだが、犬小屋の横を通りかかっただけでバウワウ吠える犬や、飼い主が紐を引っ張っているのにこっちに近づいてきて威嚇しようとする犬などに出くわしたとき、一緒にいる飼い主に退かれるほど叫び声を上げる。友達とかがその場に一緒にいると絶対叫ばないけど一人だと気が緩むのか?でも怖いもん、犬。先週は朝っぱらからオーバーリアクションをしてしまった。駅へ向かって自転車を走らせていると前方にゴムホースのような物体が。「まぁ、ゴム製品だし」と思って避けずにそのまま直進したら、物体を前輪で踏んだ直後にそれが蛇だということがわかって。でも直後ゆえ避けきれず、そのまま前輪後輪両方で蛇ふんじゃって。蛇、自転車の車輪に踏まれた瞬間ビクゥゥゥ!とうねりうねって。踏まれなくても前進する際は常にうねうねしている蛇君だが、踏まれた瞬間のあのうね加減ときたらもう…叫んだ。「ヒャア!」とコンパクトに叫んだ。蛇、道端で見るだけでもかなりへこむが、踏むとその20倍へこむ。感触もまだ覚えてる。別に蛇だからって特に違和感があるというわけでもなく、本当にただのゴムホースを踏んだような、普通のムニュっとした感触。下をよく見ていなければ蛇だとは気づかないような感触だ。だからこそ怖いというか。「ゴムホースを踏んだつもりが蛇でした。ゴムホースだと思ったのでなんの遠慮もなく思いっきり踏みました。まさか蛇だと思わなかったのです」…文章にするとこんな感じだろうか。爬虫類を何の迷いもなく思いっきり圧力をかけて踏むなんて、バチがあたりそうだ。小さな虫なら「ショーミなハナシが邪魔くさいわ」と思えば何のためらいもなく殺すタイプの私だが、爬虫類は別だ。別なのに…ごめんなさい、蛇君。
…つまらない、自分で書いていて呆れるほどつまらない。そういえばオーバーと言えば、ブログの記事にタイトルを付けるとき、たまに字数オーバーではじかれる事がある。50字以内じゃないとダメみたいで。結構力作の記事タイトルが出来たと思ったのに泣く泣く削るor再考というパターンが過去に数回あったのだ。ちなみに今日の記事のタイトルは今までで一番シンプルだ。それとあと、ブログの記事を書くとき、いつのまにやら「一日文の記事は原則1200字オーバーで」という規定を知らず知らずのうちに決め付けてしまっている自分がいる。ブログを続けるにはこういった縛りなど無いほうがいいが、1200字以内だとなんか足りない気がして付け足してしまうのだ。これを「ブログインフレ」、または「字数固執症候群」という。覚えておこう。

追記
近日もう一つブログ作るかも。一から作るんじゃなくて、本ブログ「拝啓 夏目漱石先生」の記事の中から岡田あーみんの事を書いたものを抜粋した「あーみん布教ブログ」を…怖っ!でも宇多田ヒカルもあーみんファン(あー民)らしいし、一気にメジャーな存在になるかもしれないよ、あーみん様が…。ここで書いたあーみんの記事をその「あーみん専門ブログ」に転載するだけだからすぐにでも作れるよね。

漱石、侵入―新潮文庫の「文豪リストウォッチ」が届いた

2006-06-18 20:41:24 | 日記
今朝母親が「これ昨日届いてたやつ。渡しそびれちゃった」といって小包を私に手渡した。何だ?私アマゾンで何か注文したか?身に覚えが無い…と思いながら封筒をよく見てみると、新潮文庫のYonda?マークのマスコットキャラのパンダがプリントされていた。朝っぱらから一気に心拍数が上がり、封筒をビリッビリに破くと中に小さな紙箱が。それも破り捨てると中には、

遂に漱石ウォッチキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!

文字盤に我らが夏目漱石先生がプリントされた、新潮文庫のYonda?マークを30枚集めると貰える「文豪リストウォッチ」が入っていた…!!私にYonda?マークをゆずってくれた読書好きの友人たち、本当にどうもありがとう。パンフレットには商品が届くのは4ヶ月後と書いてあったのでわずか一ヶ月半弱で届いたためびっくりしたが、これは紛れも無く文豪リストウォッチ。主婦に漱石先生が憑依する昼ドラ「吾輩は主婦である」に熱を上げているこの時期に届くなんて、偶然だろうけど気が利いてるじゃん、新潮社。文字盤の中で先生が、こめかみに手を当ててあの有名な「考えるポーズ」をしている。これはドラマの中で主演の斉藤由貴がしょっちゅうやっているポーズ。あー、本当に良い写真だわ。全国の「吾輩は主婦である」ファンの皆さん、羨ましいでしょ(笑)??文字盤には数字がプリントされておらず、秒針も無く、漱石先生のお姿が全面にでている大胆なデザインゆえ実生活で使うにはちょっと照れくさいので、友人たちに一通り見せびらかした後は大事に大事にしまっておく。これは使えないよ…渋過ぎ。それに説明書によると完全非防水仕様らしいし。これは実用ではなく完全にコレクション用アイテムだ。
それにしても、朝から先生の時計をチラチラと見まくってしまう。写真のモノクロ加減が本当に素敵で。あぁ~渋いよ先生。私は絶対「ちょいワルオヤジ」より「激渋オヤジ」派ですから。あ、碇ゲンドウみたいな人がこの時計すればいいんだよ、うん。私のような小娘には似合わないデザインです。そういえば後で気づいたのだが、時計の入っていた箱の中には、漱石先生のプロフィールが英語で書かれた小さなカードが入っていた。プロフィールは新潮文庫のカバーの折り返しの所に書いてある文章をそのまま英訳したものだ。「I am a Cat」…直訳すりゃこうなるわな。「He became one of the most important figures in the history of modern Japanese literature」…うんうん。「He died of chronic stomach ulcer at the age of 50 while he was writing his last and unfinished work titled 'Meian'」…嗚呼。

「吾輩は主婦である」では、斉藤由貴演じる主婦・みどりがとある事情から漱石先生の旧千円札を大事にお守り代わりにしていたことがきっかけで先生に憑依されてしまうのだが、私もこの文豪ウォッチを大事にしてたら憑依されてしまうんじゃ…(笑)。ブログも一気に文学的になったりしてさ。その時はどうか優しく接してくださいね、皆さん。

四枚目の作品集―宇多田ヒカル/『ULTRA BLUE』絶対支持

2006-06-17 21:26:38 | 音楽
私は『travering』辺りで彼女の凄さに気づいた人間なのであまり偉そうなことは言えないけど、本当に痛快な存在だ、宇多田ヒカル。今週発売された4枚目(全米デビュー含めると五枚目だけど取りあえず除く)のアルバム『ULTRA BLUE』、なんというか、よくぞここまで作りこんだねぇ!と拍手したくなるような素晴らしい作品になっている。気が付けば私が聴いている多分唯一の女性アーティストである宇多田ヒカル。アホのように売れまくった全盛期と比べれば最近は売り上げがガタ落ちしてるらしいが(当たり前だが)、彼女のCDの売り上げに反比例するようにして私の彼女への興味は増していく。去年の12月のシングル「Passion」を初めて聴いた時は一人で静かに大騒ぎしてしまったが、果たしてあの曲にじっくり耳を傾けた人は何人いるのだろうか。かなり乱暴な言い方だが、今回の宇多田の新譜『ULTRA BLUE』は、800万枚売れたデビュー作『First Love』の数百倍素晴らしいぞ。うーむ、乱暴。
初めて彼女の曲を聴いたのはもちろん「Automatic」が流行りまくってた頃。99年だからもう7年も前の事だ。15歳にして自分で作詞作曲してることにはさすがに驚いたし歌も上手いと思ったが、彼女の作る曲に共通するあの鼻歌みたいなホワホワしたメロディーがどうにも受け付けず、「ど、どこがいいんだ!?」と日々思っていたため宇多田ブームには乗れなかった。『First Love』は800万枚売れるようなお化け盤、音楽聴くのが趣味の人は大体持っているような脅威のアルバムなのでもちろん家にもあるが、どの曲を聴いてもまるでピンとこなかった。というか今でもピンとこない。多分R&Bというジャンル自体苦手なのだろう。モロに黒っぽいリズムが押し出された音楽が苦手。そういうのは隠し味程度にしといてほしいんですよ、ラルクの「Link」という曲みたいに。
『First Love』以降、「別にいいや、宇多田以外にも聴くべき楽しい世界は沢山あるし…」と思い、それから二年ぐらいずーっと彼女をスルーしていた。二枚目の『Distance』も勿論スルー。しかし高1の秋、超絶名曲「travering」を聴いた瞬間、一気に宇多田熱が上がってしまった。四つ打ちの均一なハウスビートに絶妙に絡む歌声、ふざけてんのかマジメなんだかわからない、何故か『平家物語』の一節までもを引用した宇多田にしか書けないような、というか宇多田しか書かないような誰にもマネできない歌詞。ヘッドホンで聴かなければ聴き逃すような、バックでピロピロ飛び交う電子音。驚いたよ。特にピロピロ電子音には参った。当時ちょうど、何故かテクノにハマリだした時期だったのでね。日本で一番売れてる人がこんなに楽しい音を新曲として出す、という実は奇跡のような瞬間だったのだ、「travering」発売時は。そうそう、極彩色の洪水を延々と見せられているような、現・宇多田の夫が監督したPVにもびっくりさせられたなぁ。そこから遡って二枚目の『Distance』を聴き、一曲目「Wait&See~リスク~」でまた驚く。だって、「キーが高すぎるなら下げてもいいよ/歌は変わらない強さ持ってる」だよ?カラオケでこの字幕が流れたら結構和みそうなこのフレーズ。でもいっくらでも深読みできるフレーズでもある。何気なく音楽番組、例えばミュージックステーション等を見てるとき、未だにこのフレーズが脳内をフラッシュバックする瞬間がある。一聴しただけでは「なんだこいつ、ふざけてるのか!??」と勘ぐりたくなってしまうが、聴きこむとどんどん面白くなってくる宇多田の歌詞。単語レベルで見ればそれほど突飛なものは無いのに、それらを組み立てて歌詞にするととんでもないものになってる。初号機のプラモデルのパーツを組み合わせたらなぜか量産機になってしまったかのような不思議さがある。こういう歌詞を書くようになったのは『Distance』から、その手法が炸裂したのが次の『DEEP RIVER』だと思う。だから私の中では宇多田の歴史は二枚目の『Distance』から始まるのだ、勝手すぎるが。
「travering」の後、宇多田は「光」「SAKURAドロップス」というこれまた名曲をシングルとして切り、『DEEP RIVER』というもう笑うしかない程の傑作アルバムを発売した。この頃の宇多田、半分神がかってたと思う。とにかく細部まで聞き漏らすまいと、ヘッドホンを常に装備して彼女の音楽に浸っていたよ。R&Bを隠し味程度に添えたようなものに変化した瞬間、彼女の音楽は私のCD棚の出しやすい場所に配置されたのだ。
『ULTRA BLUE』は、音が前作よりもさらに面白いことになっている。全米デビューアルバム『EXODUS』では、全米ということで気合入れて音を思いっきり作りこみすぎたためかなんなのか、やや肩肘を張っている感があり、私は『DEATH NOTE』を読む際のBGMにしか使用していなかったが(合うんだよー、凄く)、『ULTRA BLUE』では作りこみがしなやかで柔らか。耳に気持ち良いピロピロ。歌詞が日本語ということもあり表向きは前作に比べて本当に柔らかな印象が強いピロ。歌詞はどんどん「ふざけてるのか!?」感を増し、「隙だらけ」のレベルにまで達したが、彼女と同年代(20代前半ぐらい)の歌手たちの書く歌詞と比べればその面白さは一目瞭然(というか宇多田以外が不思議なくらい、圧倒的につまらなすぎる)。二曲目の「Keep Tryin'」の歌詞、「どんぶらこっこ 世の中浮き沈みが激しいなぁ」を聴いた瞬間は「ふざけるのもいい加減に…」と思ったが、同曲の詞をさらに引用すれば、「どうでもいいって顔しながらずっとずっと祈ってた」「クールなポーズ決めながら実をいうと戦ってた」…きっとこういう事なんだよ、うん。

『ULTRA BLUE』、さらに聴き込んだ後でまたいろいろと書こうと思う。ていうか書きたい。「Making Love」のピロピロ電子音がどうしようもなくツボ。hideの「POSE」並みにツボだピロ。

今日多分一番字数多い。ここまで全部読んでくれた奇特な方、ありがとうございます。

 

遊びの選択を―ニンテンドーDSと私との遠くて近い遠い距離

2006-06-16 20:57:45 | 日記
電車で隣に座った男子高校生がニンテンドーDSで遊んでいた。角度の都合で何のゲームをやってるのかわからなかったし、もし画面が見えてもゲームには疎い方(ていうか中途半端な知識だけ、ある)なので何のソフトで遊んでるのかはわからないだろう。ただ、ものっ凄く必死に付属のタッチペンを動かしていた。なんだ?お絵かきソフト系か?マリオペイントか?てゆーかマリオペイント出てるのか?DSで。「脳を鍛えるゲーム」系を筆頭に、大人から子供まで幅広く楽しめるようなソフトを次々と発売しヒットさせ、遂にハードが品薄になってしまったニンテンドーDS。春に発売された、従来のニンテンドーDSをコンパクトにし、軽やかさとまろやかさを加えたニューバージョン「ニンテンドーDS Lite」も勿論大人気。あのハードは見た目がとても可愛いのでちょっと欲しくなってしまった。
DS Lite発売時以外に、過去にニンテンドーDSが欲しくなってしまった時期は二度程ある。一回目は去年の夏。週刊少年ジャンプの人気キャラが勢ぞろいした格ゲー(?)「ジャンプスーパースターズ」発売時。このゲームに、とっくに連載終了してるにもかかわらずいまだに大人気な、そして私もいまだに大好きな「ドラゴンボール」のキャラが多数参戦すると聞き、さらにゲームのジャケを見たらワンピースとかナルトのキャラを抑えて悟空がセンターポジションを陣とってて。「うわぁ!悟空だよ、熱い!カッコいい!」と気が昂って。少年ジャンプらしい「無駄な勢い重視」のこのゲームのCMのバカさ加減(「スーパーサイヤ人対スーパーヒマ人!!」「オラ対オラオラオラオラオラ……!!」)も手伝い、DS購入を考えてしまった。漫画のコマをパズルのように組み合わせるようにして使用キャラを選ぶとか、ミッションをクリアするとキャラのコマが手に入り、使えるキャラが増えていく、という漫画好きの喉をゴロゴロするようなゲームのシステムも魅力的だったしね。でもよく考えたらこのゲームに参戦する漫画キャラは連載中のキャラ中心にもかかわらず最近のジャンプ作品でまともに読んでるのは「HUNTER×HUNTER」(長期休載中)と「DEATH NOTE」(最終回を迎えても止まらないメディアミックス。集英社魂ここにありけり)だけだし、他の漫画は殆ど興味がなく、十分に楽しめるかどうか疑問だったので購入は止めた。ジャンプを読みまくってる人からしたら悟空と今人気キャラのバトルというのは豪華すぎて堪らないんだろうなぁ…きっと。でも「ワンピース」は8巻ぐらいで挫折しちゃったし「ナルト」はちょっと絵が苦手で読んでおらず。でも「ナルト」の登場人物のサスケという少年の存在感がキルアっぽいのは知ってる。いや、キルアっぽいかどうかはよく知らないけど「ナルトのサスケ…あぁ、キルアっぽい子?」と聞くと大体通じるのだ。ていうかワンピースとナルトが二大人気、という認識自体が古かったりしてね。もう、この二つ以外どんな漫画があるのか知らないんだわさ(あ、こち亀は知ってるけど)。
DS購入を考えた二度目は今年の冬、あのマリリンマンソンが「マリオカートDS」と擬似弁護士体験ゲーム「逆転無罪」にはまっているというインタビューを読んだ瞬間。だってマンソンがだよ!?マリオカートってネット経由で世界中の人と対戦できるんでしょ?…知らないうちにマンソンとWIFIでカート対決してた…なんて世にも恐ろしい(?)ミラクルに参加できるかもしれないっていう。あと、「逆転無罪」にハマってるってのも素敵。とても素敵。マンソンが「異議あり」とかマイクに向かって言ってんのかと思うとさぁ…。ま、どこまで本当か知らないけどね。ただ、音楽好きには案外良いプロモーションだったかもしれん。マンソンに少々感謝しなよ?任天堂(笑)。


追記
「今夜はブギーバック」を竹中直人がカバーするらしい。小沢健二とスチャダラパーによる94年の名曲。ヒップホップ黎明期(と呼んだら怒られるだろうか)に発売された、ラップとポップが自然に融合した音楽史を語るのに欠かせない一曲。でも私は子供の時からスチャダラによるラップパートより小沢の歌パートの方が圧倒的に好きで、誠に失礼ながらスチャ抜きバージョンをCDに出して欲しいと思ってた。だから、4年前に出たオザケンのアルバム『Eclectic』にスチャ抜きバージョンの「ブギーバック」が収録されて、「願い通じてしもた!」と浮かれてしまった。「♪心がわりの相手は僕に決め~なよぉ~~」という印象的なフレーズが抜けてたのは「異議あり」だが。竹中直人バージョンはどんな感じなんだろう。果たして小山田圭吾によるカバーに、インパクトで勝ることができるのだろうか!?



久方振りに、吾輩も夢を見る

2006-06-15 22:44:09 | 日記
こんな夢を見た。

高校の体育館の裏へいつものように煙草を吸いに行くと、既に先客がいた。男三人組。多分三年の先輩だなぁ…と思ってよく見てみたら、藤原竜也とその友人だった。「こっちおいでよー、そんなとこで一服してたら先生にバレちゃうよー」と藤原に呼ばれたので、その三人に混じり、煙草に火をつけ、ゆらゆら昇っていく白い煙を眺めながら三人の世間話をボヤーっと聞いていた。一年ぶりに学校に来た、とか、主演した舞台・『身毒丸』の話とか。藤原の友人が、「俺、お前の舞台WOWOWでしか見たことねぇや」と言っていたが、私もそうだなぁ…などと思いながらのん気な時間が流れていく。すると、この辺りでは見かけぬ私服の男がこちらに近づいてきた。まずこの学校の生徒でないことは明らかだし、ラフすぎる服装から見てこの学校の教員でもないだろう。それでも少しだけ心配になり、煙草の火をさりげなく消す。ふと横に目をやると、藤原が体育座りで、顔を隠してうずくまっている。「どうしたんすか?」「しーーーっ!」。私服の男は校内をウロウロしつつキョロキョロしていたが、やがてそそくさと裏門から出て行った。藤原の友人が「おい、いなくなったぜあの男」と声をかけると、藤原は先ほどと同じようなダラーっとした座り方に戻り、また一服しはじめた。「いやぁ、今『FRIDAY』に追われててさ。こんな安易な隠れ方でも意外と見つからないもんだねぇ」。煙を吐きながら、さわやかに語る藤原。「あぁ、大変ですね、芸能人ですもんね」「そうそう」「女関係ですか?それとも未成年の喫煙をスッパ抜こうとしてるとか?」「うーん、両方だと思う」―わかってるならこんなとこで煙草吸ってる場合じゃないですよ。言おうと思ったけどやめた。そんな当たり前な事、他人に言われなくても自分が一番わかっているだろう。わかっていても出来ないのが、あまりにも普通な人間の日常だ。

【自己分析】
この夢を見た時間帯は昼下がり。時間帯だけは夢と現実が一致しているが内容はやはり夢ならではの世界。煙草、中学の頃一本吸ってみて5秒で咳き込んで、「あ~…これはアカン…」と思って瞬間に一生吸わないことに決めたもの。それに我が家の人間は誰一人煙草を吸わない禁煙一家だ。夢の舞台の高校は普通に自分の母校だった。そこの制服を着て、なぜか普通に先輩として存在する藤原竜也。まあドリーミー。彼が私の夢に出てきたのは初だ。最近雑誌とかで『DEATH NOTE』の映画特集をパラパラと立ち読みしてたから出てきたのだろう。まぁ、嫌いな俳優ではない。むしろ好きだ。異様なまでの実力派。『DEATH NOTE』の主演が決まった時も「がんばれ~」と普通に思った。でも藤原には月よりもLの方が合ってる気もするけども。あの怪し過ぎる雰囲気を出せる人、若手では藤原ぐらいしかいないような。でもきっと藤原の事だし、月役も上手いことこなしているのだろう。


追記
昼ドラ『吾輩は主婦である』で、漱石先生に憑依された主婦・みどりが悪夢にうなされた末に見た夢を家族に話した際、さりげなく「こんな夢を見た」と言ったのがとても嬉しかった。
  

最強の演者―『吾輩は主婦である』、久々にクドカンドラマに夢中

2006-06-14 21:54:27 | テレビ
今日はなんとなく体調がすぐれず、一限を終えてからとっとと帰ってしまった。寝不足が祟ったのだろうか?昨夜は映画『春の雪』をDVDで見たのだが、思いの外長い映画で夜0時過ぎから見始めたら2時半過ぎまでかかってしまった。ふとあの映画にミッチーが皇族役で出演しているのを思い出し、急に見たくなってしまったのだが、やっぱりハマってたな、皇族ミッチー。原作読んだことあるので主役二人の恋の行方などまったく気にならず、ただただミッチーを楽しむために見た。出番も少なくセリフも殆ど無かったが、出てる間はずっと高貴な香りが画面を満たしてるかのように私は勝手に感じたよ…。あ、あと、執事の山田も素敵だったな。碇ゲンドウとかゲジヒトとか山田とか…私は本当に渋いオッサンが好みのようだ。ミッチーも確か今年で37歳だからオッサンといえばオッサンだ。
でまあ『春の雪』のせいで体調崩したため家に早めに帰り、リフレッシュ気分で録りだめしてある宮藤官九郎脚本の昼ドラ『吾輩は主婦である』の続きを見る。ドラマ開始以来まとまった時間が取れなかったのでちょこちょこと見ていたが、今日は一気に8話ぐらい見たのでやっと本放送に追いついた。もう、本当に最高だ、このドラマ。見てる間は殆どずっと笑顔でいられて、面白すぎて腹の底から笑えるドラマ。見ていてこーんなに楽しいドラマは2003年秋~冬のクドカンドラマ『マンハッタンラブストーリー』以来だ。映画『真夜中の弥次さん喜多さん』と『タイガー&ドラゴン』で初めて「クドカン作品にあんまりハマれない現象」を起こしてしまった私だが、『吾輩は主婦である』はストライクゾーンにど真ん中。途中まで一緒に見ていたクドカン初体験の母親は、「これ凄い面白いから昼ドラでちょこちょこやらずに日曜9時とかにやればいいのに」と言っていたが、このキャストでゴールデンタイムは無理だ、さすがに。ジャニーズ抜き、旬な若手俳優さんも抜きのこの絶妙なキャスティングは昼ドラだからこそできる。でも物語の質だけでいえば明らかにゴールデン相当だと思うけどね。大笑いできてあったかい、素敵なホームドラマですよ。でも大笑いできる人って例によってまた一部の人だけか?クドカン作品じゃないけど方向性が似ていると世間に言われている『トリック』シリーズに私がまったくハマれないのと同じように(単行本『どんと来い超常現象』を本屋で見かけた時は爆笑したけど)、このドラマにハマれない人もやっぱいるんだろうな。…まぁ良い。所詮視聴率が低くてもしょうがない昼ドラの世界だもの。こんなに面白い作品が見れるならこれからクドカンドラマはずっと昼ドラで良いとさえ思うよ。ゴールデンとか映画だとやっぱキャスティングの際の自由度が低くなるんだろうし。ジャニタレとか売れっ子とか出さざるを得ないんだろうし。ただ、録画が面倒くさいけど。
とにかく実力派ばかりを揃えてバカバカしいストーリー展開を繰り広げる『吾輩は主婦である』。メインキャストである矢名(やな)一家の面々はもちろん、ご近所の人々やら喫茶店のマスターやらその他諸々の個性的なキャラクター達全てが愛すべきキャラとしてドラマの世界に存在している。そんな愛すべきキャラ達が毎回毎回珍騒動を繰り広げる。これらの要素は私の大好きな『木更津キャッツアイ(ドラマ版)』『ぼくの魔法使い』『マンハッタンラブストーリー』にも存分に含まれていた。毎週毎週愛すべきキャラを見ているうちにいつしか、ドラマを見る前には全く興味の無かったはずの、キャラを演じた俳優の好感度まで増してしまうほどのパワーがあった。「へぇ、この人こんな役やってもハマるんだぁ!」という驚きの連続だったのだ。あとは新人への興味が湧いたり。『ぼくの魔法使い』で、滑舌の悪すぎるオムライス屋の店員を演じた速水もこみちの事は絶っ対に忘れないよ、私。それ以降は知らんけど。繰り返しになってしまうが、ハマれなかった『タイガー&ドラゴン』『真夜中の弥次さん喜多さん』にはそれが無かったと思う。クドカン作品の常連と言われるような人が結構出てたこともあって、驚きではなく既視感の連続だったもん。だから「私はクドカン作品を見すぎたせいでもう飽きてしまったのだろうか?この先ずっと楽しめない状態が続くのか?」と不安になってしまった。でも今年の『吾輩は主婦である』、久々に自分のツボに直撃のドラマに出会えた気がして、もう嬉しくてしょうがない。漱石先生にも見ていただきたいなぁ(笑)。
一気に見たせいで何をしていてもミッチーと斉藤由貴が歌う主題歌「家庭内デート」が耳にこびりついて離れない。
「♪フ・フ・フ 恋人夫婦~」 

豪州、襲来―KANGAROO ATTACK

2006-06-13 19:23:48 | テレビ
昨夜、見ましたよー日本VSオーストラリア。普段殆どサッカー見ない私だが、世間でこんなに盛り上がってると、他ごとしようとしても落ち着かないのでW杯及び最終予選のみ見てしまう。それに見た方がブログの話題にも事欠かないし。ビバ・ラ・ビッグイベント。ただ、ブログやってる人の半分以上の人はW杯についてなんらかの言及をするだろうな。ネタかぶりまくり。でも私は素人目線で綴るので、そこんとこよろしくです。
見てしまうのだが…普段見慣れてないしルールもよくわかんないしで集中力に欠け、例によって他ごとしながら(村上春樹を読みながら)観戦した。だから日本の一点目が入った時は思いっきり見逃した。「…ほぇ?」みたいな。でも後半戦は結構真剣に見る。アナウンサーの人が「ケネディ!ケネディ!」と連呼するのが妙に笑える。後半めっさ活躍してたオーストラリアの選手。その名前ゆえ、つい大統領の顔が浮かんでしまうもの。で、ラスト10分くらいでどどどーっと点を入れられエンド。おおおおお!嵐のような10分間だったな。展開が一気に暗転する様はある意味『ベルセルク』の「蝕」の縮小版。見てて思ったのは(ド素人目線なので突っ込むのはナンセンスですよ)、「川口一人で戦ってるよな?」。素人の私には文字通り孤軍奮闘に見えてしまいました。エプシロンの故郷(この一言余計)・オーストラリアに点が追加される度、「川口のATフィールドが……!」とメールしてきたアホな友人のせいでしょうか。でもサッカーファンの人もそう思ってるよね?きっと。あと大黒出すの遅すぎじゃね?とか。まあそんな感じで。もし自分がサッカーに強い思い入れがあったら―たとえば私にとってのラルクや『PLUTO』のような存在だったとしたら、しばらくヤケ酒だな。今の日本はアスカ・ラングレーでいう「汚されちゃった…!」って状態だけど、次の試合では「ずっとずっと、一緒だったのね!!!」みたいな感じで復活して、「負っけてらんないのよぉぉぉ!!」とクロアチアに対してキレまくれるような、そんな試合ができるといいね。でもそしたら次のブラジル戦でおもいっきし虐殺されちゃうね。ダメじゃん。うわ、マジでアスカそのものじゃん、今の日本って。……何の話だ。そろそろ黙ったほうがいいな。でも、サッカー素人はこういう視点でサッカーを語る、というのの一例だし。あ、あといつも思うのだが、実況席は常に「大事な時間ですよ」「さあ、ここ大事な時間です」「苦しい時間ですよ」「苦しい時間帯です」のどれかを言ってるね。なんだよ、それなら90分+ロスタイムまるごと大事な時間でいいじゃないかよぉ。
4年前、日韓共催のW杯のときは自国開催&決勝トーナメント進出で大いに盛り上がりまくりだったが、今年はどうなるんだろう。この先の日本戦の視聴率、下がるかもしれない。そういえばあのときは高校生。期末テスト週間とW杯決勝トーナメントがばっちり重なってたな。クラスのみんな、「韓国ムカつく!」とか言いながらテスト勉強してた。あの時の韓国チームが何をやったのかよく思い出せないけどクラスメイトの怒りぶりは覚えてる(日本が負けてさぞ喜んでるだろうね、韓国の人々)。あと、苦手な数学Bのテスト前日だってのについ決勝戦見ちゃったのも覚えてる。ついでにあの時のW杯の公式アンセムのCDを買ったのも忘れがたい。通常版と一緒に、石野卓球リミックスバージョンが出たんだよね。そいえばタワレコは「日本が勝った日の翌日はポイント2倍」キャンペーンをしてたが今もやってるのかな。日本が勝った日限定だったら今年はもう絶望じゃーん。


あぁ、日本代表の皆様に星をあげたくなってきた!ほれ!
*゜ー゜)つ☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆



透視したカップの中で―スケルトンヌードルの思い出

2006-06-12 20:32:51 | 日記
今週のmay99さんとの共通テーマは「麺類」。ただ、may99さんはあらゆる課題でてんてこ舞いらしく、記事を書くヒマがあるかどうかわからない、とのこと。でも私は書くぞー。慢性的なネタ不足に悩む自分にとって何かテーマを与えられることほど楽なことって無いのだ。しかも今日は「麺類」。私炭水化物の中で麺類が一番好きだもの。いろいろと書くことありそう。故にあっちこっちに話題が行き来するだろうとあらかじめ予告しておく。
うどん、そば、パスタ、ラーメン。日本ほど多彩な麺類が食べられる国ってなかなかないんじゃないだろうか。今挙げたものは全部好き。特にうどんは最近ほぼ毎日昼食で食している。でも全く飽きない。うどんは数少ないポップな食べ物だ。白くてほわんとした見た目がまず可愛いし、程よく歯ごたえがあって喉ごしがつるつる。アメリカ西海岸の陽気なメロディックパンクバンドみたいな感じがする(適当に流しといてください)。忘れもしない中2の春、部活の練習試合の帰りに部活のみんなと名古屋市某区のうどん屋で食べた、まるで伸びきった太いゴムバンドのような激マズのうどんを食べたときはさすがによろめいてしまったが、基本的にうどんは私を笑顔にしてくれる。しかし『坊ちゃん』を読み、坊ちゃんが「うどんなんて赤子の食べ物」と言って天ぷらそば食ってたのにはショックを受けた。「…赤子かぁ…」…坊ちゃんの言うことを真に受けるのもどうかと思うが、物凄く高い所から見下されてる感じがしたんだよなぁ。多分坊ちゃんと漱石先生を知らず知らずのうちに重ねてたんでしょう。これも中学の頃。
パスタ、これはもう私だけではなく基本的に日本人は殆どの人が好きだろう。村上春樹の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」で、主人公がパスタを茹でてるシーン、読んでいるこちらまでお腹が空いてきてしまう。やれやれ、僕はわりと単純に物語から何某の影響を受ける、ゴールデンウィーク初日、家族連れで大賑わいの動物園のペンギンのようなタイプの人間ようだ(………くだらねえ)。
ラーメンで思い出すのは1999年頃に発売された「カップヌードル スケルトン」(通称スケルトンヌードル)。覚えているだろうか。当時、透明で見た目が涼しげなスケルトングッズが大ブームで、文房具から電化製品、インテリアまであらゆる分野でスケルトンカラーの商品が売られまくった。アップル社のスケルトンカラーのパソコン「i mac」が流行ったのもこのころ。私の部屋にもビニール製の、空気で膨らますタイプのスケルトンブルーのソファーみたいなのがありました(直ぐに飽きて空気抜いて押入れにしまったけど。ビニール製だから夏は、ムレるんだよ)。そんな頃発売された「カップヌードル スケルトン」。その名の通り容器が透明で、お湯を注いだ後、日清食品が発明したインスタント乾麺がいかにして柔らかくなり、おいしい麺になるのか、その過程がじっくり観察できる、というヌードルである。確か「カップラーメンの秘密」みたいな煽りで売られていた。わざわざ紙製の箱に入っているというお嬢様仕様。単純に興味が湧いて父親に買ってきてもらったが、麺が型崩れしてニューっと伸びながらズズズ…と底に沈んでいく様は食欲を減退させた。味も普通のカップヌードルより落ちてる気がしたし。父親は「…これイメージダウンだろ、日清」と呟いていた。もう二度と出会えないであろう限定商品。 

追記
hideの「DAMAGE」という曲のサビが、さっきから頭の中をぐーるぐるしている。

そこに在ると思うは 妄想
何処にあるというんだ パラダイス
したくない事してても 時計は回る

ダメージをくれ 踊る悪意をくれ
終わらない今日の Loop が回る

追記2
今日の対オーストラリア戦、「これはアトムVSエプシロンの代理戦争だ」と思ってしまった私は重症だ。おまけに開催国がドイツということで、観客席にゲジヒトっぽい人がいないかついつい探してしまう。重症だ。
…冗談だヨ。

『ray』、破損のむこうに 

2006-06-11 21:21:29 | 音楽
今日は一日中一人で家にいて留守番しながら、スピッツのアルバム『ハヤブサ』と『三日月ロック』とhideの『PSYENCE』を爆音でかけつつダラダラしたりビデオ見たり村上春樹の演習のことについて考えたりしていた。そしてたまに鳴るクレヨンしんちゃんの着ボイスにビクっとしてみたり。しんちゃんが普通に「メールだゾ」と言うだけなんだけど突然鳴ると妙にびっくりします。「え!家に一人だけなのに、誰?」みたいな。アホですわ。それにしても爆音は良い。大きい音で聴かないと細部まで音像が把握できないもん。受ける衝撃も倍増で素敵。今日は『ハヤブサ』収録曲の「8823」と「メモリーズ・カスタム」の二曲に特に痺れた。好きな曲を爆音で聴くと意味も無く部屋や家中をウロウロとしたくなってしまうのだが、もう今日はウロウロしまくり。家には誰もいないし、思う存分ウロウロしたさ。でも「8823」聴いてるときはウロウロだけじゃ足りなくて、なんか走りたくなってしまった。「メモリーズ・カスタム」は、サビ及びブリッジの部分のヒリヒリ感に痺れた。それにしても、ほんっと似てるよね、オレンジレンジの「以心電心」とこの曲(笑)。初めてCMで「以心電心」を聴いた瞬間、「え、こんなに似てて大丈夫!?」といらん心配してしまったよ。
ウロウロに疲れたら録りだめしておいた昼ドラ『吾輩は主婦である』を一気に鑑賞。主婦にある日突然漱石先生が憑依する、というコメディーである。やっぱね、『拝啓 夏目漱石先生』というタイトルでブログやってる以上、このドラマを避けては通れません。まあブログやってなくても脚本が宮藤官九郎だしおまけにミッチーが主演だしで絶対観てると思うけど。『タイガー&ドラゴン』は個人的にはイマイチだったけど今回の昼ドラは最高ですな。自分が一番好きな、2003年頃のクドカン作品群の匂いを感じた。昨年の『タイガー&ドラゴン』、あれはジャニーズの主役級が二人も出てるから華やか過ぎたのだ、今思えば。ヒロインが伊東美咲でこれまた華やか。2003年のクドカンドラマ『僕の魔法使い』と『マンハッタンラブストーリー』、この二つが彼の映画・ドラマ作品の中ダントツで好きな私だが、前者はジャニーズ率0%、後者はトキオの松岡君が出てたが、ジャニタレらしからぬ渋~い演技が光っていた。『吾輩は主婦である』は今の所ジャニーズ率0%。だからこんなに楽しいのかな?ヒロインの主婦・みどりを演じる斉藤由貴の演技がとても可愛いらしく、漱石先生に憑依されてしまうのが勿体無い(笑)。「吾輩は八人兄弟の末っ子でな、生まれてすぐに養子に出されたのだ」なんて言わないで、みたいな(苦笑)。そしてミッチー。みどりの夫で、中2の娘と小3の息子を持つお父さん役、ハマりすぎ。つーか素敵。なにこのパパっぷり。何やってもハマるのな、ミッチーって。
そんなノリで一日を過ごし、夕食を食べて「あー明日からまた学校」なんて思いつつウダウダしつつCDの整理をしていたら、ラルクの名盤『ray』のケースを割ってしまった…!ギャーーー!レイが!レイが!日曜の夜の悲劇。確かに『ray』は聴きすぎてケース開け閉めしすぎてボロボロになりつつあったけど、割れるなんて。しかもこれ初回版。プラスチックケースにラメが散りばめられた宇宙を感じさせるキラキラ仕様なのだ(画像参照。本当はもっとキレイ)。割れたまま放置するなんて堪えられないけど新品じゃ絶対手に入らない。仕方なく即ブックオフへ。なにが悲しくて日曜の8時過ぎにブックオフまで行かなきゃならんのだ(涙)。初回のキラキラケースあるかなぁ…通常版の『ray』のジャケってなんか怖いんだよな…と思ってたら一枚だけあった。ここに並ぶラルクのCDは『ray』と『REAL』の二枚のみだった。少し前ならラルクのアルバムはブックオフの常連ぎみだったが、最近はまたじわじわ新規のファンが増えつつあるのかな。よくわからん。『ray』、250円で購入し、とっとと帰る。7年前これと同じCDを3000円で買ったなーとか思いながら。初めてCDショップでキラキラケースを見てそれはもう仰け反ったことを思い出したりしながら。 


鳴らない、リフ―「ロックの日」に乗り遅れてしまった

2006-06-10 22:41:30 | 音楽
昨日は6月9日、「ロックの日」にもかかわらず音楽の話題が記事に全く出てきていない。何故か鉄腕アトムについてのトリビアなどを披露してしまった。しかも今日友人にそのトリビアを教えたら「それ結構有名じゃない?」と…。嘘だ!きっと君が隠れ手塚オタなだけだ…!…そんな話はどうでもいい。せっかくだし、一日遅れだが音楽、そしてロックへの想いでも書こう。

日常生活を好きな音楽無しで送るなど考えられなくなってからどれだけの月日が経ったか。ドラマや映画やアニメなどを見ていてもまず気になるのは「音楽」で、内容はどうでも音楽さえ気に入ったら即サントラをチェックするという状態になったのはいつからか。そういえば4年前、映画『ピンポン』を観た直後、映画館からタワレコに直行したなぁ…。自分の好きな音楽聴くことに禁止令が出たら私は発狂まで何時間もつだろうか。一人でいるときは音が鳴ってないとイラっとくるし、鳴っていても好みでない類のものだったら鳴っていない時よりもイライラ度が増す私。でも好きな曲聴けばすぐ治まる。イライラを埋めるという意味で音楽は少し前に流行った「癒し」のツールでもある。「癒し」…数年前の癒し系ブームの時、わかったようなフリした―例えば『rock'in on(若しくはJAPAN)』等を購読してるような人が、「『癒し系ブーム』に乗ってヒーリングCD買う奴って単純だよな」等と「癒し系ブーム」を批判していたが、なにをバカな事を。「癒し」の定義は個人次第だ。葉加瀬太郎(よっちゃん似)とかヨーヨー・マ(変な名前)のCDを買って聴き、実際にそれが癒しとなっていればブームに乗ろうが乗るまいが、単純だろうが複雑だろうが関係ないのだ。当たり前の事だ。なのにロキノンを熱心に購読する人は妙な選民意識(自分の好きな音楽以外、主にJポップはみんなゴミ、という思想)があるから「俺にとってはスリップノットが『癒し』だから」等と得意気に言うのだ。そこまではいいが、さらに「癒しブームなんてクソくらえ」とか読者ページに送ったりするのだ。何かを批判するという行為自体は間違っていないが、「なんだかなぁ…」なご意見多し、ロキノン。
……話が大きく逸れた。私もロキノン買ってた時代があったが、母親の影響もあって子供時代にあらゆる音楽を聴いたせいもあり、その類の選民意識はまるで無い(と思う)。「癒し」の定義もわりと広い。久石譲のピアノの調べに癒される時もあれば、ゆらゆら帝国に癒される時もある。ただ自分が熱心にファンをやってるアーティストだと癒されない。ワクワクしてきちゃうから。ある意味それは癒しとの対極だ。そのような音楽が鳴っている瞬間だけは脳があっちの世界に飛ばされて、大抵ワクワクしまくりなのだ。ワクワク オア ダイ。
なぜか「癒し」についてダラダラと書いてしまった。予定外だ。「ロックの日」記念でロックのこと書くつもりだったのに。でもまぁ、無理矢理関連させれば、当たり前だけど「ロック」の定義は個人次第だ。「ギターが歪めば歪むほどロックだ」と言う人もいれば「声の震えがロックの合図」な人もいるだろう。私は基本的にベースだ。ベースがうねればうねるほどロックを感じる。ていうかうねってないベースの音楽にはあんまりお金払わない…こともない。あと、他にはBメロ。前にも書いたかもしれないけど、私はBメロに痺れることが多いのだ(例・「ハネモノ」/スピッツ)。Bメロこそロックだ。ああもう書いててわけがわからない。気持ち悪い。