今日の茨城新聞のトップ見出しは、「中高一貫校を大幅増」となっている。とにかく、今、文部科学省は、小中にしろ、中高にしろ、「一貫校」をつくることに力を入れている。その本音は、何だろうか。私は、ズバリ、学校減らし、教員減らしにあると考えています。
茨城県で、一番はじめに中高一貫校ができたのは、常陸大宮市の小瀬高校であった。なぜ、小瀬高校が選ばれたのか。何のことはない、2003年の当時は、小瀬中学校の生徒が小瀬高校に通う割合が、一番多かったからである。つまり、抵抗が一番少ない地域であった。
当時、私が調べたときでも、東京では三宅島の三宅高校、鹿児島では喜界島高校など、もともと中学校の生徒のほとんどが、その島の高校にいっている高校が選ばれていた。
小中一貫校が、だんだん増えるにつれて、「一貫校」に対する抵抗感もうすれてきたと判断したのだろうか、県も文部科学省の圧力に抵抗できなくなったのか、それとも高校の廃校の必要性が出てきたのだろうか、「中高一貫校」の大幅増が出てきたと、私は考えている。
今、中高一貫校は次のようになっている。
2008年 並木中等教育学校(つくば市)
2012年 日立一高(併設型)(日立市)
2013年 古河中等学校(総和高校を再編)
とにかく、「わけのわからない学校」をつくるときには、「学校減、教員数減)の底流があることは確かだと思う。
茨城県で、一番はじめに中高一貫校ができたのは、常陸大宮市の小瀬高校であった。なぜ、小瀬高校が選ばれたのか。何のことはない、2003年の当時は、小瀬中学校の生徒が小瀬高校に通う割合が、一番多かったからである。つまり、抵抗が一番少ない地域であった。
当時、私が調べたときでも、東京では三宅島の三宅高校、鹿児島では喜界島高校など、もともと中学校の生徒のほとんどが、その島の高校にいっている高校が選ばれていた。
小中一貫校が、だんだん増えるにつれて、「一貫校」に対する抵抗感もうすれてきたと判断したのだろうか、県も文部科学省の圧力に抵抗できなくなったのか、それとも高校の廃校の必要性が出てきたのだろうか、「中高一貫校」の大幅増が出てきたと、私は考えている。
今、中高一貫校は次のようになっている。
2008年 並木中等教育学校(つくば市)
2012年 日立一高(併設型)(日立市)
2013年 古河中等学校(総和高校を再編)
とにかく、「わけのわからない学校」をつくるときには、「学校減、教員数減)の底流があることは確かだと思う。