少し遅くなりましたが、さきの参議院選での安倍首相の日本共産党への名指しの批判は異常といえるものでした。あの甲高いあ声で、一国の首相が、特定政党を名指しで、毎回、演説で批判する姿は、テレビで聞いていても不快なものでした。
そこで、不破哲三前議長の街頭演説の反論部分を紹介いたします。
「神を信じるものも信じないものも」
安倍陣営の野党攻撃のきまり文句は、「理念と路線の一致のない野合」という批難です。これは統一戦線の意義をまったく理解しないものです。
第2次世界大戦の当時、ヒトラーが占領したヨーロッパでは、反ヒトラーの国民的共闘が各国で起き、レジスタンスと呼ばれました。そのときの団結の合言葉が「神を信じるものも信じないものも」でした。
世界観が違っても一致して巨悪に立ち向かう。ここに世界で試された統一戦線の精神があります。
憲法を破壊し戦争と独裁の政治をめざす安倍政権から、憲法・平和・民主主義を取り戻す。昨年、国会を囲んだ戦争反対のたたかいのなかで、創価学会の三色旗があちこちで翻り、感動を呼びました。
国民の運命に関わる大事な時には、保守・革新の違い、信教の違いも超えて団結する。統一戦線の心を生き生きと発揮した情景でした。
改革の道を国民の合意で一歩一歩歩む
将来の問題については、日本共産党は、21世紀を先々まで見渡し、資本主義を乗り越えた未来社会をめざす壮大な展望を持っています。そこへ進む道筋についても、守るべき大方針を綱領に明記しています。
それは、「段階的改革」と「多数者革命」です。どんな改革も、国民多数の合意のもとに一段一段前進するという方針です。共闘する相手を無視し、国民の合意を得ないで、自分だけで勝手に前へ進もうというやり方など、私たちとはまったく無縁なもので、それこそ安倍首相の御得意なやり方ではありませんか。
コメント
昨年夏、私が国会に行ったときにも、三色旗があちこちに見えました。創価学会の旗が、三色旗とは知っていましたが、こんなに身近に、しみじみとみるのは初めてでした。
統一戦線の思想は、共産党には昔からありました。1970年代は、革新共闘の時代ですから、統一戦線を組む相手がいました。民主連合政府も、「ひょっとしたら」と思ったものでした。
ところが、1980年代から、社会党の右旋回が始まり、統一戦線の考え方はあっても、「組む相手がなかなか見えません」でした。
今回で再び、展望がみえてきたのです。
そこで、不破哲三前議長の街頭演説の反論部分を紹介いたします。
「神を信じるものも信じないものも」
安倍陣営の野党攻撃のきまり文句は、「理念と路線の一致のない野合」という批難です。これは統一戦線の意義をまったく理解しないものです。
第2次世界大戦の当時、ヒトラーが占領したヨーロッパでは、反ヒトラーの国民的共闘が各国で起き、レジスタンスと呼ばれました。そのときの団結の合言葉が「神を信じるものも信じないものも」でした。
世界観が違っても一致して巨悪に立ち向かう。ここに世界で試された統一戦線の精神があります。
憲法を破壊し戦争と独裁の政治をめざす安倍政権から、憲法・平和・民主主義を取り戻す。昨年、国会を囲んだ戦争反対のたたかいのなかで、創価学会の三色旗があちこちで翻り、感動を呼びました。
国民の運命に関わる大事な時には、保守・革新の違い、信教の違いも超えて団結する。統一戦線の心を生き生きと発揮した情景でした。
改革の道を国民の合意で一歩一歩歩む
将来の問題については、日本共産党は、21世紀を先々まで見渡し、資本主義を乗り越えた未来社会をめざす壮大な展望を持っています。そこへ進む道筋についても、守るべき大方針を綱領に明記しています。
それは、「段階的改革」と「多数者革命」です。どんな改革も、国民多数の合意のもとに一段一段前進するという方針です。共闘する相手を無視し、国民の合意を得ないで、自分だけで勝手に前へ進もうというやり方など、私たちとはまったく無縁なもので、それこそ安倍首相の御得意なやり方ではありませんか。
コメント
昨年夏、私が国会に行ったときにも、三色旗があちこちに見えました。創価学会の旗が、三色旗とは知っていましたが、こんなに身近に、しみじみとみるのは初めてでした。
統一戦線の思想は、共産党には昔からありました。1970年代は、革新共闘の時代ですから、統一戦線を組む相手がいました。民主連合政府も、「ひょっとしたら」と思ったものでした。
ところが、1980年代から、社会党の右旋回が始まり、統一戦線の考え方はあっても、「組む相手がなかなか見えません」でした。
今回で再び、展望がみえてきたのです。