菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

米村癸未男さんの訃報に寄せて

2019年02月09日 16時03分05秒 | 議員活動
 今日の新聞に米村癸未男さんの訃報が掲載されています。
 米村癸未男さんの名前は、選挙通の方や市役所関係者にはよく知られた名前です。なぜなら、菊池せつ子の選挙責任者を10回、菊池のぶひろの責任者を4回、計14回やってくれた方だからです。いろいろな選挙を経験してきましたが、14回も責任者をやって来られた方は、希有ではないかと思っています。

 感謝をこめて少し紹介させていただきます。
 岩瀬町では1950年代に、宮田さとさんという方が共産党議員として1期務めましたが、その後、共産党の立場でいえば、「空白の議会」が続きました。

 岩瀬町の議会に、共産党の議席が復活したのは1978年(昭和58年)の12月でした。定数2の補欠選挙に、堀政美氏、菊池せつ子氏、篠崎宏氏など5人が立候補いたいました。私たちには、茨城には一軒も親戚はありません。そのとき、選挙責任者をしていただいたのが、米村癸未男さんでした。
 私ら家族は、ずいぶん選挙をしてきましたが、選挙責任者をさがすほど大変なことはありません。選挙責任者は、選挙ポスターに「掲示責任者 米村癸未男」と名前を入れることになるからです。
 
 この選挙では2つの忘れられない記憶があります。
 投票日の前日は、通称・台湾坊主が襲来し、冬の嵐となったのです。夕方仕事から帰ってきた米村さんは、地元を歩くということで、元岩瀬の仲田住宅から岩瀬高校前まで、冬の嵐の中を、膝上までずぶ濡れになって、一軒一軒歩いてくれたのです。岩瀬高校前についたときは、夜8時半を過ぎていたとのことです。最後に寄ったお店では、お茶をいただき、「かわいそう」と言って、一票いれると約束してくれたとのことです。

 もう1つは、開票立会人の仕事です。当時は、票の読み取り機も導入されてなく、開票作業もかなり「あらっぽい」時代でした。しかし、何事にも、沈着冷静、丁寧な性格の米村さんは、じっくり開票作業を進めたのです。「早くしろ」という参観人の声は気にならなかったと言っていました。
 結果は、1位は堀氏、2位は菊池せつ子氏、3位は篠崎氏でした。2位と3位の差は「3票」という僅差でした。2700台の得票で「3票差」ですから、一般には、「異議申立て」があってもおかしくないのですが、米村さんの慎重な開票作業がものをいって、すんなり「菊池せつ子当選」となりました。
 篠崎氏は、1年3ヶ月後の本選挙で、当選をされています。

 最後に、「癸未男」と言う名前は、「きみお」と呼びます。
 十干十二支で、十干の10番目の「癸(みずのと)」、十二支では8番目の「未(ひつじ)」の年に生まれたからです。 


 
 
 

 

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