菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

茨城新聞報道「中高一貫校を大幅増」の裏を読む

2019年02月14日 19時54分43秒 | 地方政治
 今日の茨城新聞のトップ見出しは、「中高一貫校を大幅増」となっている。とにかく、今、文部科学省は、小中にしろ、中高にしろ、「一貫校」をつくることに力を入れている。その本音は、何だろうか。私は、ズバリ、学校減らし、教員減らしにあると考えています。

 茨城県で、一番はじめに中高一貫校ができたのは、常陸大宮市の小瀬高校であった。なぜ、小瀬高校が選ばれたのか。何のことはない、2003年の当時は、小瀬中学校の生徒が小瀬高校に通う割合が、一番多かったからである。つまり、抵抗が一番少ない地域であった。
 当時、私が調べたときでも、東京では三宅島の三宅高校、鹿児島では喜界島高校など、もともと中学校の生徒のほとんどが、その島の高校にいっている高校が選ばれていた。

 小中一貫校が、だんだん増えるにつれて、「一貫校」に対する抵抗感もうすれてきたと判断したのだろうか、県も文部科学省の圧力に抵抗できなくなったのか、それとも高校の廃校の必要性が出てきたのだろうか、「中高一貫校」の大幅増が出てきたと、私は考えている。

 今、中高一貫校は次のようになっている。
 2008年 並木中等教育学校(つくば市)
 2012年 日立一高(併設型)(日立市)
 2013年 古河中等学校(総和高校を再編)

 とにかく、「わけのわからない学校」をつくるときには、「学校減、教員数減)の底流があることは確かだと思う。


 

 

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茨城新聞報道「中高一貫校を大幅増」の裏を読む

2019年02月14日 19時54分43秒 | 地方政治
 今日の茨城新聞のトップ見出しは、「中高一貫校を大幅増」となっている。とにかく、今、文部科学省は、小中にしろ、中高にしろ、「一貫校」をつくることに力を入れている。その本音は、何だろうか。私は、ズバリ、学校減らし、教員減らしにあると考えています。

 茨城県で、一番はじめに中高一貫校ができたのは、常陸大宮市の小瀬高校であった。なぜ、小瀬高校が選ばれたのか。何のことはない、2003年の当時は、小瀬中学校の生徒が小瀬高校に通う割合が、一番多かったからである。つまり、抵抗が一番少ない地域であった。
 当時、私が調べたときでも、東京では三宅島の三宅高校、鹿児島では喜界島高校など、もともと中学校の生徒のほとんどが、その島の高校にいっている高校が選ばれていた。

 小中一貫校が、だんだん増えるにつれて、「一貫校」に対する抵抗感もうすれてきたと判断したのだろうか、県も文部科学省の圧力に抵抗できなくなったのか、それとも高校の廃校の必要性が出てきたのだろうか、「中高一貫校」の大幅増が出てきたと、私は考えている。

 今、中高一貫校は次のようになっている。
 2008年 並木中等教育学校(つくば市)
 2012年 日立一高(併設型)(日立市)
 2013年 古河中等学校(総和高校を再編)

 とにかく、「わけのわからない学校」をつくるときには、「学校減、教員数減)の底流があることは確かだと思う。


 

 

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韓国国会議長の「天皇謝罪発言」に対する志位委員長の見解

2019年02月14日 15時51分59秒 | 国際・政治
 ニュースで、韓国国会議長の「天皇謝罪発言」が大きく報道されています。2月12日、志位委員長は、国会内の記者会見で、記者からの質問に答えて、次のような見解を述べていますので、紹介します。

 記者の質問
(米通信社)ブルームバーグのインタビューで、韓国の文国会議長が従軍慰安婦問題で天皇の謝罪を求めました。
(文議長はインタビューで)「一言でいいのだ。日本を代表する首相か、あるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し別けなかったと言えば、すっきり解消されるだろう」と語りました。
  この発言について、志位委員長はどう受け止めましたか。

志位委員長
 私たちは、日本政府として、真剣な謝罪が必要だと繰り返し言ってきました。(安倍)首相が自らの肉声できちんと謝罪しなければいけないということは、強く言いたいと思います。
 ただ、天皇は、日本国憲法で「政治的権能を有しない」となっているわけですから、そういうことができないということは当然だと思います。

 記者の質問
 昭和天皇が亡くなったときの(日本共産党)中央委員会声明では、「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であった」と指摘されてきましたが、このところは綱領も変わった所もありますが、変えられるのでしょうか。

 志位委員長
 前天皇は、私たちは、侵略戦争の最高の責任者だと考えています。そういう歴史的批判を、私たちは前天皇死去のさいにも率直に表明しました。
 しかし、現天皇は戦争責任ということは問題にならないと思っています。在位期間中にそういう問題についてかかわったことはありません。





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三浦ゆずるさん応援キャラバン、新治地域を10カ所演説

2019年02月14日 15時13分55秒 | 議員活動
 

 今日も風が冷たいが、午前10時半過ぎ出発。
 とにかく、細かく綿密にという目標ですから、新治地区のアパート群をこまめにまわりました。もちろん、昼間は留守がおおいとは思うのですが、洗濯物が干してある状況ですから、また、車が通ることも多いので、聞いてくださる方もいると思い、演説しています。
 しかし、やはり風は冷たいです。
 
 今日は、久しぶりの出会いをいたしました。千葉大学には、園芸学部別科という1年間だけまなぶコースがあります。そこには、真壁高校からきている学生さんが多かったのです。私は大学3年生からは「浩気寮」という寮に入り2年間寮生活を送りました。そこで、真壁高校から来ていた学生さんと知り合いになったというわけです。在寮中に知り合ったのは2人です。その後、真壁へ来て、別科で学んだという方2人と知り合いになりました。もう1人は私の担任した生徒さんを別科に送り込みました。

 今日あった方は、同じ部屋で1年間一緒だったのです。
 もちろん、私が真壁高校に赴任したときには、最初にあいさつにいった方です。もう69歳になります。私が72歳ですから、彼が1年生だったときは、4年だったのです。

 彼が、農業をやめて不動産業に変わってからは、しみじみと話したことがなかったので、事務所に入って、昔話をしてしまいました。懐かしい友人の名前が、私の方からも、彼の方からもどんどん出てきます。また、今の健康状況も話題に事欠きません。お互い年をとっていますから。いくらあっても時間は足りません。私は、教員退職時に「人間ドック」に入って以来12年間、健康診断を受けたことがありません。なんとなく、めんどくさいのです。
 彼からは、「健康診断だけはしておいた方がいい」と、約束させられて、事務所をあとにしました。

 そんなわけで、10カ所で演説を終わる頃には、午後1時を過ぎていました。
 





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