拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

私を魅了する三大ネコ

2006-02-28 17:32:50 | 日記
「吾輩は猫である」を読んでから、「私って虚構の世界のネコが大好きなんだな」と気づいた。漫画や小説に出てくるネコに夢中になることが特に多い。そこで今日は「私を魅了した3大ネコ」について書いてみようと思う。

その1 「吾輩は猫である」の猫
やはりまず初めにこれを挙げねば。読み終わるのがもったいないほど「猫」ワールドに魅せられている。最近は忙しいので中断しているが、そろそろ終わりそう。それにしても「猫」の行動に関する描写は本当に魅力的なものが多い。ツボだったのは、先生が、家にやってきた迷亭先生に「じきに帰ってくるから猫でもからかっていてくれ給え」と言い席を立った後の描写。ニャーと愛嬌をふりまき迷亭先生の膝に乗り、「イヨー大分肥ったな、どれ」と言う台詞とともにひょいと持ち上げられる猫の愛らしさといったらもう。

その2 「ニャーと言える日本人」のオロチ
「ニャーと言える日本人」とは、ロッキングオンジャパンという音楽誌に連載されている、劇作家松尾スズキが飼い猫・オロチについてつづった猫コラム漫画である。オロチの可愛らしさを熱く語ったり、オロチを主人公にしたギャグ漫画や漫才を劇作家ならではのこだわりを以って描いたりして、愛猫の魅力を存分に表現している。このオロチ、実際かなり可愛らしい猫で、一時期自分の携帯の待ちうけにしていたりした。もうジャパンなんて殆ど買ってないが、この連載の立ち読みは欠かさない。3月に単行本が出るらしい。松尾スズキ関連の本はどれもおもろいが、この新刊は最高傑作になるのでは?と踏んでいる(現時点で私が最高傑作だと思っているのは「同姓同名小説」)。

その3 「HUNTER×HUNTER」のネフェルピトー
現在ジャンプで連載中のエピソード「キメラアント」編に登場する強敵である。キメラアントとは、簡単に説明すれば人間と動物が交じった異形の生物。ネフェルピトーは猫と人間が交じった戦士である。彼は登場時、主人公側の主要キャラをあっさり殺ってしまい、読者を震撼させた。猫耳の可愛らしい容姿ときまぐれな性格で一気に人気者となった悪の華。彼が出ているだけでわくわくする。主人公のアニキ的存在のキャラを殺したことで、今後はその主人公と超絶バトルを繰り広げることになりそうだ。最新刊23巻では同じく凶悪な仲間とともに表紙を飾っている。見たことない人は必見。ちなみに、不思議な響きの「ネフェルピトー」という名前は、古代エジプト語で「美しい」を意味する「ネフェル」+絵本「カロリーヌと仲間たち」に登場する「なまけものピトー」が由来だと思われる。


先生、「20世紀少年」買いました

2006-02-27 22:00:57 | 漫画
「20世紀少年」の21巻を購入。本当は明日発売。早売りでゲットである。私の住む所では月間誌やコミック単行本が一日フライングで店頭に並ぶのが当たり前なのだが、一昨年から金沢で一人暮らししている友人によれば「こっちではフラゲはありえない」だそうだ。ジャンプ系の単行本なら早いときでは二日前に手に入るぞ、こっちは。別に印刷所が近い関東近郊に住んでいるわけでもないのに。まあいい。とにかく「20世紀少年」。この漫画は「完結が待ち遠しい漫画No.1」だ。というか浦沢直樹の作品は雑誌で追いかけて読んじゃダメだ。「MONSTER」で懲りて、単行本を待つ派になればよかったのだ。
「20世紀少年」の12巻までは凄かった。ドキドキの連続。というか初めの数話、あの謎が謎を呼ぶ展開を読んでこの漫画にハマらない人間なんて嘘だ!とさえ思った。しかしここ2~3年は話が進まなさすぎる。一応立ち読みで毎週チェックしているが、最近はそれを怠っている。だって進まないんだもの。張り巡らされた伏線が少しずつ、本当に少しずつ回収されつつあるんだけど、一番大事なことはずーっと明かされないままだ。いいかげんイライラしてきたよ…。ただ、この21巻はとっても上手く次回への「引き」がきまってるので、単行本派の人はドキドキワクワクだろう。
浦沢さんが「ビックコミックスペリオール」に連載してる話題の「鉄腕アトム」リメイク漫画「PLUTO」は単行本で追いかけている。月一連載など耐えられるものか。しかし単行本は3年前に始まったにもかかわらずようやく春に3巻が出る、というスローペース。イジメだ…。浦沢さんの漫画って本当に初めの数巻は勢いよく話が進むんだ。この漫画も物凄い勢いで話が展開しているのだが、単行本出るの、いくらなんでも遅すぎでしょ。6巻ぐらいまで出たところで読み始めればよかったよ。
浦沢さんは一年ほど前に、小泉孝太郎(なんで彼が番組持ってんだ)のトーク番組「孝太郎ラボ」に出演し、「やっぱり漫画は単行本ではなく週刊ペースで追ってほしい。『来週はどうなるんだ?』といろいろ想像しながら読んでいって欲しい」という旨の発言をしていた。そんなこと言うならせめてもう少しサクサク話を進めていってください…。

先生は「外郎売り」暗唱できたりするんですか?

2006-02-26 20:54:59 | 日記
私より一歳年下のいとこ(♀)と久しぶりに会った。一緒にご飯を食べに行き、「今まで何してた~?」等と他愛もない話をダラダラした。時間が経つにつれ、会話の内容はどんどん過去にさかのぼる。そして、いとこの小学校時代の話になった。「あんたそういえば俳優養成学校行ってたよね~?」…。
私や彼女が小学生の頃、それはちょうどチャイドル(死語)全盛期の頃である。沢山の小学生たちが子役としてドラマに出たり小中学生向けのファッション誌のモデル等をしていた。安達祐実(人妻)が「家なきこ」に出ていたのもこの頃だっただろうか。いとこはそんな世界に憧れて、某劇団のオーディションを受け無事合格して、未来のスター目指してレッスンを受けていた。レッスンにはいろいろな項目があったようで、日舞やらバレエやらパントマイムやら…もっといろいろ聞いたけどちょっと忘れてしまった。パントマイムはよく私の目の前で実演してくれた。定番ぽい「壁」とか。昔からよーく知っている人が披露してくれるパントマイムを見るのは滑稽だな、と感じた覚えがある。どんなに上手でも笑ってしまう。きっと私には見る目が備わっていないのだな(笑)。
彼女は中学に入り、「テニス部に入りたいから」という理由で結局劇団をやめてしまったが、やめる前に出ていた舞台は何度か見に行った記憶がある。「なんか、『青い鳥』のおばあさん役とかやってなかった?」「やったやった。そんなんより明らかにテニスの方が楽しいと思ったし~」。…スターへの道は本当に険しい。
彼女が受けていたレッスンの一つで、「外郎売り」の暗唱というのがあった。江戸時代の歌舞伎の十八番(と言われてもなんのこっちゃだ)の一つらしいのだが、これを覚えてすらすら言うのが演劇の練習の定番だったりするようで、当時彼女も必死に暗唱していた。物凄く頑張って唱えてたので、私も微かに記憶していた。「拙者親方と申すはお立会いのうちに…みたいなのだったよね?」「ああよく覚えてるね…あたしも覚えてるかも」いとこはその後、長い長い台詞を約十年ぶりくらいに暗唱してくれた。彼女は「さすがに最後まではムリ」と言っていたが、何も知らない私はかなり驚いた。必死で頑張ったことって覚えてるもんなんだな。

先生、HUNTER×HUNTERを春まで待てません

2006-02-25 21:11:09 | 漫画
週刊少年ジャンプで連載されている漫画、「HUNTER×HUNTER」が大好きである。この漫画の連載が始まったころから自分の中では「続きが気になってしょうがない漫画NO.1」である。でもジャンプではこの漫画の他に好きなものは「DEATH NOTE」以外特に無いので毎週立ち読み。で、わかる人にはわかると思われるが、この漫画は週刊漫画誌に連載しているにもかかわらず毎週載らない。それどころか2~3週の休載なんてあたりまえ。休載の理由は「取材」になってるけど、ファンはこの作者が大のゲーム好きだということを知っている。「休載とか言ってどーせRPGやってんだろ!」である。ここ1~2年は3週間連続で掲載されると「奇跡だ!」と大騒ぎ。本当にふざけた漫画だ。ジャンプ最新号を手に取り、まず最初に見るのは目次。そこで「HUNTER×HUNTER」を見つけられなかったら雑誌売り場の前で腰抜かして崩れ落ちそうになる。この漫画の連載があるか否かで一週間のコンディションが決まる。…たとえ休載でも、ファンはそっぽをむかず根気よく次回の連載を待つ。次回の掲載は四月上旬だってさ。アホか!2ヶ月も休むなんて…待てるか!でも待つんだけども。3月の頭には8ヶ月ぶりの単行本の新刊出るし。
今毎週続きをチェックしている漫画はこの「HUNTER×HUNTER」と、先ほども名前を挙げた「DEATH NOTE」とビックコミックスピリッツの「20世紀少年」くらいだ。このなかでもダントツで続きがきになるのが「HUNTER~」。遠い昔、同じく続きが読みたくてしょうがなかった漫画に「ドラゴンボール」があって、今でもたまに読み返すほど大好きなのだが、あのときと同じ思い入れを「HUNTER~」に込めている。「ドラゴンボール」は自分の中ではもう殿堂入りした漫画だ。連載が終わったとき自分の中の「何か」も終わった気がした。「HUNTER×HUNTER」もそんな漫画になりそうだ。新刊が出たらまた最初から読み返すと思う。そしたらまたここに感想をダラッダラと書くだろうね。常々思うけどこの漫画のファンってMだよね。作者の休載にいくら振り回されてもコミックの売り上げはほとんど落ちないもん。ジャンプで毎週立ち読みして掲載の有無をチェックしてる人はドMだよ。

先生、フィギュアで聴いたフラメンコでこんなこと思い出しました

2006-02-24 11:29:56 | 音楽
金メダルフ━━━━!

流行ってるうちに使っておかないと!あ、HGには「過去の人」にならずに末永く頑張ってほしいと思ってますよ?いやあでも「フーー!」もしたくなりますよ。荒川静香選手、金メダルおめでとうございます。朝早起きして見てよかった…録画しておいてよかった…でもアナログな我が家はVHS…ハイビジョンの機材があればもっとよかった…。今夜のエキシビジョンも楽しみだ。かっこよかったな本当に。華麗な技バンバン決めてましたね。金メダル決定の瞬間、思わず涙ぐんでしまったよ。オヨヨヨ。
実はロシアの女王スルツカヤ目当てで見ていた今回のオリンピック。日本がメダル獲る獲らないは関係なく、ショーを見るつもりでフィギュア観戦しようと思っていたのだが、ショートプログラムでの日本勢の大健闘にしっかり感動してしまい、フィギュア関連の番組を見まくってしまった。この忙しいときに…。テレビで華麗な演技を見ながら「かっこいい…」を連発。銅メダルだったスルツカヤも銀のコーエンも素敵でしたね。
さて、スルツカヤが演技で使ってたフラメンコ調を聴いてラルクの「Caress Of Venus」という曲を思い出した。『True』というアルバムの二曲目なのだが、これがまたヘンな曲で。UKっぽい打ち込みロック風(なにそれ)のピアノのイントロからそのまま一気にフラメンコ調のギターにのせて最後まで突っ走る。ラルクがスパニッシュギターでフラメンコを奏でる。文字にするとかなり変なのだが、聴いてみると誰の耳にも軽やかに入ってくるであろう不思議な名曲。サビなんてジプシーの少女が舞い踊ってる姿が頭に浮かんできてしまう。ラルクのライブではオープニングを飾ることが多いド派手な一品。「Caress Of Venus」はラルクの曲で一番沢山聴いてるんじゃないかと思うほど大好きさ。スルツカヤのショートプログラムの演技を私はもう何回も見たのだが、演技だけではなく、「Caress Of Venus」に似たあの曲にも惹かれていたのだな。

先生、『クレヨンしんちゃん』がまたやってくれました!

2006-02-23 20:56:13 | テレビ
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ

すいません。いや、でもこれだけ流行ってると使ってみたくなるじゃないですか。でも実際今日、「キター!」と思う瞬間があったりしたんです。私の大好きな漫画の一つ「クレヨンしんちゃん」が中学の公民の教科書に載るそうで。なんでも核家族のモデルケースとしてしんちゃん一家が登場するんだそうです。しんちゃんが遂に教科書に…いまだにPTAに叩かれてるしんちゃんがですよ?素敵なニュースじゃないですか。
毎年恒例の映画が文化庁のメディア芸術祭でアニメ部門の大賞を獲得したり、三重県のイメージキャラクターに選ばれたり、埼玉県春日部市の市民として住民登録されるなど、ここ数年地味に明るい話題が続いたしんちゃん周辺。しかし今月、広島県議会がしんちゃんを含む7つのテレビ番組に放送自粛要請をした、という情報を小耳にはさみ、少しだけ鬱になっていたところにこの情報。別に教科書に載ったからエライというのはないけども、一種のハクが付いたというか、アカデミックな香りがするようになった感じはする。長年しんちゃんファンをやっている自分としては、「しんちゃんなんてお下品アニメじゃん」という意見に対する反論は正直もうするのも面倒くさいくらいなので、このようにしんちゃんを客観的に評価してくれたようなニュースはありがたいことだ。「『クレヨンしんちゃん』は今時珍しいほど家族愛をストレートに描いてる作品でもあるんだぞ。もっぺん見直せ!」というより「教科書に載ったよ」と言うほうが楽だ。
放送開始から15年。PTAからの圧力を見かねてか、初期の頃よりは勢いが落ちつつある(げんこつやぐりぐり攻撃などの描写が近年途端に減った)しんちゃん。昔からのファンにはそういうの結構悲しかったりするけど、ここまできたらもう続いてくれることに意義がある。どうか「ドラえもん」のようにはならないで、ギリギリの毒と温もりをもって走り続けて欲しい。
そういえば私と同世代では、「家庭でしんちゃん禁止令がでて見せてもらえなかった」という子が結構いる。我が家はむしろ一家で爆笑しながら見ていたほうなので「なんて可哀想なんだろう」という気持ちでいっぱいだ。テレビを規制しなきゃならないほど躾に自信の無い人が親なんだもの。「しんちゃん」「ダウンタウンのごっつええ感じ」等、昔からPTAに槍玉に挙げられてきたテレビ番組をこよなく愛してきた私は、自分が親世代になったとき、いくら自分の価値観に合わない番組を子どもが好んで見ていたとしてもそれを止めさせることだけは絶対にしないぞ、という決意を子どもの頃から固めている。そしてしんちゃんやダウンタウンを見せてくれた親に感謝………いや、うちは一家揃ってファンだから見せてくれて当然か。

先生なら原稿クシャクシャに丸めてポイする感じですか?

2006-02-22 17:32:05 | 日記
自分の部屋などで一人でボケーっと考え事をしていて、自分が昔やってしまったかっこ悪い・恥ずかしい失態をふと思い出してしまった時、人はどんな行動をとるだろうか。思わず「あぁ…!」等意味不明な事を小さく叫んだりしないだろうか。若しくは急に立ち上がって意味もなく部屋をうろうろしてみたり意味もなくテレビのリモコンいじってみたりステレオのボリュームを上げ下げしてみたり。メモ帳パリってやぶいて捨ててみたり。そんな不可解な行動をとらないだろうか。私はとる。くだらない発言で周囲の空気を冷やした思い出。全力疾走したもののぎりぎりで電車に乗れなくて思わず周囲の視線を気にしてしまった思い出。電車のトビラにマフラー挟まれた思い出。その他、恥をかいた記憶がふっと頭に浮かぶと、私はじっとしてはいられない。「ダメだ、そんな記憶掘り起こすな!」と脳に指示を出すような感じでついつい先述のヘンな行動をとってしまう。もう少し行動の根源を分析してみると、「あの発言したとき皆固まってたな…いや、でもそんなこととっくに忘れてるだろう!あーでも今振り返っても本当に恥ずかしい思い出だな…勘弁してくれよ、消したいよー!」そしてメモ帳パリッ、クシャクシャッ、ポイッ、みたいな。あら、ということは無意味に見えるヘンな行動にはちゃんと意味があるってことだな。こういうことするのは私だけでは絶対ないはず。ほとんどみんな無意識にやってるんだと思う。恥ずかしい思い出を消すためにさらに恥ずかしい行動をとる。その行動をもし他人に見られたらもうどうしようもないくらい恥ずかしいだろうな。取り返しつかない。奇人認定されちゃう。みんなやってるはずなのに。家族とかでも嫌だ。
なんとなくだけど漱石先生ってこういう行動凄く頻繁にやってたイメージがあるなー。



先生、西暦2000年の事少しだけ書きます

2006-02-21 16:48:29 | 音楽
ここ数日ずーっと聴き続けている曲の話。
L'Arc-en-Cielのアルバム『REAL』に「TIME SLIP」という曲がある。甘く、折れそうなくらい繊細なメロディーに乗せて倦怠期の憂いがけだるく歌われる一曲。
hydeの書く詞は、死の匂いと比喩・隠喩の嵐である。ファンタジーの世界を設定して、その中で幻想的で退廃的な単語をちりばめる、という手法が多用されていて、数回聴いただけでは意味を掴めないものが多いが、2000年に発売された『REAL』では、その手法が少しだけ緩められている。タイトルが示す通り、現実世界に不時着してしまったかのような、思わず出てしまった本音のような曲がファンタジーの中に混じっているのだ。2000年といえば、ラルク全盛期の最後の年(失礼か?でもどうみてもそうだよね)であり、活動休止直前。「そんなに精力的に活動し続けちゃって、ラルクこの先大丈夫かな…」と不安な気持ちにもなった頃だ。覚えてる人はいるだろうか?PVで合成ダンスを踊り、見るものを震撼させたのもこの頃だ。幻想的な世界観を以って突っ走ってきたラルクが一瞬だけ現実に落っこちてきた、そんなアルバムだと思った。で、「TIME SLIP」は「はぁ…疲れたね…」的な、ため息が漏れそうな切ない香りが漂う、個人的には『REAL』で一番名曲だと思ってる曲。歌詞を全部載せるのはアレなので一部だけ。

もうどれくらい君と笑ってないかな
離ればなれは距離だけじゃない
気づかないふりしてるけど遊び方を
忘れてしまったのさ

Running through without your help
Running through without your vibes
それでもうでを伸ばして
ささやかな夢を僕は辿っていく


なんてことない歌詞にも思えるが、派手な活動が目立った当時のラルクにこういう曲をやられたら嫌でも心に引っかかるし、何よりドキドキしたな。「バンド飽きてきた?もうしんどい?」と聞きたかった。で、実際ラルクは長い沈黙に入っちゃうし。二回目になるけど本当にこのメロディー、甘くて繊細で。けだるくて。百聞は一聴にしかずです。
とにかく全体的にいつも以上にシリアスな匂いが充満していた「REAL」。対して、このアルバムのCMでは、藤原組長がデコトラに乗って暴走する、というカラっとしたバカバカしいものだった。当時のラルクはいつもギリギリな所で世間やファンに対してボロを出さないように自らを気遣ってたような。

先生、足音はどうしましょう

2006-02-20 18:05:45 | 日記
とある漫画を読んで、「足音を立てずに歩くのってかっこいい~」と思い、数年前からこれを実践していた。とはいえそんな無茶な実践が長続きするわけがない。わりと大きな足音を立てて歩いているときに「あ!そういえば足音立てずに歩く訓練するんだった!」と思い出し、慌てて足をそろりそろり運ぶ、という具合である。足音立てないように、静かに、でもゆっくりになりすぎないように…と意識して歩くと、凡人の私でもかなり足音を消せる。実際足音がしないのって素敵だ。学校や駅の階段などで、自分の周りにいる大半の人がパタパタ足音を立てて歩いたり走ったりするなか、自分だけ足音がしないのだ。この余裕ある佇まい。たまに静かすぎてびっくりされることもある。「いつのまに居たの?」という様に。ただまあ本当に、実践を決意した日から今までの時間を振り返れば、パタパタ足音立ててる時間の方が圧倒的に多いのだけど。
しかし…この実践の続行を止めようか今悩んでいる。最近先生の「坊ちゃん」を読みかえしたのがきっかけだ。坊ちゃんが忌み嫌う教頭の「赤シャツ」が、足音立てない歩きを実践しているのだ。しかもその様を主人公坊ちゃんが酷評している。それを読んでいたら、なんだかこの実践が酷くくだらないものに思えてきた。まあ、他人から見れば「いまさら気づいたのか、バカバカしい」と思うだろうが、私が影響を受けた某漫画では、キャラが「足音消すの癖になってんだ」さりげなく言うシーンが素敵に描かれていた。でも無鉄砲な坊ちゃん的には「ケッ!」である。うーん。どうしたものか。
……今こんなことで悩んでいる場合では到底ないのだが(明日テスト…)現実逃避癖が噴出してきたせいでアホなこと書いてしまった。ああ逃げたい。足音を消して、颯爽と逃げたい。

先生、夢について私からも一言

2006-02-19 10:53:10 | 日記
最近夢をよく見る。いや、夢というものは眠ってる人ならば誰だって見るもので、目を覚ましたときに自分の見た夢をきれいさっぱり忘れてしまえば「私、夢とか全然見ない人なんだけど」という具合になるものだとどこかで聞いた覚えがあるな。正確には、「見た夢をよく覚えている」だ。そんな自分が見る夢はとことん悪夢ばかり。ホラー映画のようなテンションの高い悪夢も見れば、日常生活でも起こりうる、他者にじわじわと追い詰められる悪夢も見る。どちらかというと後者の方が目覚めが悪い。「ああ、悪い冗談みたいなリアルな夢だった…夢でよかった…」と汗だくになるのだ。
目覚めた瞬間に、たった今まで見ていた夢を瞬間的に忘れてしまうのは、良い夢だろうが悪夢だろうが、なんだか損した心持ちになるので、夢を覚えていまくりの今の状況を楽しんではいるのだが、ここまで悪夢が続くと当然胃がもたれてくる。「夢は心の鏡」というし、最近自分は心でも病んでいるのか?等という錯覚に陥ったりもする。それを人に話すと、「起きてすぐ、夢の詳細を忘れてしまう前にノートに記録したら?」と言われた。たまった記録から何か見えてくるものがあるかも、とのこと。「リアル夢十夜」執筆の勧めである。他人に自分の見た夢を話すこと程相手を退屈させる話題は、あまり無いように思う。対して、個人的な夢十夜書いて自己処理するのは一種の定番だけど楽しそう。なので早速実践してみる。読み返してみて「これは人に話しても退屈させないストーリーだな」と思えるなら、このブログにも載せてみよう。書き出しは当然「こんな夢を見た」である。先生のまねっこ。気分だけでも味わいたいのだ。もしかしたら夢にまつわる今の自分の状況は先生好きに由来してんのかも。